銕仙会

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曲目解説

岩船(いわふね)

◆別名

 岩舟(いわふね)  ※他流での表記。

◆登場人物

(前シテ) 童子  じつは天探女(あまのさくめ)の化身
後シテ 龍神
ワキ 勅使
ワキツレ 勅使の従者 【2‐3人】
(アイ) 魚の精
  ※前シテ・アイは、現在の観世流の演出では登場しません。

◆場所

 摂津国 住吉浦  〈現在の大阪府大阪市住吉区 住吉大社の付近〉

概要

とある帝の治世。大陸からの宝を買い取るべく、住吉浦に市場を設けよとの勅命が下された。勅使(ワキ・ワキツレ)が開設された市場を見ていると、〔一人の童子(前シテ)が現れる。宝珠を勅使へ捧げる童子。実はこの珠こそ、心に願うことを何でも叶えるという“如意宝珠”であった。童子は、治まる今の御代を祝福すると、この住吉浦の致景を見わたし、唐土の景勝地にも劣らぬこの浦の情趣を讃える。やがて童子は、天界から岩船を呼び寄せ、宝の数々を降らせようと言うと、姿を消す。実は彼こそ、いにしえ神々を乗せて岩船を地上界へと漕ぎ寄せた、天探女の化身であった。〕
やがて出現した、海底の龍神(後シテ)。龍神は、波に乗って宝の船の艫綱を引き寄せ、浦の岸に着かせると、宝の数々を山と積み上げ、治まる御代を祝福するのだった。
 ※現在の観世流の演出では、亀甲括弧〔〕を付した場面は上演されません。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

とある帝の御代。聡明な帝の善政によって、万民は繁栄を謳歌していた。そんななか下された、一つの勅命。それは、大陸から渡来する宝の数々を買い取るべく、住吉浦に市場を設けよとの命令であった。勅使たち(ワキ・ワキツレ)は宣旨を携え、現地へと急ぐ。
摂津国 住吉浦。“津守(つもり)の浦”とも呼ばれるこの浦は、大阪湾から瀬戸内海を経て大陸へと繋がる、古来よりの海の玄関口であった。

(2) 前シテが登場します。
  ※現在の観世流の演出では、この場面は上演されません。

やがて、唐土の宝を売り買う市場が、浦の浜辺に開かれた。多くの人々で賑わう市。するとそこへ、不思議な童子(前シテ)がやって来た。「慈悲深い住吉明神に見守られた、この住吉の里。その昔には、帝の行幸をお迎えする栄誉にもあずかった。都から十里も離れた地とはいえ、君の恵みに洩れることのない、日の本の国の有難さよ。月が昇り、汐が満ち来る時刻。松吹く風を受けながら、我々も市に出ようではないか——」。

(3) 前シテは、ワキへ宝珠を捧げます。
  ※現在の観世流の演出では、この場面は上演されません。

唐人の姿ながら、日本語を話す童子。見れば、宝珠を載せた銀盤を手にしていた。不審がる勅使へ、童子は言う。「私は、治まる御代を仰いでここへ参った者。この珠は秘蔵の品ではありますが、余りに素晴らしい御治世ですので、帝へ捧げようと持参しました。この珠こそは如意宝珠。“賢王の治世には天地も納受し、宝が出現する”と申します。盛んな交易の場となり、明神にも見守られて、君の御恵みにも洩れぬこの地の有難いこと…」。

(4) 前シテは、住吉浦の致景を讃えます。
  ※現在の観世流の演出では、この場面は上演されません。

浜の市場は人々で賑わい、売り買いされる宝の数々。しかし、松の梢を吹きぬける浦風の情趣こそ、千金を以てしても代え難いもの。店や家屋が建ち並び、住吉大社の威光が輝くこの里。時刻は夕暮れ時。大阪湾には淡路潟や絵島が月影に浮かび上がり、岸打つ波、松吹く風の音が聞こえてきた。その音色はまるで、ひそやかに囁く二人だけの秘密の言葉。かの白居易が琵琶の調べに涙したという潯陽の情趣も、この浦にはよもや及ぶまい——。

(5) 前シテは、自らの正体を明かして姿を消します。(中入)
  ※現在の観世流の演出では、この場面は上演されません。

やがて、時刻は夜。童子は言う。「さあ、天の岩船が寄り来る時分となりました。昇りゆく月とともに、天路へ急ぎましょう。天界のかなた、帝釈天の宝を降すべく、岩船をこの地へ呼び寄せるのです。かく言う私こそ、神代の昔、神々を岩船にお乗せして地上界へと漕ぎ寄せた、天探女の仮の姿。この列島に神々が宮殿を据えられたのも、この岩船に始まるのです…」 そう明かすと、折からの激しい風の中、童子は姿を消すのだった。

(6) アイが登場し、〔三段之舞〕を舞います。
  ※現在の観世流の演出では、この場面は上演されません。

そこへ現れた、海中に棲む魚の精(アイ)。魚の精は、治まる今の御代を喜び、捧げられた如意宝珠の威徳に思いを馳せつつ、勅使の姿を一目見ようとやって来たのだった。魚の精は、帝の善政ゆえに起こった今日の奇蹟を喜び、祝福の舞を奏でる。

7 後シテが出現し、威勢のほどを見せます。

やがて——。浦の波は激しく逆巻き、海底の龍神(後シテ)が姿を現した。神代の昔の吉例に基づき、治まる今の御代のため、宝の船を守護しようと宣言する龍神。龍神は、宝を買い取るべしとの勅命を遅滞なく遂行させようと、威勢のほどを顕示する。

8 後シテは宝をもたらし、御代を祝福します。(終)

岸打つ波こそ太鼓の響き。龍神は、波が奏でる拍子に合わせ、宝船の艫綱を引き寄せる。住吉浦の松風も、力を添えて吹き寄せよ。えいさらえいさ、えいやえいやと、宝を招く龍神の威勢。海中からは八大龍王が出現し、潮流に乗って船を導く。
こうして岸へと到着した御船。幾万もの宝の数々が、里へと運び出されてきた。山と降り積もる金銀珠玉。これこそが、治まる御代を守護する、神の恵みなのであった。

(文:中野顕正  最終更新:2025年06月16日)

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