銕仙会

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曲目解説

碇潜(いかりかずき)

◆登場人物

 

前シテ 船頭の老人  じつは平教経(たいらののりつね)の亡霊
後シテ 平知盛(たいらのとももり)の亡霊
(ツレ) 二位尼(にいのあま)の亡霊
(ツレ) 大納言局(だいなごんのつぼね)の亡霊
ワキ 旅の僧
アイ 土地の男
※ツレ2人は、通常の観世流の演出では登場しません。

◆場所

 長門国 壇ノ浦  〈現在の山口県下関市〉

概要

平家一門の菩提を弔うべく、壇ノ浦を訪れた旅の僧(ワキ)。僧は、現れた一艘の舟に乗船を願い出るが、船頭(前シテ)に船賃を請求されて難渋する。しかし船頭は、僧に法華経を読誦してもらうことで船賃の代わりとし、僧を対岸まで渡すこととした。その後、船頭は僧に請われて壇ノ浦合戦の有様を語っていたが、俄かに舟から飛び降りると、そのまま海中に消えてしまう。実は彼こそ、合戦で亡くなった平教経の亡霊であった。
その夜。僧が平家一門を弔っていると、〔一隻の大船が出現した。船中には、二位尼(ツレ)および大納言局(ツレ)・平知盛(後シテ)の亡霊。二位尼は、安徳天皇入水の有様を物語り、僧に廻向を願う。〕そのとき、一同は修羅の闘諍に苦しみだした。知盛たちを責め苛む、終わることなき合戦の日々。知盛は、迫り来る多くの敵を斬り捨てると、鎧兜を二重に着込んで碇を抱え、最期の姿さながらに、海底へと沈んでいったのだった。
 ※現在の観世流の演出では、亀甲括弧〔〕を付した場面は通常上演されません。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

平安末期。京都を追い落とされ、遥かの西海を漂っていた平家一門は、ついに本州と九州との境に位置する壇ノ浦で、滅亡の運命をたどった。以来この浦には、安徳天皇や平家一門の亡霊が、成仏できずにさまよっているという——。
その壇ノ浦を訪れた、一人の僧(ワキ)。平家の縁者であった彼は、非業の最期を遂げた平家一門を弔うべく、こうしてやって来たのだった。

2 前シテが登場し、ワキと言葉を交わします。

僧が訪れたのは、壇ノ浦合戦の激戦地・早鞆瀬戸(はやとものせと)であった。空には、友を呼んで鳴く磯千鳥の声。そんな風情の中、僧はこの瀬を渡ろうと、舟を待つ。
そこへやって来た、一艘の舟。ところが船頭(前シテ)は、船賃が無ければ乗船はできないと告げる。しかしそのとき、僧の持つ法華経の経巻に気づいた船頭。彼は、経を読誦するならば、それを船賃代わりにしようと言う。「まさにこの経こそ、人々を救う誓いの船。ああ、こうして出逢えた御縁の、有難いこと…」。

3 前シテは、壇ノ浦合戦の有様を語り始めます。

やがて対岸に着いた舟。僧は、船頭にも岸に上がるよう願い、去る壇ノ浦合戦の有様を聞かせてほしいと所望する。その言葉に、船頭は合戦の様子を語りはじめた。
「最期を覚悟した平教経は、小舟に乗ると、大長刀を振るって手当たり次第に斬り廻っていた。しかし平知盛に諫められ、良い相手と戦うよう諭された教経。その言葉に、彼は敵の大将・源義経を目指し、義経を捜すべく敵の船に紛れ込んだのだ——」。

4 前シテは、自らの正体を明かして姿を消します。(中入)

——何と、教経が最初に乗り込んだ先こそ、義経の船。喜んだ彼は早速義経に攻めかかるが、叶わないと判断した義経はすぐさま味方の船に飛び移り、逃げてしまった。悔しがる教経。そこへ、安芸太郎・次郎の兄弟が、舟を寄せてかかってきた。教経は二人を引っ掴むと、それを冥途の道連れに、そのまま波の底へと沈んでいったのだ…。
教経の最期を物語る船頭。実はこの船頭こそ、他ならぬ教経の亡霊だったのだ。彼は、弔いを願う声を遺すと、そのまま姿を消すのだった。

5 アイが登場し、ワキに物語りをします。

そこへやって来た浦の男(アイ)。僧は彼に、壇ノ浦合戦の様子を訊ねる。男の語る言葉に、耳を傾けていた僧。僧は、平家一門の菩提を弔うべく、今夜はここに留まる。

(6) ワキが弔っていると、後シテ・ツレ(二位尼)・ツレ(大納言局)が登場します。
  ※現在の観世流の演出では、この場面は通常上演されません。

静かな夜。波間に沈んでいった平家一門に思いを馳せ、跡を弔う僧。するとそのとき、一隻の大船が、海上に浮かび出た。この瀬の速い汐にも流されない、不思議な船。その内からは、秘曲を奏でる琴の音色が聞こえてきた。「大納言局よ。今宵は波も静かゆえ、帝は月を御覧になりたいとのこと。あの覆いを外しなさい…」 船中から聞こえてきた声。やがて覆いが外され、中から人影が現れた。それは、壇ノ浦合戦で最期まで安徳天皇に付き添った二位尼(ツレ)と、大納言局(ツレ)や平知盛(後シテ)の亡霊であった。

(7) 一同は、安徳天皇入水の有様を語ります(〔クセ〕)。
  ※現在の観世流の演出では、この場面は通常上演されません。

——合戦の敗北が、ほぼ決定的となった頃。知盛は涙ながらに、帝を波の底へお遷ししたいと進言した。二位尼は、覚悟の装束として白い袴を着ると、三種の神器を携えて帝の御前に参じ、泣く泣く龍宮への御遷座をお勧めする。帝もさすが恐ろしく思われたか、東のかた伊勢神宮を遥拝され、次いで西のかた極楽浄土を仰がれた。その念仏の御声も終わらぬさき、尼は玉体を抱き奉ると、波間へ入っていったのだ…。

8 後シテは、修羅の苦患のさまを見せます(〔舞働〕)。

合戦の記憶を語る一同。その時、空は俄かにかき曇り、天に雄叫びの声が轟く。またもや始まった、修羅道の苦患。それは、死してなお続く、源氏軍との戦いの日々であった。
「敵軍は、帝のおられる御座船を狙うはず。兵船に主力を配置し、敵の軍勢を取り囲むのだ」 しかし、その策略は見透かされていた。御座船には目もくれず、兵船へと攻めかかる敵。平家方も負けじと矢先を揃え、切先を並べて待ち受ける——。

9 後シテは、海中へと消えてゆきます。(終)

大長刀を振るい、多くの敵を斬り捨てていた知盛。しかし、もはやこれまで。観念した彼は、鎧兜を二重に着込むと、遥かの沖の碇の大綱を引き上げ、碇を頭上に担ぎ上げた。そのまま海中へと飛び込む知盛。そうして彼は、生前の最期の姿さながらに、ふたたび海底へと消えてゆくのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2023年10月25日)

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