銕仙会

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曲目解説

安達原あだちがはら

鬼女の身と生まれ、生きてゆくために犯してきた罪への、悔恨の念。しかし、恥をしのんで山伏をもてなした鬼女の厚意は無残にも裏切られ、最も恥ずべき秘密までもがさらけ出されてしまう…。

別名 黒塚くろづか
作者 不詳
場所 陸奥国 安達ヶ原(現在の福島県二本松市付近)
季節 仲秋
分類 四・五番目物 鬼女物
登場人物
前シテ 安達原の年闌けた女 面:深井など 唐織着流女出立(一般的な女性の扮装)※
後シテ 安達ヶ原の鬼女 面:般若 般若出立(鬼女の扮装)※
ワキ 山伏 祐慶阿闍梨 山伏出立(修験者の扮装)
ワキツレ 同行の山伏 山伏出立
間狂言 山伏の従者 能力出立(雑用係などの下級の僧侶の扮装)

※小書により、シテの装束が変化することがあります(下記)。

概要

諸国行脚の山伏一行(ワキ・ワキツレ)が奥州安達原に至ったところ、日が暮れたので、近くの庵に宿を借りようとする。庵に住む女(前シテ)は一度は断るが、一行を不憫に思い泊めてやる。女は一行のために賤女の営みである糸車を使って見せつつ、人間界に生まれながら仏道を願いもせず心の迷いのままに生きてきた過去の自分を悔やみ、わが人生の空しさを嘆く。女は一行に暖を取らせるため薪を取りに出るが、留守中に寝室を覗かぬよう念を押してゆく。一行は暫く休むこととしたが、一行の従者(間狂言)が隙をみて寝室の内を覗くと、そこには人間の屍骸が山積みにされていた。女の正体は、安達原に棲む鬼であった。一行は逃げ出すが、約束を破られ裏切られたと知った鬼(後シテ)が追ってくる。しかし、山伏の験力によって鬼は調伏され、夜嵐の中に消えてゆくのであった。

ストーリーと舞台の流れ

0 庵室をあらわす作リ物が運び出されます。

1 ワキ・ワキツレが登場します。

人里離れてひっそりと静まりかえった、陸奥国 安達原。生い茂ったススキに風がびゅうびゅうと吹き付ける、薄気味悪いこの原に、山伏の一行(ワキ・ワキツレ)が通りかかっていた。彼らは諸国行脚の途上であったが、運の悪いことにここで日が暮れてしまう。

見ると、向こうの方に火の光がかすかにゆらめいていた。彼らは一夜の宿を借りようと、そちらの方へ向かってゆく。

2 前シテが作リ物の中から登場し、ワキと言葉を交わします。

秋の風が身にしみ、そら恐ろしい雰囲気の、安達原の月の夜。その中に建つ一軒の庵に侘び住まいをしていたのは、すでに盛りも過ぎ、老いを迎えつつある一人の女(前シテ)であった。

宿を貸してくれと言う山伏たちに対し、女は、みすぼらしいあばら屋であるからと一度は断る。しかし彼女は彼らを気の毒に思い、やはり泊めて差し上げようと言うのだった。

3 ワキ・ワキツレは、庵の中に入ったていで、前シテと言葉を交わします。

屋内にあがった一行は、そこに見慣れぬ道具が置いてあるのに気づく。女は、この道具は枠桛輪わくかせわといって、身分の賤しい女が使う糸車なのだと教える。興味を示した山伏は、使うところを見せてくれと言う。女は、賤しい行いを見せることを恥じながらも、一行をもてなすため、使って見せようという。

一条の月光が洩れ来る、庵の内。女は糸を繰りつつ、過ぎ去りし日々に思いを馳せる…。

4 前シテは糸を繰りつつ、わが人生の空しさを嘆きます(〔サシ・クセ・ロンギ〕)。

――悲しいかな、人の身と生まれながら、辛いばかりの生活に明け暮れて。それでも、心さえ正しい道を守るなら、救いはきっと訪れるはず。輪廻を引き起こすのも、心の迷い。仏道を願いもせず生きてきた、今までの心が恨めしいけれど、どうしようもないこと…。

「光源氏の日蔭の糸の冠、葵祭の糸毛の車。春の都の糸桜、秋の月夜の糸芒。そんな華やかな糸にひきかえ、こうして糸を繰る私の人生は、何ともつまらなく、長いものでした…」女は自らの人生を悔やみ、泣き崩れてしまうのだった。

5 前シテはワキに寝室の内を覗かぬよう言い残し、薪を取りに出かけます。(中入)

夜は更け、次第に肌寒くなってゆく。女は山伏たちに暖を取らせるため、少しの間、薪を取りに行ってくると言う。

「や…、」 出がけに、女は思い出したように立ち止まると、「私が戻るまで、決してこの寝室の内はご覧にならぬように」と言い残す。山伏たちが約束すると、女は夜の闇へと消えていったのであった。

