第15回 桂諷會—祈りと鎮魂—
—長山禮三郎三回忌 追善能—
- 「翁」長山桂三
- 狂言「二千石」野村万作
- 能「融 思立之出・十三段之舞」長山桂三
- 会 場
- 国立能楽堂
- 日 時
-
- 2022年11月23日(水・祝)
- 午後1時開演(12時開場)
午後5時30分頃終演予定
- 入場料
- こちらをご覧下さい
- 主 催
- 能・狂言鑑賞の会
- 助 成
- 公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京
銕仙会 TEL:03-3401-2285(平日午前10時〜午後5時)
銕仙会WEB予約はこちらからどうぞ
長山桂三公式ウェブサイトhttp://keizou.net/
チケットぴあ pia.jp/t 0570-02-9999(Pコード513-451)
日時:11月6日(日)1部・午前10時 2部・午後2時
会場:世田谷長山能舞台
受講料:1,000円
上演演目をより深く、より楽しく鑑賞していただく為、見所をわかりやすく実技含めお話いたします。
翁(おきな)
翁 | 長山 桂三 | |
三番叟 | 野村 萬斎 | |
千歳 | 長山 凜三 | |
面箱 | 野村 裕基 | |
笛 | 松田 弘之 | |
小鼓頭取 | 大倉源次郎 | |
〃 脇鼓 | 清水 和音 | |
〃 | 大倉伶士郎 | |
大鼓 | 亀井 広忠 | |
地謡 |
西村 高夫 柴田 稔 山崎 正道 浅見 慈一 北浪 貴裕 坂井 音雅 長山 耕三 小早川康充 |
|
後見 | 観世銕之丞 | |
観世 淳夫 | ||
狂言後見 | 内藤 連 | |
飯田 豪 |
厳粛且つ清浄な空気の中、ご神体の翁面を収めた面箱を捧げ持つ面箱持を先頭に、役者一同が舞台に登場する。「とうとうたらりたらりら」という翁の謡い出しから始まり、颯爽とした千歳の舞、荘重な翁の舞、黒き翁である三番叟の力強く躍動的な揉之段、鈴之段が次々と舞われる。
「能にして能にあらず」と言われ、天下泰平・国土安穏・五穀豊饒を寿ぎ予祝する、能の古態を留める神事の芸能で、その生命力と様式性は祝言と祈りの根源を現代に伝えている。
さらに詳しい解説はこちらから
独吟 江口(えぐち)
梅若 桜雪 |
かつて摂津国江口の里を訪れた西行法師は遊女と風流な和歌のやりとりを交わしたという。やがて遊女の霊が船に乗って現れ、月下に優雅な船遊びの様を見せると、仏法を説いて舞を舞う…。
遊女の優美さ、菩薩の崇高さが舞台に横溢する格調高い能。独吟では普賢菩薩と化した遊女が白雲に乗って西の空へと去る、能のクライマックス部分を演者一人で謡う。
さらに詳しい解説はこちらから
狂言 二千石(じせんせき)
シテ | 主 | 野村 万作 |
アド | 太郎冠者 | 高野 和憲 |
後見 | 野村 裕基 |
無断外出した太郎冠者を叱責するため冠者のもとへと出向く主人。聞けば冠者は都見物をしてきたと言うではないか。主人が機嫌を直して都の様子を尋ねると、冠者は都で覚えてきたという謡を謡い出す。すると主人の様子は一変。それは祖先にまつわる大切な謡だと言い、みだりに謡った冠者を手打ちにしようと刀の柄に手をかけて…。
舞囃子 恋重荷(こいのおもに)
シテ | 山科荘司 | 観世銕之丞 |
笛 | 藤田 貴寛 | |
小鼓 | 大倉源次郎 | |
大鼓 | 亀井 忠雄 | |
太鼓 | 小寺眞佐人 | |
地謡 |
梅若 桜雪 山崎 正道 馬野 正基 観世 淳夫 北浪 貴裕 |
女御に身分違いの恋心を抱く菊守の老人は、用意された荷を持ち、庭を百度千度廻るならば女御が姿を見せるだろうと聞かされる。しかし老人は重しの入った荷を遂に持ち上げることが出来ず、絶望のうちに女御を恨み、憤死してしまう…。
恋心を弄ばれた老人の妄執を強烈に描いた能。
舞囃子では老人の亡霊が無念な思いを述べて女御を恨むも、やがて守護神となって女御の守護を約束するという能の最後の部分を見せる。
さらに詳しい解説はこちらから
能 融 思立之出・十三段之舞(とおる おもいたちので・じゅうさんだんのまい)
前シテ 後シテ |
尉 融大臣 |
長山 桂三 |
ワキ | 旅僧 | 森 常好 |
アイ | 所ノ者 | 石田 幸雄 |
笛 | 竹市 学 | |
小鼓 | 成田 達志 | |
大鼓 | 山本 哲也 | |
太鼓 | 小寺眞佐人 | |
地謡 |
浅井 文義 小早川 修 馬野 正基 浅見 慈一 長山 耕三 坂井 音隆 武田 文志 小早川泰輝 |
|
後見 | 清水 寛二 | |
鵜澤 久 |
東国の僧が秋の都を訪れ、うら寂れた六条河原院の旧跡でしばし休らう。そこへ田子を担う潮汲の老人が現れ、海から離れたこの地に不似合いな潮汲姿を不審に思った僧は老人に声を掛ける。
ここはかつて栄華を極めた左大臣源融の旧邸で、陸奥の千賀の塩竈を模して造った場所なのだから海辺も同然、この潮汲姿も何ら不思議ではないと老人は言い、今は主もなく廃虚となった河原院の秋の風情に眺め入り、二人はしばし語らう。
昔融大臣が難波の御津の浜から毎日海水を汲ませ、ここで汐を焼かせて優雅に御遊なされた。しかし大臣亡きあと河原院を継ぐ者もなく、すっかり荒れ果ててしまったのだ。その物寂しさはここを訪れた紀貫之が歌に詠んだ程であったと老人は語って昔を偲び、辺りの名所旧跡を教える。
ふと見れば、空には中秋の名月。老人は皓々と冴え渡る月下に汐汲みの様を見せると、そのまま潮曇に紛れるように消え失せてしまう。
深更、仮寝する僧のもとに融大臣の霊が在りし日の姿で現れると、かつてこの邸で過ごした華やかな御遊の日々を胸に懐旧の舞を舞う…。
光源氏のモデルとも言われる源融。その失われた優雅な日々の情景が、月下の河原院に静かに浮かび上がる。故人の面影を偲ぶ追善公演に相応しい、世阿弥作の詩情あふれる秋の名作能。
「思立之出」は冒頭の謡の順序が入れ替わり、ワキの登場が常と異なる演出となる小書(特殊演出)。また「十三段之舞」は通常五段の早舞を十三段舞い重ねるという、融大臣の華やかな御遊を彷彿とさせるような演出となる重い習の小書。
さらに詳しい解説はこちらから