2020年5月22日
訃報 長山禮三郎逝去
銕仙会メンバー、長山禮三郎(本名 昭)が本年4月5日(日)午前1時53分、兵庫県西宮市の病院にて間質性肺炎のため逝去されました。享年77。
葬儀・告別式は親族のみにて執り行われました。
ご報告が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
〈略歴〉1943年1月25日、東京都新宿区南榎町に生まれる。父を2歳の時に失い、母とは9歳に離別、大阪堺の伯父勝次郎宅へ引き取られ能楽の指導を受ける。小学校卒業後すぐ東京に移り、2世観世喜之師に内弟子入門、12年間の修業を経て、24歳にて独立する。主な舞台として10歳にて初舞台、22歳にて初シテ「小鍛冶」を披き、以後「石橋」「猩々乱」「道成寺」(4回)「安宅」(4回)「屋島 弓流・素働」「望月」「正尊」「当麻」「木曽」「朝長」「仲光」「三輪 白式神神楽」「摂待」「卒都婆小町」「鸚鵡小町」「姨捨」等を勤める。また広く能を理解して頂くために1970年より堺市民能の前身となる堺薪能を鳳神社にて企画し発会する。関西を始め東京からも人気役者を招き、毎年多くの観客を集めている。長男にシテ方観世流能楽師の耕三、同じく次男に桂三がいる。
1974年 5月 | 先祖の功績を称えるとともに自己芸道練磨のため堺市鳳に長山能舞台を落成。年一回の自主公演「能・狂言の夕べ」を発足 |
1976年 9月 | 観世寿夫を団長にフランス、スウェーデン、東ドイツ等5カ国にわたり35日間かけて「世阿弥座」公演に参加 |
1977年 5月 | 芦屋市三条南町に自宅敷舞台を落成 |
1982年10月 | 第9回「能・狂言の夕べ」能「松風」にて大阪文化祭賞本賞受賞 |
1983年 8月 | 大阪薪能申合せ中に倒れ、半身麻痺となり半年舞台を休演 |
1984年 | 舞台に復帰後、夏より年末までに「安宅」他4番のシテを勤める |
1986年 4月 | 重要無形文化財(総合指定)保持者として認定される |
1989年10月 | 「芦屋能・狂言の夕べ」を発足 |
1991年10月 | 第17回「能・狂言の夕べ」能「恋重荷」にて2度目の大阪文化祭賞本賞受賞 |
1995年10月 | 第21回「能・狂言の夕べ」能「三輪 白式神神楽」にて3度目の大阪文化祭賞本賞受賞 |
2000年11月 | 堺市文化功労者受賞 |
2005年11月 | 芦屋市民文化賞受賞 |
2010年 5月 | 大阪府知事賞受賞 |
2018年 7月 | 堺市有功賞受賞 |
2019年11月 | 第20回「芦屋能・狂言の夕べ」での能「葵上」が最後のシテとなる |