朝長(ともなが)
◆登場人物
前シテ | 青墓宿の長者 |
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後シテ | 源朝長の幽霊 |
ツレ | 長者の侍女 |
トモ | 長者の従者 |
ワキ | 清涼寺の僧(かつての源朝長の養育係) |
ワキツレ | 同行の僧 【2‐3人】 |
アイ | 長者の下人 |
※ツレ・トモは、流儀により、登場しない演出もあります。 ※ワキは、流儀により、かつての源朝長の乳兄弟(養育係の子)とする場合もあります。 |
◆場所
美濃国 青墓宿 〈現在の岐阜県大垣市青墓〉
概要
平治の乱の直後。かつて源朝長の養育係であった僧(ワキ)は、合戦で自害した朝長の菩提を弔うべく、その終焉の地・青墓宿を訪れる。僧が朝長の墓前で手を合わせていると、そこへ、この宿場の長者(前シテ)がやって来た。実は彼女こそ、朝長が自害の晩に泊まっていた宿所の主であった。わずか一夜の縁ながら、今なお朝長を大切に思い、亡き跡を懇ろに弔う長者。彼女は、朝長自害の夜の記憶を語ると、僧に今夜の宿所を提供する。
その夜。僧が弔っていると、朝長の幽霊(後シテ)が現れた。譜代の家臣すら主君を裏切る世の中で、たった一夜の縁でありながら、今なお自分を大切に思ってくれている長者。そんな長者へ、朝長は感謝の言葉を述べる。彼は、今なお脳裏で繰り返される合戦の記憶に苦しみつつ、さらなる廻向を願い、消えてゆくのだった。
ストーリーと舞台の流れ
1 ワキ・ワキツレが登場します。
平安末期。平治の乱で敗れた源義朝の一行は、東国へと落ち延びていた。しかし青墓宿で次男・朝長は自害。義朝自身も、後に旧臣の長田(おさだ)に討たれてしまった——。
その朝長自害の報せを受け、青墓へと向かう僧(ワキ)があった。彼は、かつて朝長に養育係として仕えていた身。その朝長の菩提を弔うべく、供の僧たち(ワキツレ)を連れ、こうして京都から下ってきたのであった。
2 ワキは、アイと言葉を交わします。
青墓宿に到着した一行。土地の男(アイ)を見つけた僧は、朝長の墓所を知っているかと尋ねる。男から墓の場所を教えられた僧たちは、心静かに参拝することとした。
3 前シテ・ツレ・トモが登場します。
そこへやって来た、この宿場の長者(前シテ)。侍女(ツレ)・従者(トモ)を従えた彼女は、数珠と供花とを手に、沈痛な面持ちで朝長の墓所へと歩みを進めていた。「無常の世とは言いながら、思いがけなくも、人の悲しみを目の当たりにしたこの身。あの恨めしかった雪も消え、瞬く間に月日は移りゆく。ほんのひとときお会いしただけの、あの方のお痛わしいこと。思い出すのも辛く苦しい、あの日の記憶…」。
4 前シテは、ワキと言葉を交わします。
やって来た長者は、墓前で涙する僧の姿に不審がる。自らの素性を明かす僧。平家方の詮議きびしい時節、彼はこの地まで、忍んでやって来たのだった。長者は僧に同情し、打ち明ける。「朝長様は都落ちの途中、私の宿所に泊まり、その夜、自害されたのです…」。
二人を引き合わせたもの。それは、朝長の死の縁であった。春とはいえど枯れ草に覆われた、ひっそりとしたこの原。見上げれば、彼の亡骸を見送ったあの日、一条の煙となって消えていった空。長者はその日を偲び、悲しみの記憶に沈むのだった。
5 前シテは、朝長の最期の様子を語ります(〔語リ〕)。
——去年 十二月八日の夜、荒々しく戸を叩く音がした。義朝一行が、私を頼って来たのだった。朝長は膝を射貫かれ、手負いの身となっていた。やがて夜も更け、耳に聞こえてきた念仏の声。それは何と、腹に刀を突き立てた、朝長の声であった。肌衣は鮮血に染まり、虫の息となった彼は、人々に告げる。『ここまでは来たものの、もはや動けぬ身。このさき犬死にするよりは、この場でお別れ致します…』 それが、最期の言葉であった。
6 前シテは、ワキを宿所に案内し、退出します。(中入)
それは痛ましい、朝長の最期の物語。長者は彼の冥福を祈り、その霊魂を慕って涙する。
そうする内、日は早くも沈みゆく。長者は、僧を自らの屋敷へと案内し、一夜の宿を提供する。彼女は、朝長のために経を手向けてくれと僧に頼み、下働きの男に一行の世話を命じると、部屋から退出していった。
7 アイは、朝長の自害に至る顛末を語ります。
この世話係の男こそ、さきほど朝長の墓の在処を教えてくれた人であった。男は、僧に訊ねられるまま、朝長が自害を決意するに至った顛末を物語る。
8 ワキが弔っていると、後シテが出現します。
その夜、“観音懺法(せんぼう)”の法儀によって朝長を弔う一行。鐃鈸(にょうばち)や太鼓の音が辺りに響き、読経の声は春の月夜に澄みのぼる。まことに有難い、滅罪の調べ。
その法要のさなか。僧たちの眼前に、一人の若武者が現れた。「法要の妙なる音色に、耳も心も浄化されてゆくよう。実に頼もしき、観音様の救済のちから。懺法の声の、有難いことよ…」 彼こそ、源朝長の幽霊(後シテ)であった。
9 後シテはワキと言葉を交わし、弔いに感謝します。
幽かな灯火の影に現れた、朝長の幻影。こうして再会が叶ったのも、弔いの声の力ゆえ。空には真如の月が、やさしく照らし出してくれている…。そんな夜のひととき、朝長は更なる廻向を願うと、自らの思いの丈を語りはじめる。
10 後シテは、戦に敗れた無念と長者への感謝を述べます(〔クセ〕)。
——源平両家が協力し、朝廷を守護していた昔。ところが保元・平治以来、世は戦乱の巷となりました。兄は討たれ、弟は捕らえられ、父は旧臣の長田を頼ったものの、裏切りに遭って敢えなき最期。しかし、そんな譜代の家臣すら裏切る世の中で、長者はたった一夜の縁ながら、まるで実の親のように、死後までも丁重に弔ってくれています。『一切の存在を父母と思え』という仏の教えを実感できた今、私の後生も、どうかご安心下さい…。
11 後シテは、合戦の記憶に苦しみつつ消えてゆきます。(終)
安楽な世界へと赴いた、朝長の魂。しかし今なお、魂の一部はこの妄執の世に留まり、修羅道の苦患を受けていた。それは、幾度となく繰り返される、生前の合戦の記憶。「あの時、馬上の私の膝を貫いた矢。脚は馬に縫い付けられ、馬は痛みに暴れ出す。動けなくなった私は、控えの馬に乗せられてこの地へ。そうして遂に覚悟を決めた私は、腹一文字に搔き切ったのです…!」 そう語ると、朝長は供養を願いつつ、消えてゆくのだった。