銕仙会

銕仙会

曲目解説

忠度ただのり

物寂しくも風情ある、須磨浦の景色。散ってゆく桜の花びらは、かつてこの地で起こった合戦の傷跡を包み込んで、やさしく癒してくれる…。

風雅を愛する一人の武将の、死してなお消えやらぬ和歌への執心。

別名 古称《薩摩守さつまのかみ
作者 世阿弥
場所 摂津国 須磨  (現在の兵庫県神戸市須磨区)
季節 晩春
分類 二番目物 公達物
登場人物
前シテ 須磨浦の老人 面:笑尉など 着流尉出立(老人の扮装)
後シテ 平忠度の霊 面:中将など 修羅物出立(武将の扮装)
ワキ 僧(藤原俊成の旧臣) 着流僧出立(一般的な僧侶の扮装)
ワキツレ 従僧(2‐3人) 着流僧出立
間狂言 土地の男 肩衣半袴出立(庶民の扮装)

概要

藤原俊成の旧臣である僧の一行(ワキ・ワキツレ)が須磨の地を訪れ、由緒ありげな桜の木のもとへ至ると、一人の老人(前シテ)が現れる。僧たちは老人と言葉を交わし、宿を借りたいと願い出るが、老人は「この桜の蔭ほどの宿があろうか」と言い、俊成の弟子であった平忠度の和歌を教えると、夢中での再会を約して消え失せる。

その夜、僧たちの夢の中に、平忠度の霊(後シテ)が現れた。忠度は、師・俊成が撰者をつとめた『千載集』に自らの歌が選ばれたものの、朝敵の身を憚って「詠み人知らず」とされてしまったことが未練だと明かす。忠度は、平家都落ちの只中に都まで引き返して俊成に自らの歌を託したこと、討死に際しても歌の短冊を箙に挿していたことなどを明かし、歌道への執心のほどを述べると、花の蔭に消えてゆくのであった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場し、自己紹介をします。

鎌倉時代初頭。一ノ谷合戦の舞台となった須磨の地もようやく平和を取り戻し、海の波は穏やかに、長閑な春の浜辺の風情である。

その須磨の地を訪れた、旅の僧の一行(ワキ・ワキツレ)。もとは和歌の巨匠・藤原俊成しゅんぜいに仕えていた彼らであったが、俊成亡き後は仏門に入り、こうして修行の日々を送っていたのであった。

2 前シテが登場します。

須磨の山蔭に至った一行。そこへ、この浦に住む塩焼きの老人(前シテ)がやって来た。「汐を汲み、塩を焼く木を運びつつ、賤しい生業を営む日々。なんとも物寂しい、この須磨浦の海辺の景色…」。

老人は、山蔭に咲く一本の桜のもとに足をとめる。「この若木の桜は、とある方の形見の木。この木をめでて、その方を弔おうではないか」。

3 ワキは前シテに声をかけ、二人は言葉を交わします。

僧は、山蔭に佇むこの老人に声をかける。海人だと名乗る老人に、海人ならば海辺にいるはずだと僧は訝るが、老人は、塩を焼くために山へと足を運んでいるのだと明かす。

海辺から程近い、この須磨の地。吹きぬけてゆく浦風に、惜しまれつつ散ってゆく桜。空には海人の塩焼きが、一条の煙となって消えてゆく。鄙の地ながらも趣ある、須磨の山辺の風情。

4 前シテはワキに一首の和歌を教えます。

時刻は暮れ方。宿を借りたいと頼む僧に、老人は、この桜の木の蔭ほどの宿があろうかと言い、一首の和歌を教える。『行き暮れての下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならまし』。

「この歌の主は既に亡く、今やこの須磨の土中…。この桜こそその形見。海人たちもここに立ち寄っては、常に弔っているのです。お坊様達も、どうか弔って行って下され」。

5 前シテは、自らの正体を仄めかして消え失せます(中入)。

その歌の主とは平忠度。一ノ谷合戦で命を落とした平家の公達にして、俊成の和歌の弟子。この桜こそ、その忠度を弔うべく植え置かれたものなのだった。

「有難いこと。お坊様の弔いによって、ようやく成仏することができます…。私こそ、お坊様に弔われるべく、ここへ現れた身。都に言伝ことづてしたいことがあります。夢の中で、またお会いしましょう」 そう告げると、老人は花の蔭に姿を消してしまうのだった。

6 間狂言が登場してワキに物語りをし、退場します。

そこへやって来た、この浦の男(間狂言)。彼は僧に、この浦の「若木の桜」のことなどを語って聞かせる。僧たちは、先刻の老人こそ忠度の霊だと確信するのだった。

7 ワキ・ワキツレが待っていると後シテが現れ、ワキに語りかけます。

穏やかな浦風が心地よい、春の宵の須磨浦。僧たちは、深い眠りへと落ちてゆく…。

その夢の中に現れた、一人の武将(後シテ)。彼こそ、平忠度の幽霊であった。「この世に残した、わが身の妄執。『千載せんざい和歌集』に私の歌が選ばれたものの、朝敵となった身ゆえ、私の名は書き留められず…。それを選んだ俊成先生さえ亡くなった今、私の名を載せて下さるよう、先生の御子息・定家ていかどのに言伝てて下され」。

