銕仙会

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曲目解説

阿漕あこぎ
「身をいため骨を砕けば、叫ぶ息は焦熱大焦熱の」――凄惨なまでの責め苦の数々。天命によって定められた生業と、仏教的倫理観との狭間で苦悶する、一人の男の物語。
作者 不詳
場所 伊勢国安濃郡 阿漕ヶ浦  (現在の三重県津市)
季節 晩秋
分類 四番目物 執心男物
「三卑賤」の一つ(他に《鵜飼》《善知鳥》
登場人物
前シテ 浦の漁翁 面:笑尉など 着流尉出立(老人の扮装)
後シテ 漁師「阿漕」の亡霊 面:痩男など
水衣着流痩男出立・腰蓑(地獄の責め苦を受ける男の扮装)
ワキ 旅の僧(※) 着流僧出立(一般的な僧侶の扮装)
間狂言 浦の男 肩衣半袴出立(庶民の扮装)

※ワキを日向国の男(素袍上下出立)とする演出もあります。

概要

旅の僧(ワキ)が伊勢国を訪れると、そこに一人の漁翁(前シテ)が現れ、この浦は古歌にも詠まれた旧蹟「阿漕ヶ浦」であると教える。漁翁は、この浦で度々密漁し、露見して殺された「阿漕」という漁師の故事を物語り、阿漕が死後も地獄の呵責に苛まれていることを告げる。そのとき、にわかに疾風が吹き荒れ、漁翁の姿は消え失せてしまう。実はこの漁翁こそ、阿漕の亡霊であった。

僧が阿漕を弔っていると、地獄の責めに苦しむ阿漕の亡霊(後シテ)が現れ、漁師という生前の生業ゆえ殺生への執着を捨てきれないでいることを語る。そのとき、阿漕を取り巻くあらゆる物が、地獄の呵責と化して彼を責め立ててゆく。彼は救いを求めつつ、苦悶の声とともに消えてゆくのであった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場し、自己紹介をします。

日本第一の神道の聖地・伊勢神宮。そのお膝元に位置する伊勢国は、神に捧げる御食事が調達される聖域として、古来、憚り多い土地と考えられていた。

その伊勢国へと向かう、一人の僧(ワキ)。神宮参詣を志す彼は、故郷・日向国から遥々の海路を渡り、霊地・伊勢を目指す。やがて伊勢国 安濃郡に到着した彼は、暫くこの地で荷を下ろし、浦の景色を眺めることにした。

2 前シテが登場します。

そこへ現れた、年老いた漁師(前シテ)。「ああ、悲しいこと…。およそ世を渡る生業とは苦しいものながら、中でも生き物の命を取らねばならぬ、漁師の身の罪深いことよ。そんな殺生の家に生まれ、毎日毎日、生命を奪って過ごす日々。しかしそれとて、生きてゆくためには仕方のないこと。今日もまた、漁に出ることとしよう…」。

3 ワキは前シテに声をかけ、二人は言葉を交わします。

僧は老人に声をかける。聞けばこの地こそ、古歌に『伊勢の海阿漕が浦に曳く網も度重なればあらはれにけり』と詠まれた旧蹟・阿漕ヶ浦であった。老人は、この古歌について僧と語り合う。「おお、その歌でしたらこの土地の歌ですから、よく存じておりますよ。名所旧蹟に長年住んでいると、風流というのは自然と身につくもの。賤しいながらも、私のような海士といえば、歌にも詠まれる風情ある生業。侮ってもらっては困りますぞ…」。

4 前シテは、いにしえの漁師「阿漕」の故事を物語ります。

老人は、この浦が「阿漕ヶ浦」と呼ばれている由緒を語りはじめる。

――古来この浦は、神宮へ捧げる御供を調達する、神聖なる禁漁区。この浦には神を慕って多くの魚が集まっていた。ところが阿漕という漁師は夜な夜な密漁をはじめ、度重なる漁の果てに露見した彼は、浦に沈められてしまったのだった…。

「度重なる罪の果てに憂き名を流し、歌にまで詠まれてしまった『阿漕』の名。人々がその名を口にするたびに、死後の今までも、罪の苦しみを受け続けるのです…」。

5 前シテは自らの正体を明かし、消え失せます(中入)。

この老人こそ、阿漕の幽霊であった。彼は僧に、「ここで出会ったのも仏縁、何とぞ回向して下さりませ」と懇願する。老人は、罪業のもととなった漁の有り様を見せはじめる。
そのとき、穏やかな浦の夕べの情景は一変した。にわかに疾風が吹き乱れ、漁り火はかき消されて辺りを闇が覆う。「おお、これはどうしたこと…!」という叫び声を遺して、老人は消えてしまうのだった。

