仏原(ほとけのはら)
作者 | 不明 |
素材 | 『平家物語』巻一「祇王」・『地蔵菩薩霊験記』巻五等に見える仏御前の説話など |
場所 | 加賀の国仏の原 |
季節 | 秋 |
分類 | 三番目物・鬘物・大小物 |
登場人物・面・装束
前シテ | 仏の原の里の女 | 若女または深井、小面・唐織着流女出立 |
後シテ | 仏御前の亡霊 | 若女または深井、小面・立烏帽子長絹女出立(大口) |
ワキ | 旅の僧 | 着流僧出立または大口僧出立 |
ワキツレ | お供の僧 | 着流僧出立または大口僧出立 |
アイ | 仏の原の里の男 | 長上下出立 |
あらすじ
白山禅定を志す僧が加賀の国、仏原の草堂で里の女と出会います。女は、白拍子の仏御前は都で舞の名手としての名声を得て、後に故郷加賀で亡くなったと述べます。さらに祇王と仏御前の昔物語を語り、自分は仏御前とほのめかし消え失せました。里の男から話を聞いた僧が弔いをすると、仏御前の幽霊が現れ、弔いを感謝して舞を舞います。
舞台の流れ
- 囃子方が橋掛リから能舞台に登場し、地謡は切戸口から登場して、それぞれ所定の位置に座ります。
- 囃子方が「次第」の囃子を演奏すると、旅の僧たち(ワキ・ワキツレ)が舞台に登場します。
僧は修行のために白山を目指し、加賀の国(現在の石川県)仏の原にやって来ました。
日も暮れてきたので草葺きの小屋で一夜を明かすことにします。 - すると女(前シテ)が幕から呼び掛けつつ現れます。
今日は命日にあたるのでお経をあげてほしいと僧に願います。
僧が亡くなった人の名前を問うと、
女は、それは仏御前という白拍子で、加賀の国で生まれ、都に上って舞の名手として高い名声を得たこと、その後故郷に戻り、この草堂で死んだのですと答えました。
ここ仏の原は有名な仏御前の亡くなった所であり、今も昔の名残をとどめているので、今の弔いで疑いもなく成仏できると僧は言い、
しかも成仏につながるその人の名前は仏、頼もしいことよと、お経をあげます。
仏の原に経文が聞こえ、虫の音も響きを添え、山風、夜の嵐に草木が揺れて仏事をなします。草木にも心があるということなのでしょう。 - 女は僧にうながされ、祇王と仏御前の物語を舞台の中央に座って語り始めました。
昔、平清盛が祇王と祇女という姉妹の白拍子を寵愛していました。二人は艶やかな姿を美しい衣で飾り、いつも清盛の側から離れることがありませんでしたが、仏御前が召されると清盛は仏御前に心を移し、祇王を追い出したのでした。
祇王は、花の盛りもひとときのことなので散ってしまうこと、捨てられることを恨みには思いませんでした。
むしろ捨てられた時が来たことこそが仏の教えであると出家をし、仏の救いを求めて、西山の嵯峨野の奥に庵を結び、隠れ暮らしています。
すると思いがけないことに、ほかでもない仏御前が出家の姿で庵を訪ねてきたのです。
その姿を見た祇王は、わたしは出家をしたとはいえあなたを恨む執心が残っているのに、あなたはなんという気高い心をしているのでしょう、本当の仏ですと、手を合わせ、涙を流したのでした。
という昔の物語を女は語りました。 - 女は、自分は草堂の主[あるじ]であると言って、正体を仏御前とほのかめし、風になびく尾花や露をおいた草をかきわけ、草堂の内へと消えていきました(中入リ)。
- 仏の原の里に住む男(アイ)が僧に仏御前の話をし、弔いを勧めます。
- 僧たちは冷たい松風の吹く原で、夜通し仏御前の供養をします。
- 囃子方が「一声」を演奏する中、仏御前の亡霊(後シテ)が現われ、弔いを感謝します。
もう明け方も近いのでしょうか。遠くの寺の鐘が幽かに響き、月も山に沈みかかり、山嵐が吹いています。 - 仏の原の草むらに仏御前の美しい姿が見えます。
亡霊は仏と呼ばれる名前を便りにこの世に再び現れたと言い、昔の白拍子の舞を舞います。
その舞こそ、極楽世界の仏事となるのです。
仏御前が衣の美しい袖を返し舞うと、仏の原の草木をはじめすべてのものが成仏します。
仏御前の亡霊は静かにしっとりと「序ノ舞」を舞い始めました。 - 夜明けの鐘が響き、鳥も鳴いています。
夜半の出来事は夢まぼろし、はかないものです。
嵐が吹き、雲が波のように流れていきます。
亡霊は仏も人も同じ本性であるという人仏不二の真理を示し、消え失せてしまいました。 - シテが橋掛リから揚げ幕へ退場し、ワキ・ワキツレがその後に続きます。最後に囃子方が幕へ入り、地謡は切戸から退いて能が終わります。
ここに注目
『平家物語』に祇王が清盛の前で謡った今様(流行歌)が以下のように記されています。
仏も昔は凡夫[ぼんぶ]なり 我らも終には仏なり
いづれも仏性[ぶっしょう]具せる身をへだつるのみぞ悲しけれ
物語の中では祇王が、仏御前も同じ人間であるのに清盛が差別しているという意味で謡います。能〈仏原〉では、この今様を元にシテの仏御前をすでに仏性(仏の性質)を持っている存在として設定し、それゆえ仏の原の草木やすべてのものが成仏をするのだという思想を描きます。主題である人仏不二の真理をシテの舞にこめているといえます。
応永34年(1427)、興福寺大乗院の別当坊猿楽で音阿弥が上演した記録があり、世阿弥周辺で成立したと考えられ、金春禅竹の可能性もあげられています。能作史を研究するうえでポイントとなる作品です。
(文・中司由起子)