銕仙会

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曲目解説

絵馬(えま)

◆登場人物

前シテ 老人  じつは伊勢内宮の神の化身
後シテ 天照大神
前ツレ 姥  じつは伊勢外宮の神の化身
後ツレ 天鈿女命(あめのうずめのみこと)
後ツレ 手力雄命(たぢからおのみこと)
ワキ 勅使
ワキツレ 勅使の従者 【2‐3人】
アイ 蓬莱の鬼
 ※後ツレは、流儀により、女神【2人】とする演出もあります。
  ※アイは、流儀により、眷属の神とする演出、蓬莱の鬼が複数登場する演出などもあります。

◆場所

 伊勢国 伊勢斎宮の御座所  〈現在の三重県多気郡明和町〉

概要

節分の夜。勅使の一行(ワキ・ワキツレ)が伊勢国を訪れると、白黒二つの絵馬を手にした、老人(前シテ)と姥(前ツレ)が現れた。聞けば今日、来年の豊作を祈念し、この絵馬で神事を行うのだと言う。雨露の恵みを表す黒い絵馬と、日の光を体現する白い絵馬。夫婦は、そのどちらを優先すべきか争うが、今年は両方の絵馬を懸けようと言う。やがて二人は、自分たちこそ伊勢神宮の神だと明かすと、後刻の再会を約束して姿を消す。
やがて、天照大神(後シテ)が、天鈿女命(後ツレ)・手力雄命(後ツレ)を従えて出現した。神徳のほどを示し、天岩戸の故事を再現する大神。大神を招き出そうと、鈿女は神楽を捧げ、手力雄は神威を奮い立たせた。その様子に感じ入り、再び岩戸を開いた大神。こうして、世界には光が復活し、大神の慈悲は末永く天に留まり続けたのであった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

伊勢神宮。日本国の宗廟であるこの神は、天地開闢の昔から、この列島を見守り続けていた。そんな神恩に報いるべく、今日も、奉幣の勅使が派遣されるところである。
都を出発し、旅路をゆく帝の使者たち(ワキ・ワキツレ)。やがて一行は、伊勢斎宮の御座所へと到着した。聞けば、節分にあたる今宵、この御座所では、絵馬を戸に懸ける神事が催されるという。一行はこの神事を見ようと、暫しこの地に留まる。

2 前シテ・前ツレが登場します。

そこへ、白黒二色の絵馬を携えた、老人(前シテ)と姥(前ツレ)の夫婦が現れた。「間もなく訪れる、新春の候。心若やぐこの時節、牛馬を野山に放つのも、戦のない平和な世であればこそ。千代に八千代の君が代は、久しき神々の昔から続く誓いのしるし。悠久の時の中で、絶えることなく受け継がれてきた恵みの数々。我等ごときの民草までも、帝の聖徳を仰ぐことが叶うのは、有難いこと…」。

3 ワキは、前シテ・前ツレと言葉を交わします。

この老夫婦こそ、絵馬の神事に奉仕する者たちであった。明くる年の日の恵み、雨露の恵みを祈念するという、この神事。姥はさっそく、降雨を願う黒い絵馬を懸けようとする。それを制止する老人。日の光こそ、農作業には最第一。彼はそう言うと、日差しを願う白い絵馬を懸けようとする。互いに争う二人。ならば今年は、白黒の絵馬を共に懸けようではないか——。二人はそう言うと、国土の豊穣を願い、二つの絵馬を懸けるのだった。

4 前シテ・前ツレは、物尽くしの謡を謡い、正体を明かして姿を消します。(中入)

二人は絵馬を懸けつつ、“かける”物尽くしの歌を謡う。『賀茂の祭の見どころは、並んで駆け出す駒くらべ。吹き抜ける風に靡くのは、松が枝に掛かる藤波。山の嶺には雲が懸かり、絵に描かれたのは美女の姿——』 神事を執り行い、人々の安寧を祈る二人。「実は我々こそ、伊勢の内宮・外宮の神。貴殿が信心を起こすならば、夜明けに再びお会いしましょう…」 そう告げると、二人はそのまま、宵闇に姿を消すのだった。

5 アイが登場し、新春を祝います。

今宵は節分。厳しい冬も今日で終わりを迎え、明日からは春が訪れる。その喜びに、蓬莱島の鬼たち(アイ)も、あらたまの新年を言祝ぎにやって来た。鬼たちは、宝を勅使へ捧げようと言うと、打出の小槌を振るい、数々の宝を積み上げるのだった。

6 後シテ・後ツレ(天鈿女)・後ツレ(手力雄)が出現します。

やがて——。空を覆っていた雲は山の端のかなたに収まり、辺りには清らかな光が降り注ぐ。その光の中に現れた、神々の影。それは、眷属の天鈿女命(後ツレ)と手力雄命(後ツレ)とを従えた、日本の主宰神・天照大神(後シテ)であった。「人々を救うべく現れた、神々の慈悲のすがた。それはさながら、御裳濯川の水が織りなす波のよう。天空にたなびく五色の雲の輝き、それこそが私の神徳なのだ…!」。

7 後シテは、神威のほどを示して舞います(〔中之舞〕)。

この地は、古来著名な斎宮の御在所。しかし星霜を経るなかで、その神垣は朽ちてゆき、幣帛も今や荒れまさる。それでも、神の威光は、今なお翳ることはないのだ。大神は、この国を治めつづける御稜威のほどを顕現させ、舞の袖を翻す。

8 後シテは作リ物に入り、後ツレ(天鈿女)は〔神楽〕を舞います。
  ※流儀により、後ツレの舞の内容が大きく変化する場合があります。

「昔。私は荒ぶる悪神を懲らしめようと、天岩戸に閉じ籠もった。日月は光を失い、常闇の世となったこの世界。それを嘆いた神々は、何とかして私の心を慰めようと、幣帛を捧げ、神楽を謡い、私を岩戸から招き出そうとしたのだった——」 天岩戸の神話を再現するかのように、神殿の内へと隠れてしまった天照大神。天鈿女命は、そんな大神の心を慰めようと、今また再び神楽歌を謡い、幣を打ち振って舞を舞う。

9 後ツレ(手力雄)は〔神舞〕を舞い、後シテを作リ物から導き出します。(終)
  ※流儀により、後ツレの舞の内容が大きく変化する場合があります。

その時、手力雄命は颯爽と立ち上がると、神威のほどを奮い立たせた。大神の帰還を迎え入れようとの、神々の座。その様子に、大神が戸を少し開けば、再び差し出た日の光に、神々の顔は白く輝く。戸を引き開け、大神の袖にすがって帰還を願う手力雄。こうして、この世界は再び光に満たされた。今なお、この世を照らし給う天照大神。その神徳はいつまでも高天原に留まり、平和な春をもたらし続けるのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2024年12月17日)

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