銕仙会

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曲目解説

飛雲ひうん
賤しき身に似合わぬ、風流心をもった老人。山々の紅葉の美しさを語り合い、すっかり心打ち解けた彼は、なんと、人喰い鬼の化身であった――。

作者

不詳

場所

木曽の山中 (現在の長野県木曽郡付近)

季節

晩秋

分類

五番目物 鬼物

登場人物

前シテ

老翁

面:朝倉尉など 着流尉出立(一般的な老人の扮装)

後シテ

鬼神

面:しかみ 顰出立(鬼の扮装)

ワキ

山伏

山伏出立(山伏の扮装)

ワキツレ

山伏(2人)

山伏出立

間狂言

熊野権現の末社神

末社出立(下級の神の扮装)

概要

山伏の一行(ワキ・ワキツレ)が熊野から羽黒山へと向かう途中、木曽路へとさしかかり、紅葉を眺めるために休息していると、薪を背負った一人の老翁(シテ)が現れ、山伏たちとともに紅葉を愛でる。山伏達と老翁はすっかり心打ち解け、老翁は「山伏達が今夜ここで夜を明かすならば、自分も後で合流しよう」と告げ、帰ってゆく。その夜、山伏達の夢に熊野権現の末社神(間狂言)が現れ、先刻の老翁は鬼の化身であり、山伏達の命を取ろうと油断させていたのだと告げる。目を覚ました山伏達が祈祷していると、鬼神(後シテ)が現れて襲いかかるが、山伏達の法力によって撃退され、力なく退散してゆくのであった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場し、自己紹介をします。

山から山へと修行してまわる、山伏たち。役行者えんのぎょうじゃの流れを受け継ぐ彼らは、大地を踏みしめ身につけた法力によって、魔を降伏させ、邪鬼を祓っていた。
これは、熊野を拠点に活動する山伏の一行(ワキ・ワキツレ)が羽黒山へと向かう道中で遭遇した、ある事件の物語。

2 シテが登場します。

秋深く、山じゅうの木々が赤や黄色に色づく頃。木曽路へと至った山伏の一行は、山々の紅葉を眺めようと、暫しのあいだ荷をおろすこととした。
そこへ現れた、一人の老翁(シテ)。薪を背負い、山道をとぼとぼと歩いてきたこの老翁は、山伏たちのそばまで来ると、荷を降ろし、同じく山々の紅葉を眺めて休息する。

3 ワキはシテに声をかけ、二人は言葉を交わします。

賤しき身でありながら、紅葉を愛でる風流心をもつ、この老翁の振る舞い。感心した山伏は、老翁に声をかける。
老翁はいう。「いやいや、『古今和歌集』にも大伴黒主おおとものくろぬしの歌を評して“まるで、薪を背負った賤しい山人が花の下で休息しているようだ”とあるではありませんか。賤しい山人のこの私も、紅葉の下で、こうして休んでいるのですよ…。」

4 シテはワキと紅葉の名所について語り合い、シテは去ってゆきます。

「紅葉の名所は、全国各地にありますな。在原業平が『神代も聞かず』と歌に詠んだ龍田川、奈良の初瀬山から見える景色、山城国では八入やしおの岡、京都の高雄や嵐山…」 ときおり降る時雨によって、木々の紅葉はすすんでゆく。どこか寂しげな、秋の風情。
風流談義に、すっかり心打ち解けた、老翁と山伏。やがて老翁は、「今夜ここで一夜を明かすなら、私も後でまた参りましょう」と告げると、谷深くへと帰っていったのだった。

5 間狂言が登場し、先刻の老翁が鬼の化身であったことをワキに教えます。

紅葉の下、山伏達はまどろみはじめる――。
その山伏達の夢の中に、熊野権現の末社神(間狂言)が現れた。じつは先刻の老翁は、飛雲という名の悪鬼で、山伏達の命を取るためにわざと油断させていたのであった。彼らの命を救うべく、熊野権現の命令を受けてやって来たこの末社神は、山伏達にそのことを告げ、去っていった。

6 ワキが祈祷していると、後シテが現れます。

さては先刻の老人は、鬼の化身であったのか。目を覚ました山伏達は、法力によって悪鬼を退散させようと、祈祷を始める。「役行者よ、熊野権現よ、我等に力を与えたまえ…!」
そうするうち、山々を黒雲が覆い、瞬く間に大嵐となる。大地は震動し、世にも恐ろしげな有り様。そして…、黒雲からは、鬼神(後シテ)が姿を現した。

7 シテはワキと激しく戦い(〔舞働まいばたらき〕)、敗れて去ってゆき、この能が終わります。

山伏達を喰い殺そうとする鬼神と、法力によって鬼神を祈り伏せようとする山伏達。両者は激しい戦いを繰り広げる。
やがて、鬼神は苦しみの表情を見せる。さては祈りが通じ、不動明王の助けを得たのか。山伏達は勢いづき、なおも祈祷を続ける。鬼神は力も弱り、へなへなとその場に倒れ伏すと、茫然と起き上がり、よろよろと退散していったのだった。

みどころ

本作の前場では、薪を背負った老翁(シテ)が現れ、紅葉を愛でて、ワキと風流談義に花を咲かせます。上記「3」の場面でも言及されている、『古今和歌集』の「仮名序」には、次のようにあります。

大伴の黒主は、その様、いやし。言はば、薪負へる山人の、花の蔭に休めるがごとし。
(大伴の黒主は、その歌の詠みぶりは、賤しい印象である。たとえて言えば、薪を背負った山人が、花の蔭で休んでいるようである。)

この文章は、六歌仙(『古今和歌集』より昔の時代に存在した、六人の名歌人)の和歌の詠みぶりを品評した中に登場するもので、六歌仙のひとり大伴黒主についての記述として書かれているものです。その中で、このように薪を背負った山人の風情が説かれており、本作の前シテの造形に影響を与えています。

もともと、和歌は優雅な貴族の人々のものですから、山で薪をとる仕事をしているような賤しい人々には、和歌的な美意識、風流心などは理解できないものと考えられていました。だからこそ、「そのような賤しい身であるにも関わらず、風流心をもっている」という本作の前シテの造形は、都の文化に慣れ親しんだ人々にとっては意外な、心許せるものであったのです。

このような、「田舎に住む賤しい身であるにも関わらず、風流心をもっている」人物というのは、多くの能において前シテとして登場する、能のなかでは定番の人物設定でありますが、そのほとんどの作品ではそうした和歌的美意識が一曲の主題となっているのに対し、本作ではそうなってはいません。風流心をもった老人が山伏と紅葉について語り合い、そうした紅葉の風情が語られるのかな…と思いきや、後場では一転して鬼と山伏の戦闘場面に切り替わり、前場とは印象ががらりと変わってしまいます。そうした意表を突く展開が、本作のねらいであったと考えられます。

秋の山々の情景が語られる、風流な前場と、激しい戦闘が描かれる、スペクタクルの後場。そうした、前場と後場とのコントラストを、お楽しみください。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2017年5月)

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