銕仙会

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曲目解説

江野島えのしま

海中から湧き出した霊地・江野島。神仙郷にも等しいこの島は、弁才天と五頭龍王の、夫婦の神が宿る島であった。願いを叶える女神と国土を守護する龍神とが織り成す、祝福の物語。

作者 観世長俊かんぜながとし
場所 相模国さがみのくに 江野島   (現在の神奈川県藤沢市   江の島)
季節 不詳
分類 脇能物  荒神物
登場人物
前シテ 漁翁 面:朝倉尉など 着流尉出立(一般的な老人の扮装)
後シテ 五頭ごず龍王 面:黒髭など 龍神出立(龍神の扮装)
前ツレ 若い漁師 直面 水衣男出立(労働する男性の扮装)
後ツレ 弁才天 面:増など 天女出立(女神の扮装)
子方 十五童子(2人) 水衣着流童子出立(童子の扮装)
ワキ 欽明天皇の勅使 大臣出立(廷臣の扮装)
ワキツレ 勅使の従者(2人) 大臣出立
間狂言 鵜の精 精出立(精霊の扮装)
※小書「道者」のときは、間狂言の内容が変わります(下記)。

概要

欽明天皇の御代。相模国の海上に一つの島が出現したとの報せを受け、勅使一行(ワキ・ワキツレ)が現地に赴くと、そこに漁翁(シテ)と若い漁師(ツレ)が現れる。二人は、「江野島」と名づけられたこの島の出現の経緯を語り、また島を守護する龍口たつのくち明神の故事を物語る。それによれば、昔殺生を繰り返していた五頭龍ごずりゅうがいたが、弁才天と夫婦となって悪心を翻し、龍口明神となったのだという。漁翁は、実は自分こそ龍口明神の化身なのだと明かすと、姿を消してしまう。夜、勅使一行が島に留まっていると、弁才天(後ツレ)が眷属の童子たち(子方)を伴って現れ、次いで五頭龍王(後シテ)が現れて、御代の守護を誓うのであった。

ストーリーと舞台の流れ

0 江野島の神殿をあらわす作リ物が舞台中央に運び出されます。

1 ワキ・ワキツレが登場し、自己紹介をします。

6世紀、欽明きんめい天皇の御代。都から遠く離れた相模国で、ひとつの奇跡が起こった。江野えのという浦の海上に一つの島が湧き出し、天女が降臨して島の出現を祝福したのである。その報せを受けた天皇は、使者(ワキ・ワキツレ)をその島へと遣わした。

2 シテ・ツレが登場します。

勅使が島に到着すると、そこに漁翁(シテ)と若い漁師(ツレ)が現れた。「この島は、神仙の秘境をも彷彿とさせ、まさに人間界の別天地ともいうべき地。一度でもこの島に参詣するならば、限りない功徳を得るだろう。恵み久しいこの御代の、ありがたいことよ…。」

3 ワキはシテに声を掛け、シテは江野島出現の経緯を語ります。

聞けば、漁師たちは毎日島を清めているのだという。勅使は彼らに、この島が出現した経緯を尋ねる。漁翁は答える。「あれは、欽明天皇13年、四月なかば。あたり一面を黒雲が覆い、激しい雨が降り続き、大地が震動すること十日余りに及びました。するとその時、天上界からは磐石が投げ下ろされ、海底からは砂が大量に吹き出したのです。天人・龍神、神々までもが現れて、島を造ってゆきます。そうしてできたのが、この江野島なのです…。」

4 シテは、神の島である江野島を讃え、治まる御代を讃美します。

このような奇跡が起こるのも、治まる治世の証。「この島を守護する神々は多い中にも、龍口たつのくちの明神は、弁才天と夫婦となられ、衆生済度の姿をお示しなさる。松吹く風、打ち寄せる波…、この島の全てが、神の御誓いを表しているのです。」
神の島、江野島。清らかな砂浜に、切り立った岩肌。島の奥にある巌窟は、遠く天竺までつながっているという…。

5 シテは、江野島の守護神である龍口の明神の由緒を語ります(〔クセ〕)。

――昔。鎌倉のはずれ、深沢の湖に、一匹の大蛇が住んでいた。五つの頭をもつ、恐ろしき姿。日本建国の昔から、人を取り喰らうこと数百年。人々は石窟に隠れ、嘆きつつ暮らすばかりであった。そのとき、弁才天が現れ、かの大蛇に告げたことには、「そなたが悪心を翻し、この国を守護するならば、そなたと夫婦になろう」と――。そこで大蛇は殺生をやめ、国土守護の龍神となった。これが、龍口の明神である…。

6 シテ・ツレは、自らの正体を明かして消え失せます(中入)。

老人の口から語られる、遠い昔の物語。「実は私こそ、そのいにしえの五頭龍…、今は龍口の明神となって、この島を守護しているのです。今宵の月光の下で、わが妻弁才天の姿をも、また我が姿をもお目にかけましょう。」そう告げると、二人は姿を消してしまった。

