銕仙会

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曲目解説

藤戸(ふじと)

◆登場人物

前シテ 漁師の母
後シテ 漁師の亡霊
ワキ 佐々木盛綱
ワキツレ 佐々木盛綱の従者 【2‐3人】
アイ 佐々木盛綱の下人

◆場所

 備前国 児島  〈現在の岡山県倉敷市 児島半島。かつては島であった〉

概要

馬で海を渡るという手柄を立て、恩賞として備前国児島を賜わった、源頼朝の家臣・佐々木盛綱(ワキ)。意気揚々と現地に赴いた盛綱だったが、そこへ一人の老女(前シテ)が現れ、盛綱に息子を殺されたと訴え出る。実は、盛綱が手柄を立てたのはこの浦の男に浅瀬の場所を教わったからで、そのとき口封じとして男を殺し、海に沈めていたのだった。はじめは無関係を装う盛綱だったが、やがて観念し、その時の顛末を語る。息子の最期の様子を聞いて泣き崩れ、わが子を帰せと迫る母。その姿に、盛綱は男の供養を約束する。
その夜、盛綱たちが供養をしていると、水底から男の亡霊(後シテ)が現れた。男は廻向に感謝しつつも、盛綱の手柄に貢献しながら不条理に殺された恨みを述べ、そのときの苦しみを語る。しかし最後には、供養の力によって、男は成仏してゆくのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

源平合戦のさなか。馬で海を渡り、備前国児島に陣取る敵軍を撃破した源氏の武将・佐々木盛綱(ワキ)は、その恩賞として同地を与えられ、今まさに現地入りするところ。『川を馬で渡る話は昔にもあるが、海を渡るとは史上稀なる大手柄』——そんな頼朝の賛辞を得、意気揚々と領主の館に入った彼は、家臣(ワキツレ)に命じ、訴訟を希望する者は誰でも申し出るようにと告知させる。

2 前シテが登場し、わが子を殺されたと訴え出ます。

そこへ現れた、一人の老女(前シテ)。彼女は恨めしそうに盛綱の顔を見つめると、さめざめと泣く様子。やがて彼女は口を開く。「武士の世の習いとはいえ、余りに酷いお仕打ち…。わが子を海に沈められた、その恨みを申しに来たのです——」。

3 前シテは、ワキに恨み言を述べます。

わが子を盛綱に殺されたとの、老女の訴え。その言葉に、盛綱は身に覚えがないと言い返す。なおも畳みかける老女。「せめては事実を認めて息子の冥福を祈り、遺族を気遣っても下さるならば、少しは恨みも晴れましょうに——」 今生限りの親子の縁。しかし、その縁を引き裂かれた悲しみは愛執となって、遠い未来の世々までも、この身を苦しみの輪廻に縛り続けるのだ。…そんな恩愛の嘆きに沈みつつ、老女は盛綱を訴えるのだった。

4 ワキは、老女の息子を殺害した顛末を語ります(〔語リ〕)。

その様子に観念し、真実を語りはじめた盛綱。「——あの夜。私は浦の男を呼び出し、海の中に馬で渡れる所はあるかと尋ねた。浅瀬を教えられた私は、宵闇に紛れ、男と二人で見に行ったのだ。しかし彼は賤しい者、他の武将にも喋ってしまうだろう。そう判断した私は、気の毒ながら男をその場で刺し殺し、海に沈めたのだ…」 手柄を独占するため、口封じとして男を殺した盛綱。そんな彼の語る息子の最期に、老女はじっと耳を傾ける。

5 前シテは嘆きの言葉を述べ、ワキに詰め寄ります(〔クセ〕)。

聞いた噂に寸分違わぬ、盛綱の言葉。老女は嘆息する。「老少不定の世とはいえ、子に先立たれてひとり残った老いの身。あの子と共に過ごした二十余年は、思えば夢のようなもの。頼みの息子がこの世を去って、何を生き甲斐に、これから過ごしてゆけばよいのでしょう。いっそ私も、あの子と同じようにして下さいませ…!」 嘆きのあまり、盛綱に詰め寄る老女。彼女は人目も憚らず号泣し、わが子を返せと泣き崩れるのだった。

6 アイが前シテを幕まで送り届け(中入)、男の供養を行う旨を告知します。

その姿に、男の供養と遺族の世話を約束する盛綱。彼は下人(アイ)に命じて老女を家まで送り届けると、さっそく供養の準備をはじめる。

7 ワキが弔っていると後シテが出現し、ワキに恨み言を述べます。

その夜。盛綱は、男の口を封じたあの日と同じ海に向かい、静かに彼の冥福を祈る。
やがて供養も終盤にさしかかった、暁どき。暗い波の底から、男の亡霊(後シテ)が現れた。「盛綱さま…。お弔いには感謝しますが、今なお恨みは晴れません。貴方が史上稀なる手柄を立てたのも、私のおかげ。それなのに、私の命までも召されるとは。氷のような刃で刺し貫かれ、そのまま水底に沈められて――」。

8 後シテはワキに迫りますが、やがて成仏してゆきます。(終)

死後もなお苦しみ続ける、男の言葉。「——海に棄てられた私の亡骸は潮に流され、岩の狭間に引っかかり…。そのまま恨みの記憶に導かれ、水底の悪龍と変じたのです」。
恨みを晴らすべく、この世に留まり続けていた男の悪念。「しかし今、予期せず懇ろな弔いを受け、成仏を遂げることができました——」 水底で朽ち果てていった男の身に、はじめて出会えた救いの舟。そう明かすと、男の亡魂は消えてゆくのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2021年06月14日)

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