銕仙会

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曲目解説

隅田川(すみだがわ)

◆別名

 角田川(すみだがわ)  ※他流での表記。

◆登場人物

シテ 梅若丸の母(物狂い)
ツレ 梅若丸の幽霊
ワキ 船頭
ワキツレ 旅の男

◆場所

 武蔵・下総国境 隅田川のほとり  〈現在の東京都墨田区〉

概要

隅田川の渡し場。船頭(ワキ)が旅人らを舟に乗せていると、都から狂女(シテ)が下ってきた。人身売買人に攫われた一人息子を尋ねて心乱れ、昔の在原業平に思いを馳せつつ戯れる彼女。そんな彼女も乗客に加わり、やがて舟は出発する。
舟を漕ぎつつ、去年この地で起こった出来事を語る船頭。それは、都から連れられてきた一人の幼子が、この地で亡くなったという話であった。やがて舟は対岸へ到着したが、狂女はひとり舟の中で泣き続けていた。実は彼女こそ、その子の母親だったのだ。
その夜、わが子の墓前で追悼の大念仏に参加する彼女。すると、群衆の念仏の声に混じって、子供の声が聞こえてきた。やがて姿を現した、子の幽霊(子方)。手を取り交わそうとする母だったが、幽霊は彼女の手をすり抜けると、そのまま消えてしまうのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場し、次いでワキツレが登場します。

春の隅田川。空には鳥が舞い飛び、岸には心地よい風が抜けてゆく。渡し場では船頭(ワキ)が、乗客の揃うのをのんびりと待っていた。そんな、長閑なある日のこと。
そんな中やって来た、都からの旅人(ワキツレ)。遥々の旅路の末、この東国の大河までやって来た彼。こうして乗客も揃い、いよいよ出発というその時——。
いま旅人の通って来た道が、何やら騒がしい。聞けば、都から女の物狂いが下って来たのだという。船頭は、その女を待ってみることとした。

2 シテが登場し、心乱れるさまを見せます(〔カケリ〕)。

やがてやって来た、一人の狂女(シテ)。もと京都 北白川の住人であった彼女は、ある日、人身売買人によって、息子を攫われてしまった。聞けば、その行く先は遥か東国。悲しみゆえに心乱れた彼女は、風の便りに身を任せ、遥かの旅路を急ぐ。もとより頼み少なき、一世限りの親子の仲。そんな今生での関係すら引き裂かれ、わが子への思いは募るばかり。彼女は、愛する一人息子の面影を追い求め、遠い東路の果てへと向かうのだった。

3 シテはワキと言葉を交わし、在原業平の昔を偲んで浮かれ舞います。

舟に乗ろうとする彼女。しかし船頭は、都の狂女ならば芸を見せろと意地悪を言う。そんな船頭へ、彼女は言い返す。「隅田川の船頭なら、かの在原業平の昔のように、『日も暮れてきた、舟に乗れ』と仰るべきでしょう。そう、業平が愛する人への思いを都鳥に託したのも、ちょうどこの川だった——」 すっかり業平になりきり、ひとり浮かれだした彼女。「東国にいた業平は都の恋人を想い、都人の私は東に行ってしまったあの子を慕う。業平も私も、思いは同じ。だから船頭さん、舟に乗せて下さいな…」。

4 シテも乗船し、舟は出発します。

こうして狂女も乗船し、いよいよ舟は出発した。一行はゆっくりと、対岸に向かって進んでゆく。見れば、対岸の柳のもとには、何やら人々が集まっている様子。船頭は、あれはある人を弔うための大念仏の集まりだと教えると、その謂われを語りはじめる。

5 ワキは、大念仏の謂われを語ります(〔語リ〕)。

——去年の今日、三月十五日。人身売買人に伴われ、一人の幼子が都から下ってきた。ところが、その子は旅の疲れからか病を得、この地で動けなくなってしまう。非情にも、彼を見捨てて行ってしまった売買人。私達は懸命に彼を介抱したが、次第に衰えてゆき…。いよいよという時、虫の息のまま、彼は自らの名や境遇を明かした。父亡き後、母と暮らしていた所を誘拐され、この地へ連れてこられた彼。都の人の面影が慕わしく、この街道の傍らに葬ってほしいと明かすと、彼はそのまま息を引きとったのだ——。

6 シテは、話の内容をワキに再確認し、その子こそ自分の子だと確信します。

そう語るうち、舟は対岸に着いた。乗客たちは船頭の話に涙し、今夜の大念仏に自分も加わろうと口々に言いつつ、順に舟から降りてゆく。しかし狂女はひとり、いつまでも舟の中で、さめざめと泣き続けていた。「もうし、船頭さん…」 彼女は、話の内容を再度確認してゆく。訝りつつも質問に答える船頭。その子の年齢、名前、父の姓名。その子の死後、訪ねて来た親族はいるか。一つひとつ、船頭に確認してゆく彼女。そして——、
「船頭さん、その子こそ、私が捜し求めていた子なのです…!」

7 シテはワキに連れられ、わが子の墓を訪ねます。

船頭に案内され、わが子の葬られた塚へと向かう彼女。墓前に到った彼女は、静かに口を開く。「これまで遥々旅をして来られたのも、全てはあの子に会えるかもと思えばこそ。それなのに、出逢えたものはこの墓標ばかり。この下に、あの子は眠っているのね…!」
この墓を掘り返し、あの子の姿をもう一目見たいと言い出した彼女。瞼の裏に去来する、在りし日のわが子の面影。無常の世の理の中で、彼女は泣き崩れてしまうのだった。

8 シテは念仏を唱え、わが子の霊を弔います。

やがて宵どき。塚へと集う人々はその数を増し、大念仏が始まった。いつまでも泣くばかりであった彼女へ、船頭は優しく声をかける。「あの子にとっても、お母さんに弔ってもらうのが一番の喜びでしょう」 その言葉に励まされ、母もまた、念仏に加わる。
幼子を悼む、人々の大合唱。鉦鼓は物悲しい響きを立て、隅田川の川波や吹き抜ける風、都鳥の鳴き声までもが、大念仏に音を添える。私達の思いよ、西のかなたへ届け——。人々は心を合わせ、亡き子のために念仏を手向けるのだった。

9 子方が出現してシテに姿を見せ、消えてゆきます。(終)

その時。人々の声に混じって、子供の声が聞こえてきた。はっとする人々。母は群衆に促され、ひとり念仏を続ける。すると、塚の内からも、その声ははっきりと聞こえてきた。念仏を介した、母と子の対話。そして——、わが子の幽霊(子方)が、その姿を現した。
夢にまで見た、念願の再会。しかし母子が手を取りあおうとした刹那、幽霊の影はゆらめく。見え隠れする幽霊と、それを追い求める母。そうする内にも空は白みはじめ、幼子の姿は消えてゆく。あとには、春風に揺れる塚の柳だけが、そこには残っていたのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2023年06月26日)

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