銕仙会

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曲目解説

放下僧(ほうかぞう)

◆登場人物

前シテ 牧野某の長男(禅僧)
後シテ  同
前ツレ 牧野某の次男・小次郎
後ツレ  同
ワキ 利根信俊(とねのぶとし)
アイ 利根信俊の下人

◆場所

【1~3】

 下野国 長男の禅寺  〈現在の栃木県〉

【4~10】

 武蔵国 瀬戸神社  〈現在の神奈川県横浜市金沢区瀬戸〉

概要

所領をめぐる争論から、利根信俊の手にかかって殺害された牧野左衛門。父の仇を討ちたいとの宿願を抱いた息子の牧野小次郎(前ツレ)は、僧となっていた兄(前シテ)のもとを訪れ、仇討ちへの協力を願う。弟の懸命の説得に、ついに仇討ち参加を決意した兄。二人は“放下”の芸能者に変装すると、敵のもとへ向かうのだった。

武蔵国 瀬戸神社へと到った兄弟。折しもそこには、敵の利根(ワキ)が参詣に訪れていた。禅を愛好すると噂の利根に、禅問答を投げかけて近づこうとする二人。しかし、次第に熱を帯びてゆく問答の中で、ついには一触即発の事態に。兄は利根の警戒を解くべく禅の理法を謡い舞うと、鞨鼓を打って遊び、巷に流行する“小歌”を謡い舞い、芸能の数々を見せてゆく。次第に心を許し、寝入ってしまった利根。兄弟はその姿を見届けると、利根のもとへと走りかかり、ついに本懐を遂げるのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 前ツレが登場します。

中世。それは、自身の名誉も、命さえも、自らの手で守らねばならぬ自力救済の時代。そんな中で、人々は自らの威信をかけて、必死で日々を生きていた――。

所領をめぐる争論によって命を落とした、牧野左衛門という男。その息子・小次郎(前ツレ)は、親の仇・利根信俊を討つべく計画をめぐらしていた。威勢の強い敵を前に、思案する小次郎。彼は幼少期に寺へ入った兄を頼るべく、兄のもとへと向かうのだった。

2 前ツレは前シテを呼び出し、仇討ちへの協力を要請します。

寺に着いた小次郎は、兄(前シテ)に自らの決意を語ると、計画への参加を願う。出家の身ゆえ渋る兄へ、唐土の故事を引いて説得する小次郎。「昔、悪虎に母を奪われた男がいました。百日もの間、虎臥す野辺に身を晒しつつ仇を狙い続けていた彼。ある夕暮れ、仇の姿を認めた彼は矢を放ちます。それは彼の誤認、実は野中の大石だったのですが、何と矢はその石の肌に立ち、そこから血が流れ出たのでした。これも彼の執念ゆえに起こった奇蹟。親の仇を討とうとの願いには、天も感応するものなのです…」。

3 前シテは承諾し、前ツレとともに敵のもとへ向かいます。(中入)

必死に説得する弟の言葉に、ついに助力を承諾した兄。敵に近づく方法を思案する兄へ、弟はある提案をする。それは、ちかごろ巷に流行する芸能者“放下”へと身をやつし、兄は僧形の“放下僧”になりすますというもの。聞けば、敵の利根は禅を愛好しているとの噂。禅問答によって敵に近づけば、本懐を遂げられるのではないか――。その提案に乗った兄は、弟に導かれるまま、敵の在処へと向かってゆく。

4 ワキ・アイが登場します。

その利根信俊(ワキ)は、この間からうち続く夢見の悪さに、胸騒ぎを覚えていた。神の加護を願った彼は、鎌倉の外港 六浦の地に鎮座する瀬戸神社へと参詣を思い立つ。

彼の脳裏をよぎるのは、かつての牧野左衛門との一件の記憶。今なお用心厳しく身辺に気を配っていた利根は、決して外で自らの名を出さぬよう供の従者(アイ)に命じると、瀬戸神社へと赴くのだった。

5 後シテ・後ツレが登場します

そこへ折しも来合わせた兄弟(後シテ・後ツレ)。常人とは異なる言葉を繰り、道化の世界に生きる放下の姿。しかしそれは、自らの正体を隠すにはかえって好都合。空ゆく雲、流れくだる水のごとき、行方定めぬわが身の境涯を思い、日々に移り変わる定めなき世を観じつつ、二人はこうしてやって来たのだった。

6 後シテ・後ツレはワキの正体を知り、ワキに近づいて禅問答を交わします。

二人と言葉を交わす、利根の従者。そのとき彼は、誤って主人の名を口走ってしまう。慌てて取り繕う従者だったが、兄弟は意図せぬ敵との邂逅に、好機到来を喜ぶ。

利根と対面した兄弟。放下の姿の謂われを問い、禅問答を投げかける利根へ、二人は負けじと答えてゆく。「清風を起こし、明月を見る便りともなる団扇は、我等が修行のあるべき姿。浄穢不二の境地を示す弓こそは、我等が目指す所なのだ…」。

7 禅問答が交わされるうち、一同は一触即発となります。

朗々と答えてゆく二人。「不立文字の心を知りたくば、風に翻る木の葉の姿をご覧あれ。坐禅の境地に遊ぶこと自由自在、輪廻の巷には留まりもせず離れもしない――」。

問答は次第に熱を帯び、弟はついに刀へ手をかけた。押しとどめる兄、咄嗟に身構える利根。一触即発の事態に、辺りは騒然となる。そのとき、兄は警戒する利根に向き合うと、悠然とその場を取りなすのだった。「“切って三断”とは禅法の言葉。それを真に受けなさるとは、おかしなお人だ…」。

8 後シテは禅の境地を謡い舞います(〔クセ〕)。

何とかその場を収めた兄。兄は敵の警戒を解くべく、禅の境地を謡い舞う。

――善と悪、聖と俗、有と無。あらゆる二項対立は、禅の前では無意味なこと。草木すらもが成仏し、巡りゆく季節には仏法の理が表われている。初春に鳴く鶯や、秋の訪れを知らせる風。山の端の月を眺めて我を忘れる心こそ、“言葉”を超えた得法の境地に他ならぬ。この世界の全ては人の心が映し出したもの。この心を、悟らねばならぬのです…。

9 後シテは〔鞨鼓〕を舞い、次いで〔小歌〕を謡い舞います。

兄はさらに鞨鼓を打って軽やかに舞い遊ぶと、巷に流行する歌謡“小歌”を謡って興を添えつつ、敵の様子を窺い続ける。『花の都の、春の盛り。清水の桜は音羽の滝に花を添え、嵯峨野では水車が川波に廻りゆく。水に揉まれる川柳、風に揉まれる枝垂柳。竹に揉まれるのは雀、車に揉まれるものは牛。茶臼を揉むのは挽木、そして我ら放下が揉むのは小切子竹。…そんな小切子竹を打ち囃し、この治まる世を祝おうではないか――』。

10 後シテ・後ツレは、仇討ちを成し遂げます。(終)

芸の数々にすっかり気を許した利根は、次第に夢見心地となってゆく。その様子を見届けた兄弟。二人は目配せをすると、寝入ってしまった利根のもとへ走りかかる。敵を押さえつけ、刀を抜いて刺し通す二人。こうして、兄弟は念願の仇討ちを果たすのだった。

ついに叶った、兄弟の宿願。孝心が生んだこの偉業は、末代までも語り継がれてゆくのであった――。

(文:中野顕正  最終更新:2019年07月12日)

今後の上演予定

2019年07月12日 定期公演「放下僧」シテ:長山桂三

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