氷室 (ひむろ)
作者 | 不明 |
素材 | 丹波国にあった氷室の氷を毎年帝に献上していた習慣 |
季節 | 春・三月 |
種類 | 初番目物 脇能 |
登場人物
前シテ | 氷室守の老人 | 小尉[こじょう] 大口尉出立[おおくちじょういでたち] |
後シテ | 氷室明神 | 小べし見 小べし見出立[こべしみいでたち] |
前ツレ | 男 | 直面 水衣男出立[みずころもおとこいでたち] |
後ツレ | 天女 | 小面[こおもて] 天女出立[てんにょいでたち] |
ワキ | 亀山院の臣下 | 直面 大臣出立[だいじんいでたち] |
ワキツレ | 従者 | 直面 大臣出立[だいじんいでたち] |
アイ | 末社 | 末社出立[まっしゃいでたち] |
あらすじ
亀山院(かめやまいん:第90代天皇)の臣下が、丹後からの帰りに立ち寄った丹波国の氷室山で、氷室を守っている老人に出会います。老人は宮中に献上する氷と氷室の謂われを語り、氷調の祭りを見せようと言って氷室の中へと消えていきます。老人は実は氷室明神の化身で、夜になると天女と明神が現れ、氷を献上する様子を臣下に見せ、世を祝福します。
舞台の進行
- 幕から囃子方、切戸口から地謡が出てきて、定位置に着きます。後見が作リ物を運びます。大小前[だいしょうまえ]に一畳台を置き、その上に山の作リ物を置きます。
- 次第の囃子が演奏され、幕から亀山院の臣下(ワキ)と従者(ワキツレ)が登場します。一行は舞台に入り、丹後国[たんごのくに]久世の戸[くせのと]から、若狭[わかさ]に寄り、都へ帰る途中で、丹波国の氷室のある山に着いたところで、脇座に座ります。
- 一声の囃子で、老人(前シテ)と若い男(前ツレ)が登場します。二人は雪かきに使うエブリを手にし、舞台に入ってきます。季節はすでに雪もとけ、山の緑の美しい春です。老人たちは毎年帝に献上する、御調物[みつぎもの]の氷が入った氷室を守っています。老人は常座に立っています。
- 臣下が立ち上がり、老人に話しかけ氷室について尋ねます。老人は立ったままで、6月に氷を献上することになった始まりや、この地に氷室ができた謂れを語ります。
- 老人は着座し、夏になってもとけて消えることのない氷が、大君の恩恵によるものだと語ります。途中からエブリを持って雪をかき集めて作リ物の中に入れる所作を行います。
- 老人は都に帰ろうとする臣下に、せっかくこの山を訪れたついでに、今夜は氷室の氷をお供えする氷調[ひつき]の祭を見るようにとすすめます。そう言っているうちに日も暮れてきました。前シテは立ち上がり、作リ物の中に入ります。氷室守の老人は氷室の中へと姿を消してしまうのでした。
- 〈中入〉
- 氷室明神に仕える末社(アイ:社人の場合も)が登場します。亀山院の臣下たちがこの地を訪れたので、神に祈って季節外れの雪を降らせます。末社は降り積もる雪を転がしてまるめたりもします。この間に作リ物の中でシテは装束と面を変えます。
- 出端の囃子で天女(後ツレ)が幕から登場します。舞台に入り、天女の舞を舞います。
- 9 作リ物から声が聞こえてきます。作リ物を覆っていた引廻しが取られて、後シテが登場します。面と装束を変え、神の姿をした氷室明神(後シテ)が、氷を両手に持って現れます。一畳台を下り、舞働[まいばたらき]を舞います。
- 氷室明神は天女に氷を渡し、氷を捧げる様子を見せます。そして、都へ急いで届けるようにと天女を見送ります。後シテが最後に踏む留メ拍子で、一曲がしめくくられます。
- 能が終わり、役者が退場します。シテ、ワキ、ワキツレ、囃子方(笛・小鼓・大鼓・太鼓)の順に幕へ入ります。地謡は切り戸口へと退場します。
ここに注目
今でこそ、各家庭でも簡単に作ることのできる氷ですが、昔はとても貴重なものでした。比較的涼しい高地の山で、冬に切り出した天然の氷を夏まで保存し、天皇に献上していました。宮中では夏になると、届いた氷を口に含んで暑さをしのいでいました。この献上用の氷を保存していたのが氷室です。地中などに穴をあけて室[むろ]を作っていました。この作品の舞台となっている丹波国には、宮中用の氷室が実際にあったそうです。江戸時代には、加賀藩[かがはん:現在の石川県]の前田家が、寒い土地に領地を持っていたこともあり、毎年夏ごとに幕府に氷を献上していました。そして21世紀になった現在では、6月になると、外郎などを氷に見立てた白い三角形に、小豆をのせた和菓子が店頭に並ぶのを目にします。昔から日本の風習が形を変えて今に受け継がれているわけです。本来は詞章に「春の末なる山陰や」とある如く、旧暦の三月頃を設定してある曲ですが、前述の涼をとる風習とも関連づけられ、夏に演じられることも多いようです。
未曽有の震災の後、節電が要求され、冷房を入れることを控えるか、設定温度を高めにするよう心がけることが多くなった今年の夏。冷房などまったくない時代に、冬から保存しておいた氷を口にしてせめてもの涼を感じた人々には、神への感謝の念があったのだと思います。そんな理解する、いい機会かもしれません。
(文・江口文恵)