◆登場人物
シテ | 遊芸の少年 花月 |
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ワキ | 旅の僧 じつは花月の父 |
アイ | 土地の男 |
◆場所
京都 清水寺 〈現在の京都市東山区清水〉
概要
わが子と生き別れになった悲しみから出家した筑紫 彦山麓の男(ワキ)が、諸国修行の途上、京都 清水寺を訪れると、門前の男(アイ)は花月という少年が面白い芸を見せると教え、花月を呼び出す。現れた花月(シテ)は幼いながらも弁舌鮮やかに自らの名の由来を述べ立て、小歌を謡って聞かせると、花を散らす鶯を弓で射ようと大袈裟に意気込んでみせ、寺の縁起を軽やかに謡い舞い、次々に芸を見せて場を盛り上げる。そのとき、僧は花月こそ生き別れになった息子だと気づき、親子は再会を果たす。花月は鞨鼓を打って舞を舞いつつ、自らの半生を語りはじめる。七歳のとき天狗に攫われてから諸国を転々とし、その後は芸人となって各地を巡り歩いてきた花月は、今日のこの再会を喜ぶと、父と共に修行の旅に出発するのだった。
ストーリーと舞台の流れ
1 ワキが登場します。
諸国修行の旅にさすらう、一人の僧(ワキ)がいた。筑紫 彦山麓の住人であった彼は、七歳になるわが子が失踪した悲しみから出家を遂げ、求道の日々を送っていたのだった。
思えば、親子は今生限りの仲。恩愛の絆に引かれたとて、生々流転を繰り返すこの身にとって何になろう。山野に過ごす日々こそが、自分の真実の姿なのだ。――そう自らの心に言い聞かせつつ、僧は修行の道をひた歩む。
2 ワキはアイと言葉を交わし、アイはシテを呼び出します。
旅の途上、京に到った僧。折しも今は春の盛り、“花の都”の名に恥じぬ致景であった。
名高い清水寺へと向かう僧。はじめて訪れた京洛の地。他所では見られない面白いものが、この都にはあるはずだ。そう考えた僧は門前の男(アイ)を呼び止め、何か良い見世物は無いかと尋ねる。聞けば、遊芸に長けた花月という少年が面白いという。ちょうど今日などは、この寺へ来ていそうなもの。男はさっそく花月を捜す。
3 シテが登場します。
やがてやって来た花月(シテ)。「僕の名は花月。“ゲツ”は常住不変の月、“カ”は移りゆく世界の姿。春は花、夏は瓜、秋は菓、冬は火。悟りの先には因果の果。これが僕の名前なんだ!」 立て板に水を流すごとく利発に述べ立て、禅問答の真似をして見せる花月。幼いながらも聡明なその姿は、神童として京の町で評判になったほど。
4 シテはアイに促され、〔小歌〕を謡います。
東山 雲居寺に仕える花月は、この清水の花盛りに心惹かれ、こうしてやって来たのだった。花月はさっそく、得意の小歌を披露してみせる。『はるか昔から今の世まで、変わらぬものは人の恋。恋とは何とくせものよ――』 男の体に身をゆだね、恋の唄を謡いあげる花月。二人は恋人同士を演じてみせ、一座を盛り上げるのだった。
5 シテは鶯を弓で射ようとします(〔弓之段〕)。
そのとき、鶯が花を散らしてゆく。鶯に玩具の弓矢を向ける花月。「あの鶯めを討つにも大太刀は無し、これで射落として見せましょう。わが腕前、とくと御覧くだされ…!」 大げさに草履を脱いで袴をたくし上げ、あらわになった華奢な素足で狙い寄る花月。
「しかし仏の戒め、やはり殺生は勘弁してやりましょう」 小賢しくそう言うと、花月は弓を下ろすのだった。
6 シテは清水寺の縁起を謡い舞います(〔クセ〕)。
花月は、この寺の由緒を謡い舞う。『清らかな水の流れ出るこの寺。その創建のきっかけは、この水が五色に輝き流れたこと。人々がその水源へ尋ねてゆくと、そこには光を放つ柳の朽木。この木こそ、楊柳観音の仮の姿。人々が祈りを捧げると、そのとき柳は緑の色を取り戻し、木々は一斉に花を咲かせます。それこそが観音の誓い、この地に起こった奇蹟なのです――』 咲き誇る花と流れゆく水を背景に、花月は軽やかに舞うのだった。
7 ワキはシテが自らの子だと気づき、名乗り出ます。
そのとき、僧は気づく。この花月こそ、かつて生き別れになったわが子なのではないか。花月に声をかける僧。七歳のとき彦山で天狗に攫われたと明かす花月に、僧は父だと名乗り出る。よくよく見れば、僧と花月の面差しは瓜二つ。親子は念願の再会を果たし、花月はこの喜びに、鞨鼓を打ってめでたく舞い納めようと言う。
8 シテは〔鞨鼓(かっこ)〕を舞い、これまでの日々を語って舞い納めます。(終)
鞨鼓を打ちつつ、自らの半生を語る花月。「天狗に攫われ、連れ回された山々の記憶。讃岐、伯耆にも行った。京や南都の山々にも、果ては富士の天高くへも行った。そうして心乱れた私は、旅芸人となって各地を廻り、今日のこの日を迎えたのだ。しかし遊興の日々もこれで終わり。これから私が赴くのは、親子二人の修行の旅…」 辛かった日々を回顧し、今この時を喜ぶ花月。彼は父と連れ立つと、仏の道へ旅立ってゆくのだった。