銕仙会

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曲目解説

水無月祓みなづきばらえ
夏も終わり、明日からは秋。澄んだ流れをたたえる賀茂の御手洗川では、半年のケガレを清める水無月祓がおこなわれている…。
涼しげな夏の風物詩を背景に、恋する男を思い慕う、狂女物の能。
作者 不詳  世阿弥か
場所 京都  御手洗川(下鴨神社の前を流れる、参拝者が身を清める川)
季節 6月30日(旧暦)
分類 四番目物  狂女物
登場人物
シテ 狂女 面:若女など  唐織脱下女または水衣女出立(狂女の扮装)
〔物著〕で烏帽子を着用する。
ワキ 都の男 素袍上下出立(普通の男性の扮装)
間狂言 所の者 長裃出立(庶民の扮装)

概要

都に住む男(ワキ)は、かつて室の津の遊女と契っていたものの、彼女は今や行方知れずとなり、途方に暮れている。ところで今日は六月の晦日なので、男は夏越の祓のために賀茂社に参詣した。そこへ巫女のような姿をした狂女(シテ)が現れ、夏越の祓や茅の輪くぐりの由緒を語り、面白く狂い舞うが、やがて水に映ったわが身の浅ましさを見て泣き伏す。実はこの狂女こそ昔契った女だと気づいた男は、正体を明かして再び夫婦となるのであった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場し、自己紹介をします。

京都・下京(しもぎょう)に住む、一人の男(ワキ)がいた。彼は訳あって長いあいだ播州室の津で暮らしており、そこで一人の女と契りを交わしていた。今、都に戻ることになったので、妻として迎えるため人を遣わしたところ、なんとその女はもう今はいないという。今となっては探すあてもないのであった…。
ところで、今日は六月三十日に当るので、男は夏越の祓(なごしのはらえ)のため、賀茂社に参詣する。せっかくの機会と、かの女との再会を神に願おうと心に決める。

2 ワキは間狂言と言葉を交わします。

道中、この地の住人(間狂言)と出会い、彼も賀茂社へ参詣するというので、男は彼と世間話をしながら一緒に賀茂社を目指して歩いてゆくことにした。
聞けば、最近賀茂の御手洗川(みたらしがわ)に、巫女のような格好をした狂女が現れて、六月祓の茅の輪の謂われを面白おかしく語るのだという。男は、せっかくなのでその物狂いを見物しようという。

3 シテが登場し、〔カケリ〕を舞って狂乱の態を見せます。

賀茂社の前を流れる御手洗川は、清らかな流れをたたえている。
そこへ、噂の狂女(シテ)が現れた。「恋路をただす神様。賀茂の河原に御祓(みそぎ)して、逢瀬を神に祈りましょう…」
夏から秋へと移りゆき、涼しい風が心地よい。水も澄みわたる、御手洗の河原の様子である。

4 シテはワキの求めに応じ、御祓の謂われを語ります(〔語リ〕)。

男は現れた狂女に声をかけ、御祓の謂われを聞きたいと所望する。女は語って聞かせる。
──昔、天照大神さまが日本の地の主となられた折、荒ぶる神々が、夏の蝿の飛び騒ぐように障りをなしたので、事代主神(ことしろぬしのかみ)が荒ぶる神々を宥め、お祓いになりました。それで古歌にも「五月蝿(さばえ)なす荒ぶる神もおしなべて今日は夏越の祓(はらえ)なるらん」と言うのです。このように有難いお祓いですから、茅の輪を越えれば輪廻を離れ、迷いの雲も消えるのですよ…。

5 シテは面白く狂い舞います(〔クルイ〕)。

「さあ、茅の輪をくぐりましょう。さあさあ、この茅の輪をくぐりましょう。夏越の祓をする人は、千年の寿命を保つのだとか。今日は夏越の日、清らかなこの御祓川で、身を清め正直な心で、神様にお参りしましょうよ…。」 狂女は、面白く狂い舞う。

6 シテは〔物著(ものぎ)〕で烏帽子をつけ、〔中之舞〕を舞います。

狂女は、観客たちに所望され、烏帽子をつけて更に面白く狂い舞う。
──神の御心のように清く澄んだ御祓川。今この水に影を映す、舞の袖は神への手向け…。

7 舞い終えたシテは、水に映った自分の姿を見て涙にむせびます。

女はもとより狂気の身。水に映った姿を見れば、お歯黒や眉、髪も乱れて、浅ましく恥ずかしいものであった。女は、このわが身の今の有り様を見ては、地に倒れ伏してただ泣き続けるばかりであった。

8 ワキは自分の正体を明かし、夫婦が再会してこの能が終わります。

そのとき、男は狂女に声をかける。「なんと、さては離れ離れになっていた妻ではないか。昔とはうって変わっての、衰えた姿のいたわしさよ…」 はじめは狂気ゆえの幻聴かと思っていた狂女だったが、よくよく見れば、それは確かに昔契った夫ではないか。
──こうして夫婦が巡り逢えたのも、賀茂の神様のお恵みであった。神前に感謝の祈りを捧げた夫婦は、二人連れ立って帰って行ったのであった…。

みどころ

明治初年まで日本で使われていた太陰太陽暦(旧暦)では、1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬とされ、6月と12月の晦日(月の最終日)には、それまでの半年間のケガレを清めるためにお祓いをしていました。これを大祓(おおはらえ)といい、6月のそれを特に水無月祓(みなづきばらえ)、あるいは夏越の祓(なごしのはらえ)といいました。
水無月祓の季節には、神社の入り口に茅の輪(ちのわ)という巨大な輪が設けられ、参拝者はこの輪をくぐることで身が清まるとされています。現在では、新暦の6月30日に合わせておこなっている神社も多いですが、いずれにせよそれまでの半年間の総決算として、身も心も清まる思いがします。
本作の舞台となっている賀茂社は、雷の神をまつる上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と、その親神をまつる下鴨神社(しもがもじんじゃ)からなっています。農耕民族である日本人にとって、夏の雷雨は豊作をもたらす恵みの雨であり、夏の風物詩でありました。
本作にも登場する、下鴨神社前を流れる御手洗川(みたらしがわ)は、清らかで涼しげな流れをたたえる川として京都の人々に愛され、本作のほか同じく賀茂社を舞台とする能〈賀茂〉などでもその涼しげな川の流れが描かれています。
賀茂社の水無月祓の、夏の風物詩としての涼しげな様子は、たとえば百人一首の「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」にも詠まれ、暑い盛りに、澄んだ小川の流れが心地よく感じられます。今日を過ぎれば明日からは秋、涼しい風も吹き始める頃。古今集の歌に「夏と秋と行き交ふ空の通ひ路はかたへ涼しき風や吹くらむ」とありますが、まさに夏の終わりと秋の訪れを告げる、そんな日の行事となっています。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2017年5月)

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