銕仙会

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曲目解説

盛久(もりひさ)

◆登場人物

シテ 平盛久
ワキ 土屋某
ワキツレ 土屋某の家臣
ワキツレ 輿を担ぐ役人 【2人】
アイ 土屋某の従者
※物語中では源頼朝も登場しますが、舞台上には登場しません。

◆場所

【1~2】

 京都 清水寺  〈現在の京都市東山区清水〉

【3】

 京都から鎌倉への道中

【4~6】

 相模国 鎌倉 土屋某の館  〈現在の神奈川県鎌倉市〉

【7~8】

 相模国 鎌倉 由比浜(ゆいがはま)

【9~12】

 相模国 鎌倉 源頼朝の御所

概要

源平合戦の後、捕虜となった平家の侍・盛久(シテ)は、京から鎌倉へ護送されるに先立ち、長年信仰する清水寺への参拝を願い出た。本尊・観音菩薩へ今生の暇乞いを済ませ、東国へと下ってゆく一行。やがて鎌倉に到着した盛久は、処刑前夜、彼を世話する御家人の土屋某(ワキ)に対して自らの覚悟のほどを語ると、『法華経』の普門品(ふもんぼん)を読誦し、そこに説かれた観音菩薩の功徳に思いを馳せる。
明朝、処刑場に赴いた盛久。しかし、まさに処刑というその時、斬首の太刀が折れ、盛久は助かる。すぐさま頼朝の御前へと召された盛久。盛久は、頼朝からの下問に答え、この暁の夢に観音の化身が現れて「汝に代わるべし」と告げたことを明かす。すると、何と頼朝も同じ夢を見たと言う。観音の功徳によって助かったのだと知り、感涙に咽ぶ盛久。頼朝はそんな盛久のために酒宴を催し、盛久は颯爽と舞を舞うのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレ一行に伴われ、シテが登場します。

「土屋どの。このたび鎌倉へ赴けば、二度と京へ帰ることは叶わないでしょう。最後にもう一度、私が日頃信仰する清水寺の観音様へ、参詣を許して下さいませんか——」。
源平合戦から間もない頃。平家に仕える侍・盛久(シテ)は、源氏方に捕らえられ、捕虜として鎌倉へ移される身となった。護送の役をつとめる土屋某(ワキ)は、盛久の願いを聞き入れ、京を出発するに先立って清水寺へと輿を向ける。

2 シテは、清水寺で祈りを捧げます。

「大慈大悲の観音様は、ひとたび祈っただけでも願いを叶えて下さるとか。まして長年、この寺に祈りを捧げてきた私。観音様と結ばせて頂いたご縁は、決して空しいものではないはず。ああ、お名残り惜しい限り——」。
名高い清水の花盛り。都の方を振り返れば、あたかも柳桜が織りなす春の錦。しかしそんな春の風情も、これで見納め。弓矢の家に生まれ、武勇に名を挙げたばっかりに、今や思いのほかの旅路をゆく身となった。それは、二度と戻れぬ、関東への旅…。

3 シテ・ワキ一行は、鎌倉へと旅をします。

京を出、鎌倉への旅路をゆく一行。通過してゆく土地の数々は、かつて東国へと旅した人々の、記憶を今に伝える地。逢坂山、勢多の長橋、鏡山。美濃を行き、尾張を過ぎ、三河の八橋を越えてゆく。やがて通過した小夜の中山——それは、かつて西行法師がこの地を訪れ、自らの命に思いを致した場所。間もなく終わる人生を思いつつ、なおも旅を続ける盛久たち。富士・箱根の山を過ぎゆけば、一行は、早くも鎌倉に着いたのだった。

4 シテは、自らの心中を述懐します。

土屋の館に入った盛久。盛久は今の境遇を歎き、深夜、ひとり物思いに耽る。
「無という境地の中に、悟りの道は存在する。しかしそれに気づかぬ私は、徒らに旅路を彷徨い歩いてきた。そうして今や、この鎌倉の地で、ただ死を待つばかりの身。思えば百年の栄華とて、塵にまみれた夢に過ぎぬ。末永く一緒にと誓った友もここにはなく、今や私はたった一人。こうして生き恥を晒すくらいなら、すぐにも斬られたいものだ——」。

