銕仙会

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観世華雪(1884−1959)

観世華雪

五世観世銕之亟(紅雪)の長男として東京に生れる。幼名は織雄。

1887年 初子方で『雲雀山』。
1891年 初シテ『合浦』。
1904年 騎兵隊に入隊。
1910年 『道成寺』を披く。六世観世銕之亟を継ぐ。
1911年 父の紅雪死去。
1918年 弟の織雄(茂)を養嗣子とする。
1921年 免状問題で宗家より芸事上の交際を謝絶される。
1923年 関東大震災で居宅、家伝の能面の一部、新築中の西町舞台を焼失。翌年新築開始。
1929年 宗家との芸事上の交際回復。
1939年 観世流宗家左近病死、養子元正の後見役となる。
1940年 東京音楽学校講師。
1941年 『義経』を作曲、上演。
1945年 第二次世界大戦東京空襲により舞台、面、装束、居宅焼失。
    1921年来の梅若問題の解決に心をくだく。
1947年 隠居し華雪を名乗る。『鸚鵡小町』披く。
1950年 宗家後見役返上。
1951年 芸術院賞を授与。『求塚』復曲。
1952年 日本芸術院会員に就任。
1956年 青山に銕仙会能舞台落成。
1959年1月 永眠。享年74才。

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