梅枝越天楽 (うめがえ えてんらく)
作者 不明
素材 『後撰和歌集』巻19離別羇旅に見える和歌・能〈富士太鼓〉
場所 摂津の国(現在の大阪府)住吉の里
季節 秋
分類 四番目物・執心女物・大小物
登場人物・面・装束
前シテ | 住吉の里の女 | 深井または近江女・唐織着流女出立(紅無〔いろなし〕) |
後シテ | 楽人富士の妻の亡霊 | 深井または近江女・鳥兜長絹女出立(腰巻) |
ワキ | 旅の僧 | 着流僧出立 |
ワキツレ | お供の僧 | 着流僧出立 |
アイ | 住吉の里の男 | 肩衣半袴出立 |
あらすじ
摂津の国住吉の里を訪れた旅の僧が萩の藁屋に宿を乞います。そこに住む女が僧たちを庵に導くと、中には舞楽の衣装と太鼓が飾ってありました。女は、それはある人の形見であると言い、その昔、浅間と富士という楽人が太鼓の役をめぐって争い、浅間が富士を殺してしまったと語ります。残された富士の妻は太鼓を打って、心を慰めていましたが、やがて彼女も亡くなったと明かしました。そして自分がその妻であるとほのめかし、消え失せます。僧が女の成仏を願い、供養をしていると妻の亡霊が現れ、夫を忍び、舞を舞います。
舞台の流れ
- 囃子方が橋掛リから能舞台に登場し、地謡は切戸口から登場して、それぞれ所定の位置に座ります。
- 後見が引廻シを掛けた萩藁屋の作リ物を大小前(小鼓と大鼓の間の手前)に置きます。
- 「次第」の囃子で僧たち(ワキ・ワキツレ)が舞台に登場します。
甲斐の国(現在の山梨県)身延山の僧たちは諸国を廻る修行の旅の途中、摂津の国住吉の里にやって来ました。
すると村雨が降り出したので、僧たちは一軒の庵に宿を借りることにします。 - 僧が庵に尋ねると、中から女の声がしました(シテは作リ物の藁屋の中に座っています)。
女(前シテ)は僧ならば功徳にもなるので泊めてあげたいが、庵が粗末なのでと一旦は断りますが、なおも宿を乞う僧に一夜を明かすように勧めました。
村雨が風に吹かれて晴れわたり、空には月が見えて住吉の松に風が吹き抜けていきます。 - 場面は女の庵の中へと移ります。
後見が舞衣と鳥兜[とりかぶと]を掛けた鞨鼓台の作リ物を舞台に運び出します。 - 僧が庵に飾られている太鼓と舞楽の衣装を見つけ、女に尋ねました。
女は、それはある人の形見であると答え、哀れな物語を語り始めます。
昔、住吉の四天王寺に浅間と富士という二人の楽人がいました。
ある時、宮中で管絃が催されることになり、二人は役を争い共に都へ上ったのですが、浅間は役をもらった富士をねたんで殺してしまいました。
富士の死を悲しんだ彼の妻は、形見の太鼓を打って心を慰めていたものの、彼女もついには亡くなってしまったのです。 - 僧は詳しく物語をする女がその富士の妻ではないかと問うと、女は富士の妻であるとほのめかしつつ、執心を晴らしてほしいと成仏を願い、かき消すように消え失せてしまいました(中入リ)。
- 住吉の里の男(アイ)が現れ、浅間と富士の争いを語り、富士の妻の弔いを勧めます。
- 僧たちは女性が成仏できるという法華経を読み上げ、妻の成仏を祈ります。
すると灯火の影に幽霊の姿が幻のように浮かび上がります。 - 僧の前に、舞楽の衣装を身に付けた富士の妻の亡霊(後シテ)が現れました。
妻の霊は夫への恋しさが積もり、その執心のために成仏できないことを切々と訴えます。 - 僧は霊に懺悔の舞を舞って、愛着の心を捨てるようにさとすと、霊は「夜半楽」を演奏します。
さらに「越天楽」の今様(歌曲)を謡い始めます。
「梅が枝にこそ、鶯は巣をくへ、風吹かばいかにせむ、花に宿る鶯」
そして静かに「楽」を舞いました(雅楽の舞楽を模して舞う舞、今回は太鼓が入ります)。 - 月も入り、ほの暗い明け方に松風の音が響いています。
霊はなおも残る執心を恥じ、面影を残しながら消えていきました。 - シテが橋掛リから揚げ幕へ退場し、ワキ・ワキツレがその後に続きます。後見が作リ物を幕へ運び入れ、最後に囃子方が入り、地謡は切戸から退いて能が終わります。
ここに注目
〈梅枝〉は物狂能〈富士太鼓〉の後日談ともいえる内容です。〈富士太鼓〉は夫を殺された富士の妻が夫への恋慕から狂乱し、太鼓を打つという内容です。
今回の上演では、昔の謡のフシを復元するという興味深い演出がおこなわれます。その謡は、後半でシテが舞を舞う前にある「梅が枝にこそ、鶯は巣をくへ、風吹かばいかにせむ、花に宿る鶯」で、このフシ付けが雅楽の「平調ノ越天楽」の旋律と同じであることが横道萬里雄氏によって指摘され、昔のリズム形式や記譜法などを手掛かりに復元されました。雅楽(舞楽)の雰囲気をより強調する演出となることでしょう。
(文:中司由起子)
近年の上演記録(写真)
(最終更新:2017年5月)