銕仙会

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烏帽子折(えぼしおり)

◆登場人物

前シテ 烏帽子屋の主人
後シテ 盗賊の首領 熊坂長範(くまさかちょうはん)
子方 牛若丸
前ツレ 烏帽子屋の主人の妻  じつは鎌田正清の妹・阿古屋前(あこやのまえ)
後ツレ 盗賊 【大勢】
ワキ 三条吉次信高(さんじょうきちじのぶたか)
ワキツレ 三条吉六(さんじょうきちろく)
アイ 伝令
アイ 宿の亭主
アイ 盗賊の手下 【3人】

◆場所

【1~2】

 京都

【3~7】

 近江国 鏡の宿  〈現在の滋賀県蒲生郡竜王町鏡〉

【8~13】

 美濃国 赤坂宿  〈現在の岐阜県大垣市赤坂町〉

概要

平安末期。鞍馬寺を抜け出した牛若丸(子方)は、行商人の三条吉次(ワキ)一行に連れられ、奥州への旅に赴く。その途上、一行が鏡の宿に到った折、牛若を捜索せよとの平清盛の命令が伝わってきた。牛若は、急いで姿を変えるべく、元服を思い立つ。烏帽子屋の主人(前シテ)を訪ね、源氏の作法である左折りの烏帽子を注文した牛若。彼の正体を察した主人は、昔の源義家の嘉例を語り、前途を祝福する。代金にと一振りの刀を渡した牛若。すると、これを見た主人の妻(前ツレ)は涙ぐむ。実は彼女こそ、牛若の父・源義朝に最期まで従った鎌田正清の妹であった。一同は、思わぬ主従の再会に涙するのだった。
旅は続き、赤坂宿に泊まった一行。聞けば今夜、盗賊の襲撃計画があるという。怯える吉次へ、賊を撃退しようと言う牛若。彼は、やがて現れた盗賊たち(後ツレ)を次々に撃退すると、盗賊団の首領・熊坂長範(後シテ)をも、遂には討ち取ってしまうのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

平安末期。京の都では平清盛が権勢をほしいままにし、奥州の地には藤原秀衡が栄華を誇っていた頃。その京都と奥州とを往還しつつ、巨万の富を築く行商人が現れた。その名は三条吉次(ワキ)。今日もまた、彼は弟の吉六(ワキツレ)とともに、都で仕入れた宝の数々をたずさえ、奥州への旅に出発するところである。

2 子方が登場します。

そのとき背後から、一人の少年(子方)の声がした。奥州への旅に連れて行ってほしいと頼む少年。見れば、寺の稚児姿。吉次は、師匠の元から逃げ出してきたのではと怪しむ。しかし少年は言う。自分には父も母もなく、師匠からも勘当され、もう行くあてが無いのだ——。その言葉に、吉次は彼の同行を許可する。
京都を出発した一行。粟田口、逢坂、粟津、守山と、一行は近江路を東へ進んでゆく。

3 アイ(伝令)が登場し、牛若丸捜索の旨を触れまわります。

やがて到った、鏡の宿。時刻は夕暮れ時。一行は、この地で一夜を明かすこととした。
そこへやって来た、平氏政権の伝令(アイ)。聞けば、源義朝の子・牛若丸が、このたび鞍馬寺から脱走したとのこと。見つけた者には褒美を出そうとの、清盛の命令だという。それを聞いて狼狽する少年。実は彼こそ、牛若丸その人であった。彼は姿を変えるべく、急いで元服を遂げようと思い立つ。

4 子方は、前シテのもとを訪れます。

烏帽子屋を訪れた牛若。烏帽子屋の主人(前シテ)は、もう遅い時刻なので明日にしてくれと言う。しかし急ぎの用事と頼まれ、それならばと、彼は烏帽子の注文を聞く。
烏帽子の先端は左折りにと願う牛若。しかし左折りは源氏の作法、この平氏全盛の今には不相応。主人はそう教えるが、牛若は、それでも左折りにと言う。事情を察した主人。彼は、注文通りに作ろうと言うと、左折りの嘉例を語りはじめる。

5 前シテは、左折りの烏帽子の嘉例を語り、子方に烏帽子を着せます。

「昔、前九年合戦を平定した源義家は、左折りの烏帽子を身につけて帝に謁見しました。その時、恩賞として奥州を賜わる栄誉にあずかった義家どの。貴殿もその如く、これから活躍してゆくはず。その時は、この烏帽子屋を引き立てて下さいませ。昔は、源平両家が共に栄えていました。しかし保元以後、それが崩れてしまったのは悲しいこと。それでも果報あるならば、再び花咲く時節を迎えられるでしょう…」 懸緒を取り付け、牛若の頭に載せた烏帽子の立派なこと。これこそは、御大将の前途を予感させるものなのだ——。

