兄頼朝と不和となった源義経(子方)の一行が山伏姿となって逃避行の途中、安宅の湊にさしかかると、義経を捜し出すための関所が設けられていた。一行を先導する弁慶(シテ)は一計を案じ、義経を召使いに変装させて関を通ろうとする。山伏を通すまいとする関守・富樫某(ワキ)と争い、「勧進帳を読め」との難題にも応えて通過の許可を獲得した一行であったが、変装した義経を富樫に見咎められ、絶体絶命の危機となる。そのとき弁慶は召使い姿の義経を怒鳴りつけて殴り倒し、富樫に通行を認めさせるのだった。
やがて関を越えた一行。主君への無礼に恐縮する弁慶だったが、義経はかえって彼の機転を讃え、自らの身の不遇を嘆いて家臣たちとともに涙する。そこへ富樫が現れ、先刻の非礼を詫びるためと称して酒を持ち出す。怪しまれぬよう酒宴を開き、山伏を演じきった一行は、富樫に別れを告げて奥州へと下ってゆくのだった。
1 ワキ・アドアイが登場します。
鎌倉時代初頭。平家を滅ぼし、源氏の天下をもたらした源義経であったが、運命の悪戯か、そののち兄頼朝と不和となり、遂には追われる身となってしまう。頼朝は、義経主従が山伏姿で逃亡を続けていると聞き、全国の家臣に命じて尋問のための関所を作らせていた。
加賀国の武士・富樫某(ワキ)もまた、そんな関守たちの一人であった。彼は今日も従者(アドアイ)に命じ、安宅の湊に作らせた新関を厳重に警護させていた。
2 子方・シテ・ツレ・オモアイが登場します。
そこへさしかかった、源義経(子方)の一行。先導する弁慶(シテ)をはじめ、随行する十人の家臣たち(ツレ)に至るまで、一行は山伏に変装し、奥州を頼って逃避行を続けていた。未だ慣れぬ山伏姿のまま、都を落ち延び北陸道の旅へ。山を越え、海を渡り、一行はようやく安宅の湊まで辿り着いたのであった。
3 シテ・ツレ・子方は、関所を越える方法を議論します。
荷を下ろした一行。そのとき義経は、安宅の湊に新関が作られたという噂を耳にする。今後の手立てを相談する一行。血気に逸 (はや)る者からは「力づくで通ろう」という声も上がるなか、思慮深い弁慶は、何とかして穏便に済ます方法を模索する。
弁慶の提案は、義経を召使いの姿に仕立て、笠で顔を隠して通そうというもの。義経もこれに同意し、さっそく召使いの姿に改める。
4 シテはオモアイに命じて関所の様子を報告させ、一行は関へと向かいます。
弁慶は本来の召使い(オモアイ)を呼び出し、件(くだん)の関所の様子を見に行かせる。召使いが行ってみると、用心厳しい堅固な守りに、傍らには見せしめとして山伏の生首が懸けられていた。召使いは腰を抜かして逃げ帰り、弁慶に事の次第を報告する。
覚悟を決めた一行。義経は粗末な衣に重荷を担い、いかにも疲れたような足取りで後ろからよろよろと歩いてゆく。その痛わしい姿に、一同は涙せずにはいられないのだった。
5 ワキはシテ・ツレ一行を呼び止めて処刑しようとし、一行は最期の勤行を始めます。
関へと進む一行。呼び止める富樫に、弁慶は東大寺復興の募金集めだと説明するが、富樫は「何であれ山伏を通すことはできない」と言い放つ。一触即発の危機。弁慶は、ならば最期の勤行を始めようと啖呵を切る。
鬼気迫る勢いで数珠を揉む一行。「――仏の姿をかたどり、宇宙を体現する山伏。そんな有難い山伏をこの場で処刑しようとは。熊野権現の仏罰は、逃れられぬ所ですぞ…!」
6 シテは勧進帳(かんじんちょう)を読めと言われ、巻物を手に朗々と読み上げます(〔勧進帳〕)。
富樫は言う。「ならばこうしよう。東大寺復興の募金集めならば、その趣意を書いた勧進帳があるはず。この場でお聞かせ願おう」。難題を突きつけられた弁慶は、覚悟を決める。
弁慶は一つの巻物を広げると、声高らかに読み始める。『――釈尊入滅後の闇の世。そんな中、聖武天皇は后を失った悲しみから、大仏を建立された。しかし今、その霊場は危機に瀕している。些少なりとも寄付をした者は、無量の福徳を得られようぞ…』。偽の巻物を手に堂々と読み切った弁慶。さすがの富樫も肝を潰し、通行を許可してしまう。
7 ワキは通ろうとする子方を呼び止め、シテ・ツレはワキのもとに詰め寄ります。
後に続く義経。ところが富樫はこれを見咎め、彼を尋問しようとする。絶体絶命の危機に身構える一行。弁慶は一同を押しとどめると、ひとり果敢に関所へと戻ってゆく。
富樫は弁慶に、この者が義経に似ていると告げる。すると弁慶は、誤解を招いたのは召使いの遅足ゆえだと怒鳴りつけ、なんと義経を殴りつけた。なおも食い下がる富樫に、さては荷物を狙う盗人かと言い放つ弁慶。そのとき、勢いを得た一行は富樫に詰め寄る。一丸となって迫り来る一行に、ついに富樫は根負けし、通行を許可してしまうのだった。
8 シテは子方に謝罪し、一行は自分たちの果報の拙さを嘆きます。
無事に関を通過し、十分に距離を取った一同は、暫しの休憩をとることにした。
弁慶は義経に、先刻の暴挙を平謝りに謝る。ところが義経はかえって彼の機転を讃え、神の御加護かと涙する。「私の半生は、兄頼朝に命を捧げる戦いの連続だった。海山に寝起きし、鎧を枕の日々。そんな私の忠勤も甲斐なきこと。正直者は苦しみ、悪人は栄えるこの世の中。…ああ、神も仏もいないのか!」 義経の言葉に、一同はただ涙するのだった。
9 ワキ・アドアイが再登場してシテに酒を勧め、シテは請われて〔男舞〕を舞います。
その頃、富樫は従者に酒を持たせ、山中を急いでいた。一行に追い着いた彼は、先刻の非礼を詫びるための酒だと言い、一行に振る舞おうとする。一行は用心しつつも、怪しまれぬよう、彼の言に従って酒宴を開く。かつて比叡山で修行した経験をもつ弁慶は、僧侶の芸能“延年”を舞って見せ、山伏の様を演じるのだった。
10 ツレ・子方は急いで立ち去り、シテも無事に去ってゆき、この能が終わります。
やがて頃合いを見計らい、弁慶は一同に合図を送る。義経をはじめ一行は足早にその場を立ち去り、弁慶もまた荷を担ぐと、早々に富樫へ別れを告げる。
こうして、危うい所を逃れた義経一行は、奥州へと旅立っていったのだった――。
上記「6」の勧進帳を読み上げる場面は、建前上、通常演出ではシテ・ツレ十一人が一緒に勧進帳の文句を謡うこととなっており、この小書が付いた場合のみ、シテが一人で勧進帳を謡うとされています。ただし実際には、この小書を付けずに本作を上演することは殆ど無いに等しく、シテが一人で朗々と勧進帳を読み上げる場面は本作随一の聞かせ所となっています。
この〔勧進帳〕の謡は、七五調を基調とするリズムに漢文訓読調の文章を当てはめてゆくものであるため、リズムの取り方が難しく、《正尊》の〔起請文〕、《木曽》の〔願書〕とともに「三読物」として極めて重い扱いを受けています。