銕仙会

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曲目解説

鳥追舟(とりおいぶね)

◆別名

 鳥追船(とりおいぶね)  ※他流での表記。

 鳥追(とりおい)  ※他流での名称。

◆登場人物

前シテ 日暮殿(ひぐらしどの)の奥方
後シテ  同
子方 日暮殿の子・花若丸
ワキ 日暮殿
ワキツレ 日暮殿の家臣 左近尉(さこのじょう)
アイ 日暮殿の従者

◆場所

 薩摩国 日暮(ひぐらし)の里  〈現在の鹿児島県薩摩川内市〉

概要

薩摩国の在地領主・日暮殿は、訴訟のため、十年ものあいだ京に留まっていた。留守を預かる左近尉(ワキツレ)は、領地の田を鳥が荒らすので、殿の子・花若(子方)に鳥を追い払う役をさせようとする。主君の子に下人の仕事をさせるとは不忠義だと抗議する、殿の奥方(前シテ)。しかし左近尉は、従わないなら今後は世話をしないと脅迫する。恐怖した奥方は、花若とともに鳥を追うべく、支度を始める。
翌日、飾り立てられた鳥追舟に乗った、奥方(後シテ)と花若。夫さえこの場にいてくれたならと、奥方は日暮殿への思いを募らせつつ鳥を追う。そのとき、一人の旅人が、この舟を呼び止めた。実は彼こそ、ようやく帰ってきた日暮殿(ワキ)であった。事の顛末を知った彼は左近尉を成敗しようとするが、奥方はそれを留め、こうなったのも久しく不在を続けた殿の咎だと訴える。こうして左近尉は赦され、事件は解決したのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキツレが登場します。

薩摩国 日暮の里。湖に程近いこの里は、秋には田の稲を喰い荒らす水鳥の害に悩まされていた。そこで毎年秋になると、笛や太鼓を飾り立てた“鳥追舟”を仕立て、鳥の群れを追い払う行事が催されていた。これは、そんな日暮の里で起こった、ある秋の物語——。
この地の領主・日暮殿は、訴訟のため京へと上ったきり、早くも十年の歳月が経過した。家臣の左近尉(ワキツレ)はその留守を預かり、日暮殿の妻子を世話していた。

2 ワキツレは、前シテ・子方を呼び出します。

ある日、日暮殿の奥方(前シテ)のもとを訪れた左近尉。彼は、思いも寄らぬことを口にした。何と、日暮殿の子・花若(子方)を、今年の鳥追いの役にすると言うのだ。主君の若君を使役するとは不忠義だと抗議する奥方。しかし左近尉は言い返す。「十年ものあいだ世話をし続けた自分に向かって、不忠義とは何事か。私の言葉に従わぬのなら、今すぐこの家から出て、どこへなりとも行けば良かろう…!」。

3 前シテは、鳥追いの役を承諾してしまいます。

左近尉に脅迫され、言葉を失う奥方。とはいえ、幼い花若に鳥追いの役をさせる訳にもゆかず、奥方は自らが代わろうと申し出る。ところが、それにすら難癖をつける左近尉。婦人が一人で鳥追いに立つなどとは、この左近尉の悪評を立てるための企みだろう——。そう言いがかりを付けられてしまった奥方は、ならば自分と花若とが二人で鳥を追おうと約束する。左近尉は、明日までに準備しておくよう言いつけると、私宅へ帰っていった。

4 前シテ・子方は、自分たちの境遇を嘆き、鳥追いの準備に向かいます。(中入)

ああ、花若の不運なこと! 末永く栄え続けるようにと祈った甲斐もなく、落ちぶれ果ててしまった今の身の、何と口惜しいことよ…。ともに涙に咽ぶ母子。二人は、もはや訪ねて来る人もなくなった荒れまさる屋敷を、鳥追いの準備のために出てゆくのだった。

5 ワキ・アイが登場します。

その頃——。日暮殿(ワキ)は、十年にわたった訴訟に無事勝利し、喜びの心に足取りを速めつつ、薩摩への帰途についていた。
やがて辿り着いた故郷。そのとき彼の耳に、笛や太鼓の音が聞こえてきた。従者(アイ)に見に行かせると、それは鳥追舟であった。思い起こせば、わが故郷の名物。しかも今年は特に立派だというので、暫しの間、彼は鳥追舟を見物しようと足を止める。

6 後シテ・子方・ワキツレが登場します。

そこへ、鳥追舟に乗ってやって来た、奥方(後シテ)と花若(子方)。左近尉(ワキツレ)に見張られ、暗澹たる思いのまま、二人は鳥を追うべく支度をする。
思えば、この世は儚い夢。浮き寝定めぬ水鳥の、水面に漂う姿こそ、今のわが身。そう思うにつけ、稲穂の波に浮き沈む、鳥たちの姿の面白さよ…。そんな秋の風情を眺めつつ、奥方は、せめて年に一度でも夫に逢えたならと、儚い願いを天に祈るのだった。

7 今の境遇を嘆く後シテ・子方へ、ワキツレは鳥を追うよう急かします。

下人のごとき姿となった母子。二人は、いつまでも帰ってこない父を恨み、分を弁えぬ左近尉の振る舞いを嘆く。たとえ訴訟に敗れようとも、父さえこの場に居たならば、こんな事にはならなかったのに…。二人は、今の境遇を嘆く。
そんな二人を急かす左近尉。いったい何のために使役したというのか、嘆きたくば家へ帰ってから嘆け——。そうせき立てる左近尉へ、二人は、家臣に対してすら恐れを抱かずには居られない身の儚さを嘆きつつ、田面の鳥を追いはじめる。

8 後シテは、鳥を追いつつ嘆き舞います(〔鳴子之段〕)。

——多くの舟が奏でる、思い思いの囃子物。太鼓や鳴子、そして鳥を追う声が、秋天に響く。「花若よ。いかに悲しくとも、あの鳥を追うのだ…」 夫さえ、この場に居てくれたなら。一向に帰らぬ夫を思い、衣を返して寝れば恋しい人を夢に見るという、その古言を試してはみるけれど、甲斐もない。憐愍を寄せてくれる人もなく、私の心は乱れゆくばかり。太鼓の拍子も乱れ、思いの知られるのは恥ずかしいこと…。奥方は、鳥を追いつつ、夫への思いを募らせるのだった。

9 ワキは、後シテたちと再会します。

その様子を遠くから見ていた日暮殿。囃子の面白さに感心した彼は、舟を近くへと召す。怪訝がる左近尉。この地で私の舟に対し、そのように横柄な物言いをする者など居るはずがない。そう不審がりつつも、彼は舟を近付けてゆく。
声のもとへと近づいてきた舟。見れば声の主こそ、旧主・日暮殿ではないか。狼狽する左近尉を尻目に、これまでの顛末を暴露する花若。それを聞いた日暮殿は、花若のこれまでの辛苦を労り、左近尉を手討ちにしようとする。

10 事件は解決し、大団円を迎えます。(終)

左近尉をなじり、刀に手をかける日暮殿。しかしそのとき、奥方が二人の間に割って入った。十年間も捨て置かれ続けた悲しみを明かし、こうなったのも日暮殿の咎だと訴える奥方。自分達に免じてとの彼女の懇願に、ついに左近尉の罪は赦されたのだった。
その後——。成長を遂げた花若は、立派に家督を継承した。当地に隠れもない、君子の徳を備えたこの明主。彼の力により、日暮の家は、末代に至るまで繁栄し続けたのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2023年08月06日)

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