銕仙会

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曲目解説

求塚もとめづか

わが身の存在ゆえに男の心を惑わせ、板挟みになった一人の女性。生きることに堪えかね身を投げた彼女を待ち受けていたのは、死してなお続く苦患の日々…。

作者

〔原作〕観阿弥

〔改作〕世阿弥

場所

摂津国 生田の里  (現在の兵庫県神戸市 処女塚(おとめづか)古墳)

季節

早春

分類

四番目物 執心女物

登場人物

前シテ

菜摘みの女  じつは菟名日処女の霊

面:若女など 水衣女出立(労働に従事する女性の扮装)

後シテ

菟名日処女(うないおとめ)の亡霊

面:痩女 壺折大口痩女出立(地獄で責めを受ける女の扮装)

ツレ

菜摘みの女(2人)

面:小面 水衣女出立

ワキ

旅の僧

着流僧出立(一般的な僧侶の扮装)

ワキツレ

同行の僧(2‐3人)

着流僧出立

アイ

土地の男

長裃出立(庶民の扮装)

概要

早春のある日。僧の一行(ワキ・ワキツレ)が生田の里に到ると、菜摘みの女たち(前シテ・ツレ)が現れる。女たちは僧を土地の名所へと案内するが、僧が“求塚”の名を出すや、女たちは一斉に口をつぐみ、菜摘みに興じつつ帰っていってしまう。ところが、その中の一人(前シテ)だけはその場に残ると、僧を求塚へ案内する。この塚は、想いを寄せる二人の男の間で板挟みとなり入水自殺した、菟名日処女の墓であった。女は処女の故事を身の上のように語ると、救済を願いつつ姿を消してしまう。

僧が弔っていると、地獄の苦患に憔悴した姿の処女の亡霊(後シテ)が現れた。仏法の力によって視界を覆う業火の煙を晴らした処女だったが、そこに現れたのは、二人の男と、その争いに巻き込まれて死んだ鴛鴦の亡魂であった。地獄の炎で焼き尽くされ、責め苛まれる処女。彼女は果てなき闇路に迷い続ける姿を見せつつ、消えてゆくのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

摂津国 生田の里。都から西国への途上に位置するこの里は、古歌にも詠まれた景勝の地。それは、まだ冴え残る寒さの中にも春の兆しが感じられる、早春のある日のこと。

この里へとさしかかった、僧の一行(ワキ・ワキツレ)。西国で日々を過ごしていた彼らは、まだ見ぬ都への旅を志し、こうしてやって来たところ。遥々の船路を渡り、目指す京へはあと少し。一行は、名高き生田の里を見物しようと、暫し足を休めることにした。

2 前シテ・ツレが登場します。

そこへ、若菜摘みの女たち(前シテ・ツレ)が現れた。朝の冷気を帯びた風が吹きぬけてゆく野の中で、歌をうたう女たち。「心待ちにしていた春が訪れ、雪の間に生命の息吹が顔をのぞかせる頃。この鄙の里の、雪に隠された道なき道を踏み分けて、沢辺の若菜を摘みましょう。寒さの残るこの野を分けて、七草を摘みに行きましょう――」。

3 ワキは前シテ・ツレに言葉をかけ、土地の名所を教わります。

女たちに声をかける僧。この里の名所を尋ねる彼に、女たちは一つひとつ教えてゆく。生田の森、生田川、小野。名高き歌枕の数々へと案内された僧は、次は“求塚”に行きたいと言う。ところが、女たちの反応は意外なものだった。「聞いたことはありますが、いったいどこにあるのやら…。私達は若菜を摘む合間、貴方も都へ上る道中。由なきことで時間を取りました。もはや里の案内も終わりにしましょう」。

