銕仙会

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曲目解説

百万(ひゃくまん)

◆登場人物

シテ 女芸能者 百万(物狂い)
子方 拾い子  じつは百万の息子
ワキ 吉野の里人 〔または、僧〕
アイ 土地の男

◆場所

京都西郊 嵯峨野 清涼寺(せいりょうじ)  〈現在の京都市右京区嵯峨釈迦堂〉

概要

奈良 西大寺で幼子(子方)を拾った、吉野の男(ワキ)。男は、親と生き別れになったこの幼子を慰めるべく、京都 清涼寺の大念仏に連れて行く。門前の者(アイ)から良い見せ物として教えられたのは、女物狂いの芸能者・百万(シテ)の芸であった。百万は、舞車を曳きつつ念仏の音頭を取って謡い戯れ、自らの境遇を嘆きつつ狂い舞う。
そのとき、百万が自分の母だと気づいた幼子。男が百万にそれとなく尋ねると、彼女は今に至るまでの経緯を明かし、自らの思いを託して仏前に舞を手向ける。夫との死別、我が子との生き別れから、この地へと到った顛末を明かし、息子との再会を願って祈りを捧げる百万。そうする内に感極まった彼女は、群衆の中に我が子の面影を捜し求めつつ涙に咽ぶ。その姿に、男は遂に幼子を彼女と引き合わせ、母子は念願の再会を果たすのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・子方が登場します。

京都西郊 嵯峨野の里。この地に建つ清涼寺の本尊・釈迦如来像は、天竺から唐土を経て日本に伝わったとの伝説をもつ霊像である。そんなこの聖像にすがろうと、今日も多くの人々が寺に詰めかけ、仏の名号を唱える大念仏を催していた。
そこへやって来た吉野の男(ワキ)。男は、一人の幼子(子方)を連れていた。先日、奈良 西大寺で親と生き別れになっていたこの子。今日こうしてやって来たのも、そんなこの子の悲しみを紛らわせるためなのだった。

2 ワキはアイを呼び出し、言葉を交わします。

門前の者(アイ)に声をかけ、何か幼子を楽しませるものはないかと尋ねる男。門前の者が言うには、いつも大念仏を唱えていると、百万という女物狂いがやって来て、面白く念仏の音頭を取るのだという。それが良い見せ物になるだろうと言うと、彼は百万を呼び出すべく、念仏を唱えはじめた。

3 シテが登場し、念仏の音頭を取って謡い舞います(〔車之段〕)。

念仏の拍子を取っていた門前の者。すると突然、肩に痛みが走る。見るとそこには、例の百万(シテ)が立っていた。彼女が手にしていた笹で、彼の肩を打ったのだった。
案の定、念仏の音頭を代わろうと申し出た百万。彼女は舞車を曳きつつ、念仏を唱えて浮かれ出す。『南無阿弥陀仏や、南無阿弥陀仏。弥陀の力を頼めや頼め、重くとも曳け舞車。南無阿弥陀仏や、南無阿弥陀仏——』。

4 シテは、自らの境遇を嘆きつつ狂い舞います(〔笹之段〕)。

「——ああ、この世かぎりの親子の道に執着して、迷いの闇を離れぬ私。そんな今の境遇は、まさしく“子は三界の首枷”よ。この百万の姿といえば、ぼさぼさ髪に古びた烏帽子。眉墨も乱れておかしな顔は、果たしてこれが正気かしら。私はあの子を思うけれど、あの子は私を思いはしない。しかしそれでも、こんな姿で念仏を唱えるのは、ひとえにあの子に会いたいから…」 百万は、手にした笹で舞い狂う。

5 子方はシテの正体に気づき、ワキに打ち明けます。

そのとき、男の連れていた幼子は、何かに気づいた様子。実はこの百万こそ、生き別れになった幼子の母だったのだ。幼子は男にそのことを明かすと、それとなく彼女の素性を尋ねてほしいと男に頼む。

6 ワキはシテと言葉を交わし、シテは奉納の舞を舞い始めます(〔イロエ〕)。

百万に声をかける男。聞けば彼女は、もとは奈良に住んでいた人だという。夫とは死に別れ、忘れ形見の一人息子には生き別れて、それゆえ心乱れたのだと明かす彼女。群衆の面前で舞い狂うのも、もしや我が子に巡り会えるかと思ってのこと。そう言うと、百万は自らの思いを託し、仏前に手向ける舞を舞いはじめた。

7 シテは、自らの思いを吐露しつつ舞います(〔クセ〕)。

——夫を失った悲しみも束の間、今度はあの子が行方知れずに。子を尋ねて彷徨い出る私の姿は、何とも浅ましいものでした。足に任せて歩いて行けば、都の西の、この名高い清涼寺。美しい花々に囲まれ、貴賤の集うこの寺の有難いこと。霊験あらたかな仏様が、遥か天竺から到来されたのだ! そのお釈迦様ですら母君のために説法なさった程だから、ましてや恩愛の情に囚われた人間の身、母を思うのは当然のこと。なのに我が子はどうして姿を見せないのかと、恨みながらも再会を祈る、これが百万の舞い姿なのです…。

8 シテは、心乱れつつ我が子を捜し求めます(〔立廻リ〕)。

自らの身の上を語るうち、感極まった百万。彼女は群衆の中をかき分けつつ、我が子の姿を捜し求めて彷徨い歩くのだった。「これほど多くの人々がいながら、どうしてあの子は居ないのかしら。仏様、どうかあの子を私のもとへ、再び与えて下さいませ。正気ならざる狂人の身でも、もしや我が子に会えるかと、こう、南無釈迦牟尼仏、南無阿弥陀仏…。仏さま、どうか会わせて下さいませ——!」。

9 ワキは子方の正体を明かし、母子は再会を果たします。(終)

余りの痛わしさに、遂に幼子の姿を彼女に見せた男。百万は、今まで黙っていた我が子を恨みつつも、念願の今の再会を喜び、夢か現かと涙に咽ぶのだった。
思えば、この寺の本尊・釈迦如来は、人々を救う父だという。母と息子が出会えたのも、そんな慈父たる仏様の功徳。その仏縁に感謝しつつ、百万は我が子を伴って、都へ帰ってゆくのだった——。

(文:中野顕正  最終更新:2022年05月11日)

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