銕仙会

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曲目解説

白楽天(はくらくてん)

◆登場人物

前シテ 漁師の老人  じつは住吉明神の化身
後シテ 住吉明神
ツレ 漁師の男  じつは神の眷属
ワキ 白楽天
ワキツレ 白楽天の従者 【2人】
アイ 眷属の神

◆場所

 肥前国 松浦潟  〈現在の佐賀県沖 唐津湾〉

概要

唐の詩人・白楽天(ワキ)は、日本人の智慧の程度を測ろうと、九州の地に到る。するとそこへ、漁師の老人(前シテ)が現れた。かねて楽天の野望を見抜いていた老人。彼は、唐土の漢詩を誇る楽天に対し、日本には和歌があると反論し、天竺の陀羅尼、唐土の詩、日本の歌は等価であると告げる。なおも智慧を試そうと、即興で詩を吟じた楽天。すると老人は、即座にその内容を和歌に詠み替え、楽天を驚かせる。老人は、この国に伝わる歌の徳を明かすと、日本人が翫ぶ和歌や舞楽を見せようと言い、海のかなたに姿を消す。
やがて出現した、和歌の神・住吉明神(後シテ)。実は先刻の老人は、明神の仮の姿だったのだ。明神は、神々や龍王たちの奏でる音楽に乗り、荘重な舞を舞って見せると、神風を吹かせて楽天一行を唐土へ吹き返し、揺るがぬこの国の平和を護るのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

平安時代初期。中国大陸を出発した一隻の船が、日本海を東へと進んでいた。船の主は、唐に名高い詩人・白楽天(ワキ)。楽天は、日本人の智慧の程度を見てこいとの勅命を受け、従者たち(ワキツレ)とともに、日本へと向かうところである。
波路をゆく一行。振り返れば、夕陽は故郷の方へと沈みゆく。目指すはたなびく雲のかなた、日本の地。そうするうち、一行は目的地へと着いたのだった。

2 前シテ・ツレが登場します。

そこへ現れた、一艘の釣舟。舟には、老人(前シテ)と男(ツレ)が乗っていた。「筑紫の海。眼前に果てしなく広がるこの海こそ、さながら中国に古来名高い、五湖の景色も同じこと。西へひらけた、この地の眺望。明け方に沈みゆく月を見送れば、波濤のかなたには唐土の地が続いている。船路の旅も遠からぬという、大陸へと続くこの海よ——」。

3 前シテは、ワキの正体を見破ります。

さっそく声をかける楽天。すると老人は、彼の正体を知っている様子。「異国の人とはいえ、その名はこの国にも隠れありません。日本人の智慧のほどを試そうとの魂胆は、既に人々の知る所。今か今かと待っていたところへ、遂にやって来たご一行の船。よもや、見間違いではありますまい。ああ、漢人のお言葉の難しいことよ。こうして会話しても詮なきこと、私は釣りで忙しいのですから…」。

4 ワキと前シテは、漢詩と和歌の智慧比べをします。

智慧を試そうとする楽天へ、老人は告げる。「唐土の民が漢詩を作るように、日本人は和歌を詠みます。天竺の陀羅尼、唐土の詩、そして日本の歌。これらは実は同じものなのです」 ならばと、眼前の景色を詩に吟じる楽天。『巌の肩に懸かる青苔の衣、山の腰に廻る白雲の帯——』 楽天は、日本人にも同じことが出来るのかとあざ嗤う。ところが、老人は怯むことなく、それを即座に和歌の形に改めると、高らかに詠じて見せるのだった。

5 前シテは、日本には和歌が栄えていることを告げます。

賤しい姿でありながら、朗々と和歌を披露した老人。驚く楽天へ、彼は重ねて言う。「わが国では、和歌を詠むのは人間ばかりではありません。花に鳴く鶯、水に棲む蛙に至るまで、生きとし生けるもの、誰もが歌を詠むのです。唐土のことはいざ知りませんが、この国は、詩歌に充ち満ちているのです。この私も、人並みに嗜んでいるばかりですよ…」。

6 前シテは、人間以外の生き物までもが和歌を詠むことを明かします(〔クセ〕)。

——昔、孝謙天皇の御代。大和国 高天寺(たかまでら)では、毎年春になると、梅花に誘われた鶯が、その囀りを聞かせていた。あるとき、寺の僧がその声を文字に書き取ってみると、その文字は「初陽毎朝来、不遭還本栖」というもの。それは、一首の歌になっていた。『はつはるの あしたごとには きたれども あはでぞかへる もとのすみかに』。“生きとし生けるもの、いずれもが歌を詠む”と謳われる、これこそがその証拠なのだ…。

7 前シテは、後刻の再会を告げて姿を消します。(中入)

賤しき民までもが歌を嗜むという、わが国の習俗。そう明かした老人は、楽天に告げる。「日本の人々が翫ぶ、和歌や舞楽の数々。私もこれから、その舞楽を舞ってお目にかけましょう。なに、演奏者は必要ありません。波の音こそ鼓の声、龍が吟ずれば笛の音。そんな中、私はこの青海原の上で舞い、揺るがぬこの国のさまを見せましょうとも…」 その言葉を遺し、老人は、海のかなたへと姿を消すのだった。

8 アイが登場し、舞を舞います(〔三段之舞〕)。

そこへ現れた、住吉明神の眷属の神(アイ)。実は先刻の老人こそ、住吉明神が仮に現れた姿であった。明神の命を受け、楽天一行をもてなすべく現れた眷属の神。彼は戯れに一首の歌を詠むと、舞を舞って見せるのだった。

9 後シテが出現し、神威のほどを見せます(〔真ノ序之舞〕)。

やがて——。日本海の海上に、住吉明神(後シテ)が真の姿を顕わした。海面には蒼々とした山並みが影を落とし、波は鼓の音を響かせて明神の舞に興趣を添える。「西の海原の波間より、こうして現れた住吉の神。この私の力がある限り、決して日本は、唐土に支配されることはないのだ。楽天よ、速やかに国へ帰るがよい…」。

10 後シテは神風を吹かせ、ワキ一行を唐土へと吹き返します。(終)

そのとき。住吉明神に続いて、日本国中の神々が姿を顕わした。伊勢・石清水をはじめとして、舞を舞い、御稜威を顕現させる八百万の神々。その音楽を奏でるのは、海底に棲む龍王たち。空に翔り、海に遊び、舞い戯れる神々の起こした風は、楽天の船を吹き戻す。唐土へと吹き返された楽天たち。こうして、神々に護られた日本の地には、末永く泰平の日々が続くのであった——。

(文:中野顕正  最終更新:2024年12月17日)

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