■2015年06月12日 定期公演
- 能「通盛」西村高夫
- 狂言「見物左衛門 花見」野村万蔵
- 能「杜若 恋之舞」馬野正基
- 会 場
- 宝生能楽堂(全席指定)
- 日 時
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- 2015年6月12日(金)
- 午後6時開演(午後5時30分開場)
能 通盛
前シテ 後シテ |
漁翁 平通盛 |
西村 高夫 |
ツレ | 小宰相局 | 柴田 稔 |
ワキ | 僧 | 森 常好 |
ワキツレ | 従僧 | 森 常太郎 |
アイ | 鳴門ノ浦人 | 能村 晶人 |
笛 | 内潟 慶三 | |
小鼓 | 鵜澤洋太郎 | |
大鼓 | 原岡 一之 | |
太鼓 | 梶谷 英樹 |
地謡 | 鵜澤 光 | 北浪 貴裕 |
安藤 貴康 | 北浪 昭雄 | |
谷本 健吾 | 浅井 文義 | |
長山 桂三 | 浅見 慈一 | |
後見 | 観世銕之丞 | |
清水 寛二 |
阿波の鳴門。この地で果てた平家一門を弔い、読経する僧。そこへ漁翁と女が篝火を焚いた小舟に乗って現れ、夫の討死を嘆き、この浦で入水して果てたという平通盛の妻、小宰相局の最期を物語ると、波間に消え失せてしまう。
やがて僧の弔いに通盛と小宰相の亡霊が現れ、一ノ谷の合戦前夜、二人が月下に盃を交わして別れを惜しんだことや通盛の最期の有様を物語る…。
男女の濃密な愛を描いた世阿弥改作の名作修羅能。
さらに詳しい解説は<こちら>から
《90周年によせて》
『通盛』は伯父の寿夫が最晩年に銕仙会定期公演、次いで大槻能楽堂の蝋燭能にてシテを務めた曲ですが、この蝋燭能は寿夫にとって最後の能でもありました。
その時の平通盛と小宰相局との戦場での生死を分ける、いわば前線基地を舞台として描かれた純愛とも言うべき二人の姿は本当に美しく痛切で、見る人に強く深い印象を残しました。
それまでこの曲は「平家」の能の中でも主人公通盛が妻の小宰相といつまでも別れがたく、弟教経に呼ばれるギリギリまで連れ添っていた女々しい男だという見方もあり、一般的な曲の評価もあまり高いものとは言えませんでした。しかし寿夫最晩年のこの舞台(それ以前にもありましたが)によってその印象は塗り替えられたとも言えます。
世阿弥が手を加えて仕上げ、まるで『平家物語』の一場面を切り取って再現したかのような語りによって進行していくこの曲は、今日では銕仙会の人気曲の一つです。
観世銕之丞
狂言 見物左衛門 花見
シテ | 見物左衛門 | 野村 万蔵 |
春爛漫の都。見物左衛門という男が自主桜が見頃だというので友を誘い、花見に出かけることにする。しかし友は生憎と花見に出かけてしまったという。見物左衛門は仕方なく一人で出かけ、酒を飲み、謡い舞いながら清水寺、広隆寺、嵐山と、あちらこちらを見物して歩いて…。
和泉流にのみ伝わる、独演が見所の番外狂言。
能 杜若 恋之舞
シテ | 杜若ノ精 | 馬野 正基 |
ワキ | 旅僧 | 御厨 誠吾 |
笛 | 松田 弘之 | |
小鼓 | 古賀 裕己 | |
大鼓 | 柿原 弘和 | |
太鼓 | 小寺 佐七 |
地謡 | 小早川泰輝 | 鵜澤 久 |
観世 淳夫 | 清水 寛二 | |
安藤 貴康 | 小早川 修 | |
長山 桂三 | 浅見 慈一 | |
後見 | 浅見 真州 | |
岡田 麗史 |
杜若が今を盛りと美しく咲き乱れる三河国八橋。
里の女はかつて在原業平がこの地を訪れた際、八橋の杜若を見て「かきつばた」の五字を句頭に置き、「唐衣着つつ馴れにし妻しあれば遥々来ぬる旅をしぞ思ふ」と歌を詠んだと旅僧に教える。
さらに業平の形見の冠と業平と契りを結んだ高子の后の唐衣を身に着けた女は、自分は杜若の精だと明かし、実は業平は衆生済度のためにこの世に姿を現した歌舞の菩薩なのだと語って舞を舞う…。
『伊勢物語』での有名なエピソードを題材に、王朝絵巻的世界を清涼かつ艶やかに描いた能。
さらに詳しい解説は<こちら>から
《90周年によせて》
この曲は寿夫も父八世銕之亟もあまり好まない、どちらかというと嫌いな曲でした。しかし父は五十歳を過ぎた頃から『杜若』という曲は案外面白い曲かもしれないと言い始め、よく手がけるようになりました。
この曲は表面的に捉えてしまうと叙情的な方向に流れてしまい、少しいやらしい曲になりやすい傾向があります。そこが演者にとっては難しいところで、この曲を如何に硬質に技術的にきちんとやるか、そのことだけでも肉体的にも精神的にもハードルの高い曲と言えるわけです。
また「恋之舞」の小書の時に橋掛りを八橋に見立て、業平姿をしたシテが群生する杜若にじっと見惚れるその佇まいは、ナルシシズムの語源ともなった、水面に映る自分の姿に見入ったまま死んでしまい、その死後水仙の花となったナルキッソスのようだと両師はよく言われていました。
観世銕之丞