銕仙会

銕仙会

観世雅雪(1898−1988)

観世雅雪

五世観世銕之亟(紅雪)の四男として東京に生れる。名は茂。

1901年 初子方で『雲雀山』。
1905年 初シテ『経正』。
1918年 兄の六世観世銕之亟の養嗣子となり織雄を名乗る。
1920年 『道成寺』を披く。
1923年 大震災で家伝の能面の一部、新築中の西町舞台を焼失。翌年新築開始。
1945年 ”第二次世界大戦東京空襲で舞台、面、装束、居宅焼失、
各所に避難ののち多摩川園に落ち着く。”
1947年 七世銕之亟を襲名。『望月・古式』。
1956年 青山に銕仙会能舞台落成。
1958年 『姨捨』披く。大阪府芸術祭奨励賞受賞。
1959年 大阪市民文化祭芸術賞受賞。
1960年 『鸚鵡小町・杖三段之舞』。
1965年 『檜垣』披く。『檜垣』上演により銕仙会が芸術祭賞を受賞。
1972年 芸術選奨文部大臣賞受賞。
1975年 袴能『俊寛』が能として最後の舞台。
1979年 80才の祝いに舞囃子『卒都婆小町』を舞う。
1988年8月 永眠。享年90才。

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