8 後シテは自らの生前のさまを語りはじめます。

忠度は、往時のありさまを語り始める。

「後白河院の下命によって『千載集』の撰者となられた俊成先生。時しも平家は都落ちの只中であったが、私は都へ引き返すと、先生の邸宅に赴き、私の歌を『千載集』に入れて下さるよう懇願したのでした。願いは聞き届けられ、思い残すことのなくなった私は、西の海へと落ち延びていったのです…」。

9 後シテは、自らの最期の様子を語ります。

――その後、この地で繰り広げられた一ノ谷合戦。逃げ延びる船に乗ろうとした忠度だったが、そのとき後方から、武蔵国の武士・岡部六弥太が迫ってきた。忠度も引き返し、六弥太に組んでかかる。彼を組み敷いた忠度だったが、その刹那、背後から彼の家来が斬りかかり、忠度の右腕を切り落とす。覚悟を決めた忠度は左手で六弥太を投げ飛ばすと、西を拝んで念仏を唱え…、ついに討たれて果てたのだった。

10 後シテは、自らの歌が六弥太に発見された経緯を語ります。

――六弥太が死骸を見ると、まだうら若い顔立ちに、世の常ならぬ錦の直垂。さては公達に違いないと思っていると、腰に挿したえびらに、ひとつの短冊が付けられていた。「旅宿」という題で詠まれたその歌こそ、かの『行き暮れて』の歌。そしてその短冊には、「忠度」の名が据えられていた…。

11 後シテは回向を頼んで消えてゆき、この能が終わります。

自らの過去を明かした忠度。「俊成先生の縁者である貴方がこの花の蔭に立ち寄ったので、お話しをしようと、こうしてお引き留めいたしました。もはやこれまで、花は根に帰ってゆくのです…」 そう告げると、忠度は回向を頼みつつ消えてゆく。

散りゆく桜の花だけが、あとには残されているのだった。

みどころ

平安時代末。時の法皇・後白河院は、治天ちてん(天皇家の家長)としての一世一代の大仕事である勅撰和歌集の編纂を命じました。下命されたのは、新興の歌道家・御子左みこひだり家の藤原俊成しゅんぜい。のちに『千載和歌集』と名付けられるこの七番目の勅撰集は、俊成にとってもまた、一世一代の大仕事となったのでした。

この『千載集』の春の巻に、次のような和歌が載せられています。

  故郷の花といへる心を詠み侍りける   詠み人知らず

楽浪さざなみや志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな

【通釈】天智天皇のおられた滋賀の大津京はすっかり荒れ果ててしまったが、長等ながらの山の山桜は、昔のままに美しく咲いていることだ…。

この歌は、飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂が壬申の乱で荒廃した旧都を懐かしんで詠んだ歌を踏まえ、それを真似て詠んだものです。この『千載集』が完成を見たのは源平合戦終結後の文治三年(1187)であり、この歌に触れた当時の人々は、戦乱で世の中が荒廃する以前の日々を懐かしんだことでしょう。

この歌は、『千載集』の中では「詠み人知らず」とされていますが、平忠度の歌集『忠度集』に同じ歌が見えることから、忠度の詠んだ歌であることが知られています。本作では、この歌にまつわる物語が題材とされています。

この『千載集』の編纂が進められていた頃、都は物々しい雰囲気に包まれていました。武家としてはじめて政治の実権を握り、一時は後白河院を幽閉するに至った平氏政権は、源義仲軍や源頼朝軍の追撃によって都を追われ、寿永二年(1183)秋、時の天皇・安徳帝を連れて西の海へと流浪の旅に出ることになります。

その都落ちの一行に、平忠度はいました。『平家物語』には、次のような故事が載せられています。

――平清盛の弟と生まれた忠度は、風雅な平家一門の例に洩れず歌道をたしなみ、藤原俊成を師と仰いでいた。都を追われてゆく忠度の心にかかるのは、師・俊成が院の下命を受けて編纂をはじめた勅撰集のこと。何としても勅撰集に入集して、歌人としての名を後世に留めたいとの念願つよく、彼は都落ちの一行から離れてひとり都へ立ち戻ると、俊成の邸宅へと向かい、自らの歌を書いた巻物を師に託す。後白河院に対する反逆の罪を背負った平家の身ではあったが、俊成は彼の執念ともいうべき熱意に同情し、『楽浪や』の一首だけ、「詠み人知らず」として載せてやったのであった…。

念願叶い、勅撰集への入集を遂げた忠度。しかし彼の名は記されず…。その未練から、本作のシテは登場し、今は亡き俊成の子で歌の道を継いだ定家ていかへのメッセージをワキへと託すのです。定家が編纂した九番目の勅撰集『新勅撰和歌集』には忠度の歌が実名入りで載せられていますが、それは死してなお消えやらぬ忠度の歌道への執心が、定家に届いたからかもしれません。

和歌の短冊を身につけて合戦に出陣した忠度。最期の瞬間まで和歌を愛し、次の歌を遺して亡くなった彼の、飽くなき風雅への執心が、この能には描かれています。

  旅宿

行き暮れての下蔭を宿とせば 花や今宵のあるじならまし    忠度

【通釈】旅に出て日が暮れ、桜の木蔭を今夜の宿としていたら、桜の花が今宵の宿主となって、風雅なもてなしをしてくれたろうに…。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2017年6月)

曲目解説一覧へ戻る

能楽事典
定期公演
青山能
チケットお申し込み
方法のご案内