銕仙会

銕仙会

菊慈童 (きくじどう)
 

作者  不明
素材  『太平記』巻十三「竜馬進奏事」などの慈童説話
場所  古代中国魏の国、酈縣山[れっけんざん]
季節  秋
分類  四番目物・唐物・太鼓物

 

登場人物・面・装束

シテ  慈童  慈童または童子・慈童出立
ワキ  臣下  唐冠狩衣大口出立
ワキツレ  臣下の従臣  洞烏帽子狩衣大口出立

 
あらすじ
 魏の文帝に仕える臣下が酈縣山の奥を訪ね、周の穆王[ぼくおう]に召し使われていた慈童と名乗る少年と言葉を交わします。周の時代は、魏の文帝より七百年も昔のことなので臣下は大いに驚きます。慈童は仏徳を讃える偈[げ]を記した枕を帝から賜わったことや、この偈を菊の葉に書き写すと葉の上に集まった露が薬水になったことを語ります。そしてその薬水を飲んで不老不死になったと告白し、御代を寿いで「楽」の舞を菊の花に戯れるように軽快に舞います。
 
舞台の流れ

  1. 囃子方が橋掛リから能舞台に登場し、地謡は切戸口から登場して、それぞれ所定の位置に座ります。
  2. 後見が菊の垣根の付いた一畳台・枕・藁屋の作リ物(舞台装置)を舞台に運び出し、それぞれ所定の位置に置く。
  3. 囃子方が「次第」という曲を演奏する中、舞台に魏の文帝に仕える臣下(ワキ)とその従臣(ワキツレ)が登場します。
    酈縣山の麓から薬の水がわき出たので、その水上を見てくるようにとの帝の命令で、臣下たちは酈縣山にやって来たのです。
    臣下たちの前に一軒の庵が見えてきました。一行はあたりの様子をうかがうことにします。庵の周りには美しい菊の花が咲いています。
  4. 藁屋の中から声が響いてきました。作リ物の藁屋に掛っている引回シが外され、床几に腰をかけている慈童(シテ)の姿が現れます。
    慈童は深い山に一人住む寂しさを謡います。
  5. 狐や狼の住むような山の中に住む慈童に驚いた臣下が名を尋ねると、慈童は、自分は周の時代の穆王に召し使われていた者と答えました。穆王の代は今の魏の文帝の時代よりも七百年も前のことなので、きっと化生の者であろうと臣下は慈童を問いただします。
    すると慈童は二句の偈(詩の形式をとる経文)を書き添えた帝の枕を賜ったのだと言い、臣下に枕を見せます。
    枕には二句の法華経の文句が記されており、慈童と臣下は声を合わせて読みあげます。
    慈童はこの経文を菊の葉に書きつけると、その葉にしただる露が不老不死の薬となって七百年の齢を得たと言うのでした。
  6. 慈童は「楽[がく]」の舞を舞います。
    「楽」は、どこか異国風に聞こえる笛の旋律が特徴です。はじめはゆったりと囃され、だんだんと速いテンポになっていくリズムカルな舞です。慈童は菊葉団扇を持ち足拍子をたくさんに踏み、楽しそうに舞います。
  7. 経文の功徳は菊の葉にうつり顕れたのです。菊の葉の雫からは菊の香りがただよい、その水がたまって渕となって谷陰から流れ落ちて、酈縣山の菊水の流れとなっています。
    空には宵の間の月。慈童は菊水を臣下に水を勧め、自分も飲み、酒に酔ったかのように一畳台の菊の垣根に行き、枕を戴いて帝の徳を称えます。
    そして菊を手折り伏せては敷き、袖を枕に、菊の花を筵[むしろ]にして横になってしまいました。
    しかし薬の酒であるので酔いつぶれることもなく起き上がって、老いることなく七百歳の命を保ったのも帝の枕のおかげであると言います。
    この御代も永く栄えるように長寿を君に授けましょうと告げ、飲んでも尽きることのない菊水を勧めると、山の中の仙人の住み家に入って行きました。
  8. シテが橋掛リから揚げ幕へ退場し、ワキがその後に続きます。後見が作リ物を幕へ運び入れてから、囃子方が幕へ入り、地謡は切戸から退いて能が終わります。

 
ここに注目
 本来は前半と後半に分かれた二場の能でしたが、慈童があやまって穆王の枕をまたいでしまい、罰として酈縣山に捨てられるという内容の前半を省略するようになりました。この〈菊慈童〉のように後半のみを演じる能を「半能」と言い、現在では〈菊慈童〉は半能形式でのみ上演されています。観世流以外ではこの〈菊慈童〉のことを〈枕慈童〉と呼んでいます。
 菊の霊力、すなわち薬水によって長寿と御代を寿ぐ内容で、まさに9月9日重陽の節句にふさわしい能です。
 
 
(文・中司由起子)

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