銕仙会

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曲目解説

邯鄲かんたん

后妃たちの声と聞こえたのは松風の音、光輝く宮殿と見えたのは宿屋の風景…。迷える青年の前に現れた、夢と現実とが交錯する世界。

作者 未詳  観世元雅、あるいは金春禅竹か
場所 中国 邯鄲の里  (現在の中国 河北省南部)
季節 不定
分類 四番目物  唐物
登場人物
シテ 悩める青年 盧生(ろせい) 面:邯鄲男 黒頭厚板法被半着出立(唐人の青年の扮装)
子方 舞童 風折長絹大口出立(童子の扮装)など
ワキ 勅使 側次大口出立(唐人の扮装)
ワキツレ 大臣(3人) 洞烏帽子狩衣大口出立(廷臣の扮装)
ワキツレ 輿舁(こしかき)(2人) 大口モギドウ出立(下級役人の扮装)
アイ 宿の女主人 鬘縫箔側次出立(唐人女性の扮装)

概要

中国 邯鄲の里を訪れた悩める青年・盧生(シテ)は、宿屋の女主人(アイ)から不思議な枕を借りる。それは、わが身の進むべき道を悟ることが出来るという枕。盧生は早速これを使って昼寝をする。暫くして勅使と名乗る男(ワキ)に起こされた盧生は、帝位を譲ると告げられ、そのまま大臣たち(ワキツレ)の居並ぶ王宮へと連れてゆかれる。栄華の日々を過ごし、不老長寿の酒で大宴会を開いて歓楽の限りを尽くした盧生であったが、そうする内に人々の姿は消え、盧生は再び眠りに落ちてゆく。盧生が目を覚ますと、そこはもとの宿屋。今までの出来事が全て夢であったと悟った盧生は、この世の真理を知って満足するのであった。

ストーリーと舞台の流れ

1 アイが登場します。

中国 邯鄲の里。この里の宿屋には、不思議な枕が伝わっていた。その枕は、かつてある仙術使いが宿泊の礼にと置いていったもので、これを使って眠れば夢にわが身の行く末を悟ることができるという代物であった。

宿の女主人(アイ)は、今日も旅人の来訪にそなえて支度をしている。

2 シテが登場します。

その頃、蜀の山奥からやって来る、一人の青年がいた。彼の名は盧生(シテ)。楚の羊飛山の地に尊い僧がいると聞いた彼は、今までの平凡な暮らしを悔い改め、人生の進むべき道を尋ねようと、羊飛山へ向かっているのだった。

振り返れば、故郷は遥か遠くの雲のかなた。山を越え、野を過ぎ、求道の旅路をひた歩む盧生。こうして彼は、邯鄲の里にまで辿り着いたのであった。

3 シテはアイと言葉を交わし、枕を借りて眠ります。

にわか雨に降られた盧生は、里にあった宿屋へと向かう。彼が向かった先こそ、かの不思議な枕をもつ宿。枕の故事を聞かされた盧生は、進むべき道を知る手始めと、その枕を借り受ける。女主人は、その間に粟の飯を炊いておこうと言いのこすと、盧生を部屋に残して戻っていった。

時刻はまだ日中。ひと寝入りしようと横になった盧生は、夢の世界へと落ちてゆく。――

4 ワキ・ワキツレ(輿舁)が登場してシテを起こし、王宮へと連れてゆきます。

――物音に気づいて目を覚ますと、盧生の枕元には、威儀を正した男(ワキ)が坐っていた。聞けば、彼は楚国の勅使で、帝位を盧生に譲ろうとの意向を伝えに来たのだという。そばには美しい玉の輿。なおも不審がる盧生であったが、帝王の相貌が具わっていると告げられ、あれよあれよという間に輿へと乗せられる。盧生は、そのまま王宮へと連れて行かれるのであった。

5 子方・ワキツレ(大臣)が登場し、王宮のすばらしさが謡われます。

王宮の庭には金銀の砂が敷きつめられ、天高く聳える楼閣に、磨き上げられた玉の門。光も輝く、王宮のありさまである。

玉座についた盧生の前には大臣たち(ワキツレ)が座を連ね、捧げられた宝物は山の如くに積み上がる。東に築かせた白銀の山には黄金製の日輪が光を放ち、西に築かせた黄金の山には純銀の月が顔をのぞかせる。まことに華麗な、王宮の日々。