4 前シテ・ツレは菜摘みの風情を謡い、ツレは去ってゆきます。

菜摘みに興じる女たち。『さあさあ、若菜を摘みましょう。翠の水には青々とした芹。冬の面影を残す野を見れば、春の新芽はまだ雪の下。しかし去年の古い葉も、やがては新しい芽吹きの種となり、春の景色を彩りゆく。…そんな春の盛りはまだ遠く、川風が身に沁みる今日。この若菜たちは摘み残し、もはや帰ることにしましょう――』 そう歌いつつ、彼女たちは家路へと帰ってしまうのだった。

5 前シテはひとり舞台に残り、ワキを求塚へと案内します。

去っていった女たち。しかし一人の女(前シテ)だけは、その場を動こうとしない。女は告げる。「お尋ねの求塚へ、お連れしましょう」 古い墳墓へと案内する女。彼女は語る。

――昔、この里に住む菟名日処女へと想いを寄せる、二人の男がいました。小竹田男(ささだおのこ)・血沼丈夫(ちぬのますらお)と名乗る二人は、どちらも深く彼女を慕います。その勝劣のつけ難さは、二人の恋文が同日同時刻に届くほど。処女は戸惑います。想いの強さを比べようと生田川の鴛鴦を射させれば、二人の矢が同じ翼に命中するほどでした…。

6 前シテは自らの正体を仄めかし、姿を消します。(中入)

「そのとき私は思ったのです。あの鴛鴦の命を奪ったのもこの身の罪。生きてゆくのももう限界、いっそ身を捨ててしまえたらと…。“生きる”とは名ばかりの、この生田川の藻屑と消えた私。すると、その私を葬った塚を求め、二人の男はやって来ます。後を追って刺し違えた二人。そのことまでもが、罪業となって身を苦しめ苛むのです…」 身の上のように語る女。彼女はそう明かすと、救いを願いつつ姿を消すのだった。

7 アイが登場し、ワキに菟名日処女の故事を物語ります。

そこへ通りかかった、この土地の男(アイ)。僧は彼を呼び止め、求塚の故事を尋ねる。男の語る昔物語を聞いていた僧は、先刻の女こそ処女の亡霊だと確信するのだった。

8 ワキ・ワキツレが弔っていると、後シテが出現します。

いま明かされる、血塗られた里の記憶。僧は彼女の跡を憐れみ、懇ろに経を手向ける。

そのとき、塚から声が聞こえてきた。「古塚に漂う魄霊は、生々流転の世のすがた。人の心は無限に生滅を繰り返す。冥途へ去って幾星霜、とめどなく湧き溢れつづける思いに埋もれも果てず、この身を焼き苦しめ続ける罪。これが、その業火の巷なのです…」 姿を現した声の主。それこそ、菟名日処女の亡霊(後シテ)であった。

9 後シテは弔いに感謝しますが、やがて罪に苦しむ姿を見せます。

在りし日の面影は既になく、憔悴しきった処女。今なお地獄で苦しむ彼女は、僧の回向に感謝する。「有難いこと。お弔いの力によって、苦しみは少し和らぎました…」。

次第に晴れてゆく、彼女の視界を覆っていた業火の煙。しかしそのとき、彼女は恐怖に震えおののく。眼に映ったのは、自分の両手を引く二人の男。空には鴛鴦の亡魂が鉄鳥と変じて現れ、彼女の脳髄を抉り責める。塚の上には炎が上がり、地獄の鬼が現れた。たまらず柱に縋りつけば、柱は炎の渦となってわが身を包む。「あぁ、熱い、熱い…!」。

10 後シテは地獄の責め苦のさまを見せ、消えてゆきます。(終)

崩れ落ちる処女。辛うじて起き上がると、すぐさま鬼が彼女を責め立てる。八大地獄をさまよい歩き、無間の底へと堕ちてゆく彼女。そんな絶え間なき苦患の連鎖にも、やがて、業火の和らぐ時間が訪れた。しかしそれは、あらゆる物が、光さえもが消え果ててしまった暗闇の世界。孤独と不安に耐えきれず、彼女の心はまたもや業火の巷を求めてしまう。静まりかえった漆黒の黄泉路を、処女はただひとり、帰ってゆくのだった――。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2018年10月)
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