6 間狂言は、ワキの隙を見て寝室の内を覗いてしまいます。

見るなと言われると見たくなるのが、人間のさが。この様子を隣で聞いていた山伏の従者(間狂言)は、先刻の女はどうも様子が怪しいと言い、寝室の内を見たいと言う。女との約束ゆえ絶対に見てはならぬと山伏に叱られ、いったんは引き下がった従者であったが、山伏たちの眠るのを待って寝室の戸を開くと、そこにあったのは…、

7 間狂言は寝室の様子をワキに報告し、ワキ・ワキツレは逃げてゆきます。

従者の悲鳴で目が覚めた山伏たち。聞けば、寝室の内には人間の屍体がバラバラに切り刻まれ、山と積み上げられていたという。さては先刻の女は、安達原に棲む鬼であったのか。寝室の様子を確認した山伏一行は、足に任せて逃げてゆく。

8 後シテが登場し、ワキ・ワキツレと激しく争います(〔祈リ〕)。

夜の安達原をひた走る山伏一行。しかし後ろから、鬼の正体をあらわした先刻の女(後シテ)が、凄まじい速さで迫ってきた。約束を破られ、裏切られたと知った鬼女の憤りは胸を焦がし、かの山伏どもをただ一口に喰ってしまおうと襲いかかる。

9 後シテはワキによって祈り伏せられ、退散してゆき、この能が終わります。

鬼女と山伏たちは激しく戦っていたが、やがて山伏の法力によって鬼女は祈り伏せられる。

「安達原の黒塚に今まで隠れ棲んでいたのも、こうして露わになってしまった。この我が姿のあさましく、恥ずかしいことよ…」 鬼女の言葉は、なお凄まじく響きわたる。その声を残して、鬼女は夜嵐の中に消え失せていったのであった。

小書解説

・白頭(はくとう)

通常の演出では、後シテのかぶるカツラは女性の髪をあらわす長鬘ながかづらというもので、薪を採りに出た女がそのまま鬼となった様子を表現しているのですが、この小書がつくと、白頭しろがしらという、長く伸びた白髪をあらわすかぶり物をつけます。安達原に古くから棲み続ける、年老いた鬼をあらわす演出となっています。

また、通常の演出であれば、前シテのかける能面は「深井ふかい」や「曲見しゃくみ」などの中年女性をあらわす面なのですが、この小書のときには「うば 」という老女をあらわす面となります。昔から住みつづける鬼の化身として、どこか怪しげな、老獪な雰囲気が醸し出される演出となっています。

みどころ

奥州・安達原には、鬼が棲んでいる――。

平安時代以来、そんな伝説が語り継がれていました。平安時代成立の『拾遺和歌集』には、次のような歌が載せられています。

陸奥みちのくの安達が原の黒塚に 鬼こもれりと言ふはまことか

(陸奥国の安達ヶ原の黒塚に、鬼が隠れ棲んでいるというのは本当かい?)

この歌は、平兼盛が陸奥にいた女性に呼びかけて詠んだ歌で、もともとは田舎である陸奥をからかったものでしたが、後にはこの歌とともに、安達原には鬼が棲んでいるという伝説が広まってゆきました。その鬼を主人公にしたのが、この能《安達原》です。

 

本作の前場における見どころ・聞きどころとなっているのは、鬼の化身である女(前シテ)が糸を繰りつつ昔を回想する場面です。そこでは女は、仏道を願うこともなく、ただ迷える心のままに犯してきた、今までの罪を悔い、正しい道に叶った心をもつことによる仏の救いを願って、心情を吐露しています。秋の夜のしみじみとした、もの寂しい情趣を感じさせる場面となっていますが、じつはその真意は、物語が進むにつれて明かされてゆくのです。この女は鬼の化身であったことが後で判明しますが、実はこの糸を繰る場面で、女は、鬼として生まれ、自分が生きてゆくためには人を喰い殺してゆかねばならなかったという運命の定めを嘆き、今まで犯してきた罪を懺悔していたのでした。

女は庵のみすぼらしさを恥じつつも、親切心から山伏たちに宿を貸し、さらに賤しい者のするわざである糸繰りを、山伏たちのために恥をしのんで見せてやります。そのうえ、夜も更けて寒かろうと、女は薪を求めて夜の闇へと出て行くのです。自分の犯してきた罪が知られてしまうのではないかと、一抹の不安を抱きながら…。

しかし、その女の厚意は、無残にも裏切られてしまいます。苦労して薪を集め、それを背負って帰ってきた女は、約束が破られ、自らの最も恥ずべき部分が暴露されてしまったことを知って、怒りと無念さのあまり、今まで恥じ隠してきた鬼の心がわき起こるのを押さえきれず、山伏一行を追ってゆきます。

山伏の法力によって調伏された鬼女は、「あさまになりぬ、あさましや、恥づかしのわが姿や」という声を残して消えてゆきます。自らの恥をしのんで山伏をもてなした鬼女は、その最も恥ずべき罪のかたちまでも見あらわされてしまい、救われることなく調伏され退散させられてしまうのでした。

鬼の身と生まれた女の悲しみが、この能には描かれています。

(文:中野顕正)

過去に掲載された曲目解説「安達原」(文・中司由起子)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2017年1月)

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