銕仙会

銕仙会

曲目解説

鉄輪(かなわ)

◆登場人物

前シテ 都の女
後シテ 女の怨霊
ワキ 陰陽師 安倍晴明
ワキツレ 女の元夫
アイ 貴船神社の神職

◆場所

【1~4】

 京都北郊 貴船神社  〈現在の京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山の中腹〉

【5~9】

 京都 安倍晴明の屋敷

概要

京都の北の山中 貴船神社へと丑刻詣でをする、一人の女(前シテ)。夫に捨てられた彼女は、鬼と変じて夫の命を奪うべく、毎夜祈願を重ねていた。ある夜、参詣した彼女は神託を得る。それは、全身を真っ赤に彩り、頭に鉄輪を載せてその各足に火を灯し、瞋(いか)りの心を持ち続ければ鬼になれるとの託宣であった。

一方、新妻を迎えていた彼女の元夫(ワキツレ)。最近夢見の悪い彼は、夢占いのため、陰陽師・安倍晴明(ワキ)のもとを訪れる。晴明は、彼は今夜にも前妻の呪いによって絶命すると告げ、呪いの矛先を向け換えるべく人形(ひとがた)を作って祈祷をはじめる。するとそこへ、鬼女となった前妻の怨念(後シテ)が現れた。恨み言を述べつつ夫と新妻の人形を責め苛む鬼女。しかしそのとき、祭壇の幣帛上に護法の神々が出現し、却って鬼女を責め立てた。衰弱した鬼女は、再度の襲来を予告しつつ、姿を消すのであった。

ストーリーと舞台の流れ

1 アイが登場します。

京都北方の山中、鬱蒼とした木立の中に鎮まる貴船神社。深夜になれば、この地で所願成就を祈る丑刻詣での人音が、静寂の闇の中に幽かな響きを立てている――。

その貴船社に仕える、一人の神職(アイ)。ある日、彼は夢に神託を得た。それは、このごろ丑刻詣でを重ねている都の女に、神の言葉を伝えよというもの。その夢託に任せ、彼はその女の来訪を待つところである。

2 前シテが登場します。

やがて時刻は真夜中。今宵は月もまだ昇らぬ、草深い夜の山路を踏み分けて、その女(前シテ)はやって来た。「月日は重なり、恨めしさは募るばかり…。偽りの言葉を信じ、あの人と契りを結んでしまった私の、なんと愚かであったこと。胸中にわだかまり、ひとりでに膨張してゆく様々な思い。居ても立ってもいられず、来世の報いなど待ちきれない。神様、どうか今生の内に、因果の報いを見せて下さいませ…」。

3 アイは前シテに神託を伝えます。

女の姿を認めた神職は、託宣を告げる。「貴女の“鬼になりたい”との所願、神は確かに納受されました。赤い衣を着、顔も赤く塗り立て、頭には鉄輪を載せてその各足に火を灯しなさい。そうして瞋(いか)りの心を抱き続けるならば、所願は忽ち叶うでしょう」。

人違いではとはぐらかす女。そう言う内にも、彼女の表情は次第に人ならざるものへと変貌してゆく。その姿に腰を抜かした神職は、逃げるように立ち去ってゆくのだった。

4 前シテは、神託の内容を実行すべく帰ってゆきます。(中入)

あとに一人佇む女。彼女はわが所願の叶うことを喜び、さっそく神託に従おうとする。早くも異形の姿へと変じてゆく彼女。艶やかな黒髪は今や乱れて天に逆立ち、顔には鬼女の相が顕われた。折からの大嵐に雷鳴の轟く中、女は復讐の決意を胸に、足早に貴船を去ってゆくのだった。

5 ワキツレが登場し、ワキを呼び出します。

その頃――。彼女を追い出し、新妻を迎えていた元夫(ワキツレ)。そんな彼は最近、毎晩悪夢にうなされていた。夢占いをしてもらうべく、高名な陰陽師・安倍晴明(ワキ)のもとを訪ねた彼に、晴明は告げる。悪夢の原因は“女の怨み”。前妻の怨念によって、彼は今夜にも絶命するだろう。その呪いは、もはや止めることは出来ない――。その言葉を聞いて泣きつく男。それならばと、晴明は呪いの矛先を向け換えることを試みる。

6 ワキは、祭壇に祈りを捧げます。

男と新妻の身代わりに、人形(ひとがた)を安置した晴明。色とりどりの幣帛を立て並べ、祭壇を設えた晴明は、祈祷の言葉を唱えはじめる。『神の代にはじまる夫婦和合の道。それは、魑魅魍魎の妨げなど許されぬ、神聖な営み。天地の神々、諸仏菩薩に至るまで、どうか御加護のあらんことを…!』

そのとき、俄かの黒雲が天を覆い、雷雨が辺り一帯を包んでゆく。吹き荒れる風に幣帛は乱れ、身の毛もよだつ夜嵐の中、晴明は一心不乱に祈りを捧げる。

7 後シテが出現します。

やがて、暗がりの向こうから、鬼女と変じた前妻の怨念(後シテ)が姿を現した。全身を真っ赤に彩り、頭に鉄輪を立てて火を灯した異形の姿。胸中に煮えたぎる瞋りの心を抱きつつ、彼女はこちらへと近づいてくる。「花は春の終焉とともにその儚い美を終え、空ゆく月は瞬く間に西へ流れて留まることを知らない。そんな無常の世の中で、廻りゆく因果の輪。今こそ、その因果の報いを見せるとき――」。

8 後シテは祭壇の前に行き、人形に恨み言を述べます。

祭壇へと進み出た鬼女。晴明の術によって、彼女の目には人形が夫の姿に幻視されていたのだ。「いつまでも末永くと契り合った、あの日…。その約束は今や空しく、私は無惨に棄てられてしまった。独り寝に涙の夜を過ごす日々。燃え上がる怨みと募る恋しさとが混じり合い、絡み合って私の心を埋め尽くす。しかしそれも今日で終わり。あなたの命が消えるとともに…」 鬼女は哀しげに人形を見つめつつ、恨み言を囁きかけるのだった。

9 後シテは、新妻の人形を責めます。

積もりに積もった、恨みの日々。鬼女は、いよいよ二人の命を取ろうと動き出す。新妻の人形に歩み寄り、だらりと下がった黒髪に手をかける彼女。彼女は長く伸びた髪を手に絡め取ると、人形の首を引き寄せて散々に打ち据える。「今になって廻ってきた、因果の世の報い。これも全ては、あなたの行いから出たこと。さぞ後悔したことでしょう…」。

10 後シテは神仏の責めを受け、退散してゆきます。(終)

それ以上に恨めしいのは不実の夫。続いて夫の人形へと向かった鬼女は、そのとき眼前の光景に息を呑む。祭壇に立てられた幣帛の数々に、護法の神々が降臨してきたのだ。穢らわしい鬼の身、速やかに立ち去れ――。そう責め立てる神々の前に、神通力の失せ果てた彼女。夫の命を奪うことは叶わず、あまつさえ神々の責めを受けて弱り果てた彼女は、この結末に憤りつつも退散してゆく。「またの機会を、待っているがよい…」 その声を遺して、鬼女は消えてゆくのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2019年05月20日)

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