5 ワキはシテと面会し、処刑の命令が下ったことを伝えます。

そこへやって来た土屋。聞けば、すぐさま斬首せよとの頼朝の命令が下ったという。処刑はこの明け方か、遅くとも明日の晩には執行されるだろうと告げる土屋。しかし盛久は動じることなく、これまでの土屋の厚情に感謝の言葉を述べる。
長年清水寺を信仰し、観音菩薩に祈りを捧げてきた盛久。盛久は、今日の分の読経をこれから行おうと述べる。せっかくの機会と、土屋も経を聴聞することとした。

6 シテは、経文についてワキと語り合います。

読誦するのは、観音菩薩の功徳を説いた『法華経』の一章「普門品(ふもんぼん)」。観音様に託すのは、現世の願いや来世の頼み。『例えば王に囚われ、処刑される身となったとき、観音の力を信ずるならば、斬首の刀は忽ちに砕けてしまうだろう』 そう説かれた経文の一節を、盛久は高らかに唱え上げる。
今の境遇にぴったりのこの経文に、きっと命も助かるだろうと慰める土屋。しかし盛久は言う。命が惜しいのではない。死後の苦しみを免れるため、観音の力にすがるのだ——。

7 シテは、ワキ一行に伴われ、刑場へと向かいます。

その夜。暫しの眠りについた盛久は、何やら不思議な霊夢を受けた様子。
やがて、夜明けの時刻が近づいてきた。かねて覚悟の盛久は、経典と数珠とを手に、護衛に伴われて刑場へと向かう。それは、冥途の世界への、旅の門出であった。

8 ワキツレ(家臣)が斬首しようとしますが、太刀は折れてしまいます。

由比浜の刑場に着いた盛久。彼は清水寺の方角を拝み、静かに斬首の時を待つ。土屋の家臣(ワキツレ)は盛久の背後にまわり、処刑の太刀を振り上げた。
ところがそのとき。経巻から放たれた光に、眼の眩んだ従者は太刀を落としてしまう。地に落ちた太刀を見れば、真っ二つに折れていた。さながら経文に説かれた通りの事態に、呆然とする盛久たち。人々はこの奇蹟を前に、偽りなき経典の功徳を思うのだった。

9 アイが登場して状況を説明し、次いでシテは頼朝の御前に進み出ます。

その噂は、間もなく源頼朝の耳にも届いた。急ぎ盛久に対面したいとの命令が下り、土屋の従者(アイ)たちはこの火急の命令に対応すべく、急いで支度を整える。
やがて、武士の正装である烏帽子・直垂に姿を改め、頼朝の御前に進み出た盛久。聞けば頼朝は、昨晩不思議な霊夢を見たという。もしや、盛久も何か夢を見たのではないか。そう尋ねる頼朝へ、盛久は、昨夜見た夢の内容を明かす。

10 シテは、霊夢の内容を明かします(〔クセ〕)。

——観音様に祈るのもこれが最後と、読経に励んでいた昨夜。すると暁どき、齢八十ばかりの老僧が、香色の袈裟に水晶の数珠という気高い姿で、鳩の杖にすがりつつ現れたのです。「我こそは、京都 清水からやって来た者。菩薩の誓願は空しからぬというが、中でも汝は長年信仰を寄せ、仏道への願いは余人に代えがたいほど。安心するがよい、この私が、汝に代わってやろうぞ——」 そう聞くや否や、夢は忽ち覚めたのでした…。

11 シテは頼朝の言葉を聞かされ、観音菩薩の功徳を確信します。

霊夢の内容を語る盛久。すると頼朝は、意外な言葉を口にした。実は、頼朝がこの暁に見た夢というのも、それと同じ内容だったというのだ。さては疑いなく、清水の観音様のご利益であったのか。夢から覚めた心地の盛久。彼の目からは、自ずと涙が溢れ出す。
感涙の余り、御前を退出しようとする盛久。しかし、観音の奇蹟に心動かされた頼朝は、そんな彼を呼び止めると、彼の命が末永からんことを祝い、盃を与えてやるのだった。

12 シテは、酒宴の座で颯爽と舞を舞い(〔男舞〕)、御前を退出します。(終)

盛久といえば、かつて平重盛の催した酒宴の折、立派に舞を舞いおおせて名を上げた者。関東までも隠れないその噂に、頼朝は是非ともと舞を一さし所望する。しかも今日は喜びの酒宴の席。盛久は、治まる御代を言祝ぎ、颯爽と舞を舞いはじめた。
季節は春。曇りなき青空の下、日の光に包まれて、鶴岡八幡宮の松の緑も鮮やかに照り映える。そんな中、盛久はみごと舞を舞い納めると、御前を退出してゆくのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2023年08月06日)

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