銕仙会

銕仙会

班女(はんじょ)

◆登場人物

前シテ 遊女 花子(はなご)
後シテ  同(物狂い)
ワキ 吉田少将
ワキツレ 吉田少将の従者 【2‐3人】
アイ 野上宿の長者

◆場所

【1~3】

 美濃国 野上宿  〈現在の岐阜県不破郡関ヶ原町野上〉

【4~9】

 京都 下鴨神社  〈現在の京都市左京区下鴨〉

概要

美濃国 野上宿の遊女・花子(前シテ)は、かつて宿場を訪れた吉田少将と契りを交わして以来、少将を深く恋い慕い、形見の扇を弄ってばかりの日々を過ごしていた。見かねた宿の長者(アイ)は彼女を宿場から追放し、花子は流浪の身となってしまう。

その後、少将(ワキ)は花子を迎えに再び野上宿を訪れたが、彼女は既に去った後であった。やむなく京へ帰り、再会を祈願して下鴨神社へ参詣した少将。そこへ、恋慕のあまり心乱れた花子(後シテ)がやって来た。少将との再会を祈って日々参詣を重ねるうち、いつしか人々の見物の的となっていた花子。彼女は参詣客たちに囃し立てられるまま、愛しい人を慕う心を吐露し、形見の扇への思いを語って謡い舞う。そのとき、彼女こそ花子だと気づいた少将。二人は互いに形見の扇を見せ合い、ついに再会を果たすのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 アイが登場します。

美濃国 野上宿。京都と鎌倉とを結ぶ街道に面したこの宿場町は、貴賤の人々が行き交う往来の地。そしてそれはまた、多くの“出会い”と“別れ”の物語が、紡がれてゆく場所でもあった――。

宿場には、往来の人々を慰める遊女たちが住んでいた。そんな遊女たちを指導するのは、宿の長者の役目。今日、この野上宿の長者(アイ)は、一人の遊女を呼び出していた。

2 アイは前シテを呼び出して罵り、去ってゆきます。

呼び出された遊女の花子(前シテ)に、長者はご立腹の様子。じつは花子は、かつて京から下ってきた吉田少将という男と契りを交わして以来、彼のことを思い慕って徒らに日々を送っていたのだった。他の客の接待にも行かず、形見にと交換した少将の扇をいじってばかりいた花子へ、怒り心頭の長者。「お前のような役立たずは、この宿場から直ちに出てゆけ…!」 長者はそう怒鳴りつけると、彼女を放り出してしまう。

3 前シテは、放浪の旅に出ます。(中入)

ひとり残された花子の目には、涙がこみ上げてきた。「もとより無常の世といいながら、何と頼りない、遊女のこの身。あてどない根無し草の私、契りを交わしたあの方ももういない。いっそこのまま、露のように儚く消えてしまえたら、どんなに楽なことか…」 そう呟くと、花子はひとり、行方も知らぬ旅路に彷徨い出てゆくのだった。

4 ワキ・ワキツレが登場します。

やがて月日は流れ、季節は秋。東国での所用を終えた吉田少将(ワキ)は、従者たち(ワキツレ)を引き連れ、帰洛の道を急いでいた。その途上、花子を迎えに野上宿を訪れた一行。ところが、聞けば花子は既にここにはいないという。少将は、もしも花子が帰ってきたら知らせるよう言い置くと、不本意ながらも都へ帰っていったのだった。

なおも諦めきれぬ少将。彼は旅姿のまま、恋の成就を導くという下鴨神社へと参詣する。

5 後シテが登場し、恋慕の姿を見せます(〔カケリ〕)。

折しもそこへ、少将を慕うあまり心乱れた花子(後シテ)がやって来た。「ほんの僅かに姿を見せただけの、あの愛しい人…。あの方からの便りは無く、恋のわが身に届くのは、辛い秋の風ばかり。夕暮れの雲のかなたに愛しい人の面影を見出し、遂に放浪の身となった私。夫婦の仲を取り持つ神様、そんな私をどうか見捨てないで下さいませ。あの方と、再び巡り逢えますよう――」。

6 後シテは、恋の思いを人々に語りはじめます。

再会を祈り、毎日参詣を重ねていた花子。移ろいゆく四季の姿に、ひとり感傷に耽る彼女は、いつしか人々の見物の的となっていた。今日もまた芸を見せろと囃し立てる参詣者たち。そんな心ない言葉に悲しみつつ、花子は思いの丈を述べはじめる。「いにしえ中国の班女は君の寵愛を失い、秋の扇のように忘れ去られる身となった。今の私も同じこと。形見の扇を手に触れては、秋の冷たい寝床の上で、ひとり寂しく月を眺めているばかり…」。

7 後シテは、恋慕の情を謡い舞います(〔クセ〕)。

――永遠の愛を誓いあった、あの夜。しかしその契りも今や、跡形もなく消え去った。「秋より前には必ず」との約束も空しく、月日は徒らに流れるばかり。あの方の旅立っていった東の空に思いをはせ、ただ茫然と立ち尽くす私の体を、秋風が空しく吹き抜けてゆく。せめてもの形見の扇すら、夏も終わり、もはや季節はずれのもの。今の私もそれと同じ。うち捨てられて独り過ごす、この班女の身の寂しいこと…。

8 後シテは恋慕の舞を舞い(〔中之舞〕)、ついに泣き伏してしまいます。

少将を慕い、わが胸中を舞に託す花子。「秋には必ずとの、その言葉も徒らになってしまった。あの方からの音信は無く、聞こえてくるのは秋草のそよぐ音ばかり。扇には裏表があるけれど、それ以上に裏表のあるものは、人の心だったのね。“あふぎ(扇)”は“あ(逢)ふ”と言うけれど、そんなの、嘘じゃないの…」 自らの想いを形にする中で、恋慕の情を募らせた花子。嘆きは積もり、彼女はついに泣き崩れてしまうのだった。

9 ワキは後シテと対面し、二人は再会を果たします。(終)

そのとき、彼女の扇を見たいと所望した少将。大切な人の形見だからと断る花子に、少将は優しく声をかける。「それでも見せておくれ、野上の旅寝の契りの証に…」 野上と聞いて驚く花子。少将が花子に見せた扇、それはかつて交換した自らの扇であった。扇を見せ合う二人。こうして、二人はついに再会を果たす。

愛しい人の形見の品。それこそが、夫婦の絆の証なのであった――。

(文:中野顕正  最終更新:2019年05月27日)

舞台写真

2012年05月23日 青山能「班女」シテ:長山桂三

2015年09月11日 定期公演「班女 笹之伝」シテ:観世清和

2017年11月29日 青山能「班女」シテ:鵜澤光

今後の上演予定

2019年06月14日 定期公演「班女」シテ:馬野正基

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