7 間狂言が登場し、江野島の由来を語り、〔三段之舞〕を舞います。
  ※小書「道者」のときは、間狂言の内容が変わります(後述)。

そこへ、この島に棲む鵜の精(間狂言)が現れた。勅使一行をもてなすようにとの弁才天からの命令を受けた鵜の精は、舞を舞って一行を慰める。

8 後ツレと子方が作リ物の中から登場し、後ツレは〔がく〕を舞います。

夜。島は澄んだ月光に照らされ、神秘的な雰囲気をたたえる。
そのとき、神殿の奥から、清らかな声が聞こえてきた。「願いを叶えるこの宝珠、これを帝に捧げましょう。治まる御代のめでたさよ…。」 神殿の扉が光かがやき、中から弁才天(後ツレ)が現れた。傍らには、眷属の童子たち(子方)。弁才天は、如意宝珠を勅使に捧げると、舞楽を奏ではじめる。極楽の菩薩もかくやとばかりの、神々しくも優美な姿。

9 後シテが現れ、〔舞働まいばたらき〕を舞って治世守護を誓い、この能が終わります。

そのとき。疾風が吹き乱れ、波は逆巻き、あたり一帯は黒雲に覆われ…、五頭龍王(後シテ)が姿を現した。今や国土守護の龍口明神となった五頭龍王の、威風堂々たるその姿。
勅使の前に進み出た龍王と弁才天は、末永く治世を守ろうと誓うと、龍王は島の周囲を飛びめぐり、弁才天も紫雲に乗って霊験を示す。実に有難い、神の御示現なのであった。

小書解説

道者どうしゃ

この小書がつくと、上記「7」の間狂言の場面が大きく変化します。
通常の演出では、鵜の精が単独で現れ舞を舞うのですが、この小書がつくと、鵜の精のほかにも江野島への参詣人や神職などが登場し、舞台が華やかになります。
舞台展開は、次のようになります。まず、江野島の弁才天に仕える神職(オモアイ)が登場し、勧進(寄付金集め)のために参詣人を待っていると、船頭(アドアイ)の漕ぐ舟に乗った参詣人たち(立衆たちしゅう)が現れます。神職は、弁才天の神徳を語り、参詣人たちが信心をおこすならば真鳥まとりすなわち鵜が出現するだろうと告げます。するとそこへ鵜の精(アドアイ)が登場し、舞を舞う、という展開になっています。
小書の名である「道者」とは参詣人のことで、寺社参詣でにぎわう中世社会の様子がいきいきと舞台上に再現される演出となっています。類似の演出は、竹生島ちくぶしまおよび〈白鬚しらひげ〉にも見られます。
本作では、この「道者」のほうが本来の演出であったと考えられており、後代に演出が整理され類型化されてゆく中で、上記「7」のような間狂言の形に置き換えられ、この「道者」は特殊演出として伝えられるようになったと考えられています。

みどころ

本作の舞台となっている、相模湾にうかぶ江ノ島(江野島)は、現在でも多くの観光客でにぎわう、有名な観光スポットとして知られています。

この江ノ島には、「裸弁天」の通称で知られる妙音弁財天像などが祀られており、弁才天(弁財天)の霊地として知られています。琵琶湖にうかぶ竹生島ちくぶしま、瀬戸内海の厳島神社とならんで「日本三大弁天」のひとつに数えられることもあり、日本有数の弁才天信仰の聖地として、古来多くの人々の信仰を集めてきました。

この江ノ島の弁才天にまつわる伝説として現在に語り継がれているのが、上記「5」の場面にも説かれる、龍口明神との婚姻譚です。「龍口たつのくち」という地名は、江ノ島の対岸、藤沢市片瀬の地に現在でも伝わっており、鎌倉新仏教の祖師のひとり日蓮にちれんが処刑されそうになった「龍口法難」の舞台としても知られていますが、同地にはこの龍口明神を祀った龍口りゅうこう明神社などが鎮座しており(現在は鎌倉市腰越に移転)、龍口明神への信仰は現在にまで続いているといえます。土地の伝説によれば、江ノ島に出現した弁才天に恋をし、弁才天と夫婦になるために悪心を翻した五頭龍王は、それ以来龍口山という山に姿を変え、その龍王の口にあたる地域が、「龍口」の名で呼ばれるようになったと伝えられており、夫婦の神である弁才天(江ノ島)と五頭龍王(龍口)とが海をはさんで向かい合っているとされています。同様の伝承は江ノ島にも伝わっており、現在では江ノ島に鎮座する江島神社は縁結びの神としても信仰を集めています。

本作では、五頭龍王(龍口明神)と弁才天という夫婦の神が、後シテと後ツレという形でセットで登場しますが、このように龍神と弁才天とがセットで登場する能には、本作のほか〈竹生島〉などがあります。弁才天は、能楽の成立した中世には宇賀神うがじんという蛇・龍の神と同一視されており、弁才天信仰と龍神信仰とは密接な関係にあったことが知られていますが、〈竹生島〉や本作でも、弁才天と龍神とがセットで登場することによってこの世に幸福をもたらすことが説かれており、こうした中世的な龍神・弁才天信仰のすがたを見ることができます。

願いを叶える弁才天と、国土を守護する龍神。夫婦の神による、御代への言祝ことほぎの物語が、本作では展開されているのです。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2017年5月)

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