6 前シテは、前ツレを呼び出します。

牛若は、謝礼として刀を譲る。結構な品に困惑しつつも、妻(前ツレ)に見せた主人。すると、妻は思わず涙ぐむ。「今まで黙っていましたが、実は私は、源義朝さまに最期まで従った鎌田正清の妹。牛若さま誕生の折、義朝さまから与えられた守り刀を取り次いだのは、他ならぬ私なのです…」 それこそがこの刀。さては少年は、かの牛若丸であったのか。夫婦は、帰っていった彼を追いかける。

7 前シテ・前ツレは子方に追いつき、互いに正体を明かして別れます。(中入)

追いついた夫婦。声をかける二人へ、牛若もまた、妻の正体に気付く。思わぬ主従の再会に、一同は涙するのだった。
明け方、牛若の出発を見送る夫婦。商人に連れられ、旅へ赴く若君の姿に、夫婦は嘆く。しかし時勢は移り変わるもの。これは仕方のないことだ——。そう告げる牛若へ、夫婦は餞別として、先刻の刀を差し出した。三人は、惜しみつつも別れを告げるのだった。

8 ワキ一行はアイ(宿の亭主)から宿を借り、子方は夜襲に備えます。

やがて赤坂宿に到った一行は、宿屋の亭主(アイ)に声をかけ、今夜の宿を借りる。部屋に通され、旅の疲れを癒していた一行。しかしそこへ、亭主が血相を変えてやって来た。聞けば今夜、吉次一行の来訪を聞きつけた盗賊たちが、この宿を襲撃するらしいという。怯える一同。しかし牛若は、賊を撃退しようと宣言する。これまでの兵法稽古の成果を、今こそ発揮するとき。彼はそう意気込むと、戸を開け放ち、襲来を待ち受けるのだった。

9 アイ(盗賊の手下)が登場し、宿所の様子を窺います。

そこへやって来た、盗賊の手下たち(アイ)。彼らは、今夜の襲撃の下見のため、この宿所へと忍び込む。見れば、不用心に開け放たれた戸。怪しんだ手下の一人が松明を投げ込むと、聞こえてきたのは切り落とす音。次の手下が中へ入ると、今度は何者かに松明を踏み消される。この様子に怯えつつも中へ入った三人目は、なんと背中を斬りつけられた。手下たちは慌てふためき、この様子を報告しようと逃げ帰ってゆく。

10 後シテ・後ツレ一同が登場します。

やがて現れた、盗賊の一団(後ツレ)。ついに夜襲が始まった。
襲撃の様子を注視していた首領の熊坂長範(後シテ)は、思わぬ苦戦に苛立つ。聞けば、相手は少年一人だという。一騎当千の部下までもが討死し、臆病者は逃げ去った。「先刻手下に使わせた三本の松明は、神の加護、時の運、我等の命を占う品。その全てが消えたとは…」 退却を思案する熊坂。しかしそれでは一生の恥辱と、彼は総攻撃を命令する。

11 後ツレ一同は、子方と戦います(〔斬組〕)。

たった一人で盗賊たちと渡りあっていた牛若。「愚かな者たちよ。私の剣の腕前を知ってなお、挑みかかって来ようとは。一人として、助けてはやらぬぞ…!」 牛若はそう言うと、攻め寄せる盗賊たちと斬り結ぶ。

12 後シテは、子方と斬り合います。

次々と討死を遂げた盗賊たち。ついに、残るは熊坂長範ただ一人となった。齢六十三、今宵が最期の夜討ちよと、覚悟を決めて太刀を抜き放った熊坂。牛若は、そんな仰々しい彼の様子をあざ笑うと、手数を尽くして斬りかかる。十方斬りや八方払い、風捲りに紅葉重ねと、秘術の数々を繰り広げる二人。しかし、剣術の奥義に通じたさすがの熊坂も、牛若の技量には及ばなかった。彼は斬り立てられ、次第に劣勢となってゆく。

13 後シテは、子方に討ち取られます。(終)

剣技では敵わないと悟った熊坂。ならば体格差で巻き返そうと、彼は太刀を投げ捨て、牛若に組みつこうとする。そんな彼へ、牛若は両膝を薙ぎ払う。大地へ倒れ臥した熊坂。起き上がろうとする熊坂の真正面から、牛若は太刀を振り下ろす。
こうして、さしもの熊坂も、真っ二つに討ち取られてしまうのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2025年04月29日)

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