銕仙会

銕仙会

曲目解説

蝉丸(せみまる)

◆登場人物

シテ 皇女・逆髪宮(さかがみのみや)
ツレ 皇子・蝉丸宮(せみまるのみや)
ワキ 醍醐天皇の臣下 清貫(きよつら)
ワキツレ 輿を担ぐ役人 【2人】
アイ 博雅三位(はくがのさんみ)

◆場所

 山城・近江国境 逢坂山(おうさかやま)  〈現在の滋賀県大津市逢坂付近〉

概要

醍醐天皇の御代。生まれつき盲目の皇子・蝉丸(ツレ)は、勅命により、逢坂山に棄てられることとなった。供をした清貫(ワキ)は、非情な命令に心を痛めつつも、彼を出家させて蓑笠や杖を与えると、泣く泣く都へ帰ってゆく。山中に遺された蝉丸は、その琵琶の腕前を聞いた博雅三位(アイ)の世話により、同地に庵を結んで日々を送るのだった。
その頃、皇女・逆髪(シテ)は、狂乱のあまり京の都を彷徨い出、逢坂山へと差しかかっていた。折しも村雨の夜、琵琶を弾きつつ心を慰めていた蝉丸。その音を聞いた逆髪は、弟の存在に気づく。再会を喜び、互いの境遇を嘆きあう二人。ひとり寂しく過ごす今の日々の思いを吐露し、互いの悲しみを慰めあう語らいのひととき。しやしやがて、逆髪は次なる旅路へと出発してゆき、二人は今生の別れを惜しむのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレに伴われ、ツレが登場します。

平安時代。醍醐天皇の第四子・蝉丸宮(ツレ)は、生まれつき目が見えない病に罹かり、暗闇の中で日々を過ごしていた。そんな蝉丸に下された、帝の判断。それは、京の都から程遠く、逢坂山の山中に棄てて来いというものだった。非情な内容とはいえ、ひとたび命令が下された以上、必ず履行せねばならないのが掟。勅命を承った清貫(ワキ)は、胸を痛めつつも、蝉丸を輿に乗せ、逢坂山へと連れて行くところである。

2 ツレは覚悟のほどを語り、ワキはツレを出家させます。

逢坂山に着いた一行。心を痛める清貫へ、蝉丸は告げる。思えば、自分が盲目の身と生まれたのは、前世の行いゆえ。こうして山野に棄てられるのも、この世で前世からの罪を全て清算させようとの、親の愛情なのだ——。蝉丸は、健気にもそう言い聞かせる。
そのとき清貫は、蝉丸の髪を剃ってしまう。蝉丸を出家者の姿にすること、それが父帝の命令だったのだ。

3 ワキ・ワキツレは、ツレを残して去ってゆきます。

生まれつき目の見えぬ蝉丸。出家という概念も、蓑笠や杖をまとった姿も、これまでは詩歌でその名を聞くばかりだった。しかし今、そんな姿に身を変えて、これからの人生を始めようとしている。そんな皇子の成りゆく果てを、さあ、人々も見るがよい…。
嘆き続ける一行。そうする内にも時刻は移り、清貫たちは帰ってゆく。ただ一人その場に遺された蝉丸は、琵琶を抱いたまま杖にすがり、地に伏して泣き叫ぶのだった。

4 アイが登場し、ツレの世話をします。

蝉丸が棄てられたとの噂は、やがて人々の知る所となった。琵琶の名手である蝉丸に特別の思いを寄せていた博雅三位(アイ)は、蝉丸の境遇に心痛め、彼のために小さな庵を設けてやる。博雅の献身的な世話により、蝉丸は命を継ぐことが叶うのだった。

5 シテが登場し、心乱れるさまを見せます(〔カケリ〕)。

その頃、京の都では——。醍醐天皇の第三皇女・逆髪宮(シテ)は、ある時、どうしたわけか俄かに狂乱し、美しかった髪も逆立ち乱れてしまった。狂気のままに御所を飛び出した彼女は、道行く子供らの嘲笑を受けつつ、あてどない放浪の旅へと赴く。
「思えば、これとても真理の姿。地中の種はやがて高い梢に花を咲かせ、遥かなる天の月は水底に影を宿すではないか。元来この世には、順もなければ逆もない。貴種から卑しい庶民へと身を落とすのも、髪が体から天へと伸びるのも、全ては真理の表れなのだ…」。

6 シテは、放浪の旅の中で逢坂山へとやって来ます(〔道行(みちゆき)〕)。

鴨川を渡り、都を彷徨い出た逆髪。通過してゆく土地の数々は、かつて東国へと旅した人々の、記憶を今に伝える地。都の境という音羽山も、気づけば早くも通り過ぎた。清滝川の名を見ては、狂気ながらも清いままの、我が心ざまに思いを馳せる。秋の虫の鳴く野を過ぎ、とうとう差しかかった逢坂山。ここを越えれば、いよいよ畿内を離れるのだ…。
関のほとりに涌く清水へと、影を映した逆髪。しかし水面に映るのは、茨の髪やぼさぼさに黒ずんだ眉であった。この今のわが姿の、何と醜い有様よ——。

7 シテは、ツレと再会します。

折から村雨の降る、物寂しい夜。庵の中では、蝉丸が琵琶を弾いて心を慰めていた。『いかなる生き方とて、世の理の姿に他ならぬ。宮殿も茅屋も、何の違いがあろうか…』。
そんな彼の琵琶の音は、逆髪の耳にも届いた。庵に寄り添い、静かに耳を傾ける彼女。その気配に気づいた蝉丸は、また博雅が訪ねて来たのかと声をかける。その声に、音の主こそ弟の蝉丸だと気づいた逆髪。彼女は庵の内へ声をかけ、二人は再会を果たすのだった。

8 シテ・ツレは、今の境遇を嘆きあいます(〔クセ〕)。

互いに手を取り、涙に咽ぶ姉弟。二人は、今の境遇を嘆きあう。
——日月は地に堕ちぬというが、どうして私達は皇族を放たれ、物乞いに生きる賤しい身となったのか。玉の御殿に暮らしていた昨日に引きかえ、今日からは藁と竹の粗末な庵。人音もないこの山中、村雨の音に添えて琵琶を奏でても、自らの泣く声だけが、庵の内を空しく抜けてゆく。折々は月の光が洩れ来るが、盲目の身には見ることすら叶わず、藁の屋根には雨音も聞こえない。そんな心を慰める術もない、今の日々なのだ…。

9 シテ・ツレは、今生の別れをします。(終)

名残りは尽きぬもの。しかし、放浪という運命を背負った逆髪には、いつまでもこの地に留まり続けることは出来なかった。姉弟の縁を思い、別れを惜しむ蝉丸。そんな彼に、逆髪は言う。こうして旅を続ければ、きっと、心を慰める場所も見つかるはずなのだ…。彼女はそう告げると、後ろ髪を引かれつつも、この逢坂山を去ってゆく。
「またいつか、いつか必ず——」 その声だけが、あとには幽かに残るのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2023年06月26日)

舞台写真

能楽事典
定期公演
青山能
チケットお申し込み
方法のご案内