銕仙会

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曲目解説

雨月(うげつ)

◆登場人物

前シテ 老人  じつは神の化身
後シテ 神職の老人(住吉明神の憑霊)
ツレ 姥  じつは神の化身
ワキ 西行法師
アイ 眷属の神

◆場所

 摂津国 住吉の里  〈現在の大阪府大阪市住吉区 住吉大社の付近〉

概要

鎌倉初期。西行(ワキ)は歌神・住吉明神へ参詣のため、住吉の里に赴く。今夜の宿を願って訪れた一軒の庵には、雨音の風情を楽しむ翁(前シテ)と、月光を愛でる姥(ツレ)の、風流な老夫婦が住んでいた。屋根を葺くべきか、葺かぬべきか。そう嘆じる翁の言葉は、期せずして歌の下句となった。これに上句を付けたならば宿を貸そうと言う翁へ、西行は二人の美学を汲み、見事な上句を付ける。しみじみとした夜、雨音かと聞き紛う松風の声に耳を傾け、秋の風情を楽しんでいた三人。やがて夜は更け、夫婦は眠りにつこうと言うと、そのまま姿を消してしまう。実はこの夫婦こそ、住吉明神の化身であった。
やがて、西行の前に、神職に憑依した住吉明神(後シテ)が現れた。明神は歌道の奥義を示し、西行こそ和歌を語り合うべき友だと告げる。閑かに舞を舞い、歌も舞も心の表れだと明かす明神。明神は、この神託を疑わぬよう言い遺すと、天に昇ってゆくのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

秋の半ば。京の西郊 嵯峨野の奥に隠遁の日々を送りつつ、和歌の道に心を寄せていた西行(ワキ)は、歌道成就の願いから、このたび歌神・住吉明神への参詣を思い立つ。都の西からさらに西へ、秋の色を見せる西のかなたへと、歩みを運ぶ西行。やがて彼が住吉にたどり着いたのは、早くも日暮れの時刻。見れば近くには、火の光のかすかに洩れる庵があった。西行は、今宵の宿を借りようと、庵を訪れる。

2 前シテ・ツレが登場します。

「枯木を吹き抜ける風は、晴れながらにして雨の音。そんな古人の言葉もあり、まして今宵は中秋の名月。ああ、良い風情だ…」 庵には、そう呟く老夫婦の姿があった。
——夜の宿を願う西行。しかし夫婦は、庵中には宿るべき場所も無いと言う。聞けば、月光を愛でる姥(ツレ)は屋根を葺くまいとし、雨音を楽しむ翁(前シテ)は屋根を葺こうとして、この庵は半ばで屋根を葺きさしていたのだった。そう明かしつつ、翁は呟く。『賤(しづ)が軒端(のきば)を、葺きぞ煩(わづら)ふ——』。

3 前シテは、ワキの風流心を認め、一夜の宿を許します。

ふと呟いた、翁の独り言。それは偶然にも、和歌の下句の形となっていた。それに気づいた翁は、西行へ、この句に合った上句を付けるならば宿を貸そうと言う。
もとより和歌に志を寄せる西行。彼は、『月は洩れ 雨はたまれととにかくに』と上句を付ける。“月の光よ、洩れてこい。しかし雨は屋根から漏れることなく、その音色を響かせておくれ——” そんな願いのままに、屋根を葺きさしたこの草庵。その心をみごとに理解した、月をも雨をも愛する人ならばと、翁は彼を庵に招き入れるのだった。

4 三人は、秋の夜の風情を味わいます(〔雨之段〕)。

折からの時雨の音。しかしそれは雨ではなく、松吹く風の声であった。月光と雨音と、そのいずれもを愛でさせようとの松風。岸打つ波も程近いこの住吉で、夫婦はそんな秋の風情に心を寄せる。旅の枕の仮寝の夢や、つれない夫を恨んで打つという砧。そんな往古より文学に詠まれてきた、詩情の数々に興じる翁。袖に宿る月影の上には、木の葉が重ねて散りかかる。庭に積もった落葉こそ、あの夜に音色を添えた“雨”の名残りなのだ——。

5 前シテ・ツレは、姿を消します。(中入)

やがて更けてゆく夜。翁は西行に眠るよう勧め、自らも横になろうと言う。「年は寄り、体は衰えたこの身。もはや夢の中へと、帰ってゆくことにしましょう——」 そう告げると、老夫婦は西行とともに眠りにつき、そのまま姿を消してしまうのだった。

6 アイが登場し、ワキへ神託を告げます。

そこへ現れた、住吉明神の眷属の神(アイ)。眷属の神は、明神の言葉を西行へ伝えようと言う。実は先刻の老夫婦こそ、西行へ歌道の極意を示すべく現れた、住吉明神の仮の姿であった。眷属の神は、重ねて西行に歌の心を伝えようとの、明神の託宣を告げる。

7 後シテが出現します。

やがて現れた、一人の老神職(後シテ)。それは、西行へ歌の心を伝えるべく神職に憑依した、住吉明神の神霊であった。明神は言う。「宇宙の根本原理たる陰陽の二道こそ、和歌の本義。句々は木火土金水の五行を表わし、歌を吟ずればすなわち天地人の三才が具わるのだ。それこそが、この私、住吉明神の託宣である。決して疑うではないぞ——」。

8 後シテは神託を下し、神威のほどを見せます(〔真之序之舞〕)。

——昔は天界に住まう菩薩にして、今はこの人間界に垂迹した住吉明神。以来、明神は和歌の道を守護し、この住吉の松蔭に久しく年を送っていたのだ。ここに歌道への志篤く、歩みを運んできた西行法師。和歌の友と出逢えた明神は、喜びの神慮を告げるべく、こうして神官の身に憑依したのだ…。
神職の口を借り、託宣を下した明神。そうして明神は、閑かに舞を舞いはじめた。

9 後シテは神託を告げ終え、やがて正気に戻ります。(終)

神の神楽を奏でるのは、住吉の里の自然の音色であった。鼓の音を響かせるのは岸に打つ波、鈴の音を奏でるのは松吹く風。そんな中、明神は一人ゆったりと、舞の袖を翻す。和歌の言葉も舞の姿も、いずれも心の表れに他ならぬのだ——。
そう告げおおせた明神。明神は、この神託を疑わぬよう告げると、神職の体を離れ、天に昇っていったのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2023年03月02日)

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