6 間狂言が登場し、ワキに物語りをします。

そこへ、この浦の男(間狂言)がやって来た。彼は僧に尋ねられるまま、いにしえの阿漕の故事を物語る。僧は、先刻の老人が阿漕の霊だと確信するのだった。

7 ワキが待っていると後シテが現れ、漁の有り様を見せます(〔立廻リ〕)。

苦悶の声を遺して海に消えた老人。その彼を救うべく、僧は『法華経』を読誦する。

そこへ、阿漕の亡霊(後シテ)が現れた。地獄の苦患によって痩せ衰えた、見るも無惨な姿。「御供をとる舟は、今宵はまだ出ていないようだ。今がよき隙。さあ、漁に出よう…」。

悲しいかな、死してなお密漁をやめられず、夜の闇をひとり歩む、阿漕の執心。漁師の身と生まれた彼の魂には、殺生を楽しむ心が染みついてしまっていたのだった。

8 後シテは地獄の呵責に苦悶し、救いを求めつつ消え失せ、この能が終わります。

有難い読経の声を聞いてなお消えやらぬ、罪の心。その報いに、波は猛火となって身を焼き尽くし、魚たちは悪魚毒龍となって阿漕を襲う。紅蓮の氷に骨は砕け散り、叫ぶ息は火焔となる。この世の全てが凶器と変じ、地獄の呵責は身に降りかかる。

「助けて、助けてくれ…!」 その叫び声を遺し、阿漕は海底へと沈んでいったのだった。

みどころ

本作は、罪深い行いであると自覚しつつも殺生のわざに執着し、そこから抜け出すことのできない、一人の漁師を主人公とする能です。
本作の成立した中世の社会では、職業選択の自由がある現代社会と異なり、生まれによって生業(なりわい)が規定され、好むと好まざるとにかかわらず、基本的にはその職業を生涯続けてゆかねばならないものとなっていました。そういった中で、生き物の命を取ることで生計を立ててゆく漁師・猟師は、その職業が反倫理的な、罪深いものであるとは知りつつも、生きてゆくためにはその職を続けてなければならないというジレンマを抱えながら、日々を暮らしていたのでした。
本作の後場では、殺生の業によって地獄の呵責を受けながらも、それでも漁をやめることのできない阿漕の姿が描かれていますが、そのように、漁師・猟師としてのアイデンティティと仏教的倫理観との狭間で苦悶する人々の姿を、本作は実にリアルに描き出しています。
本作のように、生き物の命を取ることで生計を立てていた漁師/猟師が、死後その罪によって苦しむ有り様を見せるという能には、他に〈鵜飼うかい〉〈善知鳥うとう〉があり、本作とあわせて「三卑賤」と称されています。いずれの作品も、生業のアイデンティティと倫理観との間で板挟みになった人物の苦悩を描く、重いテーマの能となっています。
ところで、本作の成立背景としては、「伊勢の海 阿漕が浦に曳く網も 度重ならば人もこそ知れ」という和歌の存在が大きな影響を与えていたと考えられています。
この歌は、平安末期に活躍した有名な歌人・西行が、俗世を捨てて出家しようと思い立ったときの故事(『源平盛衰記』や『西行物語』など)に出てくるもので、それによれば、西行の出家について次のような物語が伝えられています。
――鳥羽上皇に仕える武士であった佐藤憲清さとうのりきよは、ある身分の高い女官(一説には女院ともいう)に恋をしてしまった。ところがその女は、彼を憐れんで一度は逢ってやったものの、その後は交渉をもつこともなかった。たびたび思いの丈を伝える憲清に、彼女は「阿漕が浦ぞ」と言葉をかけた。「密漁も度重なれば露見してしまう。そのように、もしも度々逢ったならば、いつかは人に知られてしまうだろう。もうすっぱりと諦めなさい」という意図であった。失恋のショックから世を儚んだ憲清は、遂に出家を遂げたのであった。これが、西行法師である…。
西行に関する能は他にも〈江口〉や〈西行桜〉など複数存在し、能の世界で大変好まれた人物であったことが知られていますが、本作においても、この西行出家譚のエピソードが、通奏低音のように響いています。
本作は、殺生戒をテーマとする暗い能でありながら、恋の歌が複数引用されている点が注目されます。上記「4」の場面の〔クセ〕では「阿漕が喩へ浮き名立つ、憲清と聞こえし、その歌人の忍び妻、阿漕阿漕と言ひけんも、責め一人に、度重なるぞ悲しき」と謡われ、西行出家譚によって「阿漕」の語が人口に膾炙することが自分への責め苦につながるのだと述べられていますが、そのように、甘美な「恋」の情趣を「執着」「苦患」に転化することによって責め苦の壮絶さを描き出したところに、作者の非凡な才能が見え隠れしていると言えましょう。
浦の景色も、恋の情趣も、ありとあらゆるものが責め苦へと転化され、我とわが身を苦しめる…。アイデンティティと倫理観の間で板挟みとなった一人の人間の、凄惨なまでの苦しみを、描き出した作品となっています。

(文:中野顕正)

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今後の上演予定

(最終更新:2017年3月)

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