銕仙会

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曲目解説

楊貴妃(ようきひ)

◆登場人物

シテ 楊貴妃の霊魂
ワキ 方士(玄宗皇帝の使者)
アイ 蓬莱島の男

◆場所

 蓬莱島  〈中国の東海に浮かぶとされる伝説上の島〉

概要

愛する楊貴妃を失い、悲嘆に暮れていた玄宗皇帝は、彼女の魂の行方を捜すべく、道教の術を使う方士(ワキ)を派遣する。方士が東海上の仙境・蓬莱島に至ると、そこには孤独な日々を送る楊貴妃の魂(シテ)があった。玄宗の言葉を伝え、貴妃と会った証拠の品を賜りたいと言う方士へ、自らの髪飾りを与える彼女。しかし方士は、それでは確かな証拠にならないと言い、生前に玄宗と言い交わした秘密の言葉を教えてほしいと願う。そんな彼へ、貴妃は、いつまでも一緒に居ようと二人で誓った七夕の夜の思い出を明かす。

帰ろうとする方士。しかし貴妃は彼を呼び返すと、かつて自分が玄宗の前で舞った“霓裳羽衣(げいしょううい)”の舞を見せようと言う。玄宗を慕う心中を吐露し、思い出の舞を舞う貴妃。やがて、帰ってゆく方士を見送りつつ、貴妃はひとり嘆き沈むのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

中国 唐の時代。時の玄宗皇帝といえば、開元の治世によって天下に繁栄をもたらした名高い帝王。その後、彼は一人の美女を妃に得た。楊家の令嬢ゆえ“楊貴妃”と名付けられた彼女を、深く愛した玄宗。しかし運命とは皮肉なもの。とある事情から、玄宗は彼女を失うことに。悲嘆に暮れる玄宗。なおも恋慕の思い止みがたい彼は、彼女の霊魂のありかを尋ねるべく、道教の術を使う方士(ワキ)を異界へと遣わすのだった。

2 ワキはアイと言葉を交わします。

天上界から地の底までも飛び廻り、懸命に捜す方士。しかし彼女の魂は見つからない。方士は、今度は東の海上に浮かぶ仙境・蓬莱島を訪問しようと志す。

遥かの波路を分け、異界へと向かう方士。やがて蓬莱に着いた彼は、島の男(アイ)に声をかける。聞けば、この島には“玉妃”なる人物がいて、唐土にいた昔を恋い慕っているという。方士は、その玉妃が住むという宮殿「太真殿」へと向かう。

3 ワキが様子を窺っていると、シテが作リ物の中で謡い出します。

宝石のごとく磨き上げられた、広大で複雑な殿舎の数々。人間界に名だたる王宮すら及ぶべくもないその輝きに、方士は圧倒されるばかり。

やがて、太真殿に到った方士。彼が様子を窺っていると、宮殿の中から、愁いを帯びた女性の声が聞こえてきた。「昔あの方と一緒に見た、春の花。しかし世の中は移り変わり、今はひとり秋の月を眺めるばかり…」。

4 ワキの呼び掛けに応え、シテが出現します。

さては、これこそ貴妃の魂の在処。そう察した方士は、内へ聞こえるように呼びかける。自分こそ唐の皇帝の使者、玉妃に謁見を願いたい——。その言葉に反応し、帳を押し開けて姿を見せた彼女(シテ)。それは、雨露に濡れた梨の花の如き、往時の色香を偲ばせる面影。艶やかな髪や美しい面差しの中にも、目に涙を浮かべた様子の、楊貴妃の霊魂なのであった。

5 シテは、ワキに形見として髪飾りを与えます。

方士と対面した貴妃。玄宗の悲嘆のほどを伝え、この地へやって来た意図を明かす方士の言葉に、彼女は涙する。二度と会えぬ仲だけに、使者の訪れはいっそう悲しみを増すばかり…。彼女は愛しい夫を思慕し、故郷の人間界を偲ぶのだった。

彼女に会えた証拠の品を所望する方士へ、自らの髪飾りを与える貴妃。しかしこれは世間にある品。方士は、玄宗と彼女の二人だけが知る秘密を承りたいと願い出る。

6 シテは、かつて玄宗と交わした愛の誓いを明かします。

その願いに、口を開く楊貴妃。「思い返せば、あれは七夕の夜のこと。天にあっては比翼の鳥、地にあっては連理の枝、生々流転の先までも一緒にいようと、私達は二星に誓いました。しかし私は馬嵬の露と消え、一緒に居ることはできなかった。それでも、あの方が同じ心でいて下さるなら、いつかまた、お会いできる日はきっと来るはず…」 彼女は、かつて交わした秘密の愛の言葉を明かし、玄宗への言伝てを頼むのだった。

7 シテは、ワキから髪飾りを受け取って舞い始めます(〔イロエ〕)。

帰ろうとする方士。そんな彼を、貴妃は呼び止める。恋しさのこみ上げてきた貴妃は、かつて玄宗が作曲し自分が舞った、“霓裳羽衣(げいしょううい)”の舞を見せようと言う。いま形見として渡した髪飾りこそ、その舞の折に着けていたもの。彼女は髪飾りを方士から受け取ると、玄宗との思い出の詰まったこの舞を、静かに舞いはじめた。

8 シテは、自らの嘆きを吐露しつつ舞います(〔クセ〕)。

——天界の仙女でありながら仮に人間の世に生まれ、楊家の深窓で育った私を、はじめて召し出して下さった玄宗さま。しかし、いつまでも一緒にとの契りも空しく、私はこの島で、再び一人きりの身に。徒らになってしまった、あの七夕の夜の誓い。もしもあの悲劇さえ無かったならば、未来永劫、あの方に添い続けていようもの。しかし無常の世、それはもとより叶わなかったこと。ならばこれも運命、会うは別れの始まりなのだから…。

9 シテは玄宗を偲んで舞い(〔序之舞〕)、去ってゆくワキを見送ります。(終)

玄宗と過ごした日々を偲びつつ、そのときの舞を再現する貴妃。そんな彼女の翻す袖からは、夫を慕う真心が、はっきりと伝わってくるのだった。

尽きることのない思い出の数々に、移りゆく時刻。舞い終えた貴妃は髪飾りを外すと、再び方士に与える。役目を果たし、都へ帰ってゆく方士を、見送る彼女。こうして、蓬莱宮に取り遺された彼女は、ひとり悲しみに沈むのだった——。

(文:中野顕正  最終更新:2021年06月15日)

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