6 王宮の栄華が謡われる中、子方が舞を舞い、次いでシテが〔楽(がく)〕を舞います。

月日は流れ、在位は五十年を数えた。ある日、廷臣から仙人の酒と仙人の盃とを捧げられた盧生皇帝は、この不老長寿の酒で大宴会を開く。群臣たちの間には栄華の盃がめぐり、舞童(子方)の舞は慶賀の宴席に華を添える。ひるがえる童舞の袖は光を放って散る花の如く、永遠に続くかと思われる、歓楽の時間。

この大宴会に興じた盧生皇帝は、自らもまた舞楽を舞い、今この時を喜ぶのであった。

7 仙界の神秘が謡われ、やがて子方・ワキツレは姿を消し、シテは再び眠りにつきます。

ついに仙人の身を得た盧生。仙界へと昇っていった彼が目にしたのは、昼と夜、春夏秋冬が同時に存在する、神秘の空間であった。夜かと思えば昼になり、春の花と秋の紅葉は枝を並べて色を競う。無数の草花がひとときの内に咲き乱れる、不思議な世界。

栄耀栄華を極めた盧生。しかしその時、彼の視界は変形をはじめ、世界はどこかへ吸い込まれるように消えてゆく。盧生は目の前が真っ暗になり、深い闇へと沈んでいった。――

8 アイがシテを起こし、シテは栄華が夢であったことを悟ります。(終)

――気がつくと、そこはもとの宿屋。目が覚めた盧生は、女主人から食事の支度が調ったことを告げられる。暫し呆然としていた盧生だったが、次第に現実が理解できてきた。「あれは、夢だったのか…」 宮殿と見えたのは宿屋の風景。五十年の日々と思ったのも、飯が炊けるまでの間のこと。人間の栄華を極めたところで、それは短い夢なのだ…。

「この枕こそ、私を導いてくれる善知識であったのか」 この世界の真理を悟った盧生。望み叶った彼は、満足そうに故郷へ帰っていったのだった。

みどころ

本作の主題となっている「邯鄲の枕の夢」の故事は、古くは中国の伝奇小説『枕中記』に登場し、能と近い時代に成立したものとしては『太平記』などにも載せられています。『太平記』の中では、話の内容が本作とは多少異なっており、盧生は自らの学識を以て楚王に仕えるために楚へと向かっていたことになっています。夢の中でも、はじめ盧生は政策について楚王に助言をするブレーンとして活躍し、大臣として出世してゆきます。そうして楚王の娘を娶り、その夫人の産んだ子が王位継承者として選ばれるに及んで栄華の絶頂を極めますが、湖に浮かべた船で饗宴をしていた時に夫人と王子が船から踏み外して湖に沈んでしまい、皆が大慌てになったところで夢が覚めてしまうのでした。この夢を見た盧生は、政治家として出世してゆくことの空しさを悟り、隠遁生活を送ったというのが、『太平記』に見える「邯鄲の枕」の話の内容となっています。
それに対し、本作では盧生ははじめから求道心をもった人物として登場し、善知識(自分を仏の道へと導いてくれる尊い僧)を求めて楚へと向かっています。そうして、夢の中では単に政界の頂点に立つだけでなく、不老長寿の薬を飲んで仙人の世界をも極めることになっています。夢から覚めた盧生は、単なる虚無感に襲われたのではなく、「南無三宝南無三宝、よくよく思へば、出離を求むる知識はこの枕なり」と言い、この枕こそが「善知識」となって自分を仏の道へと導いてくれたのだと知るのでした。すなわち、誰か徳の高い僧に頼るのではなく、夢をとおして自らの心を見つめることが、この世の真理を探究する上で大切なのだ、というのが本作の主張であり、単に俗世間で出世してゆくことの空しさを描くのみならず、人として生きてゆく上での心の在り方に焦点を当てたところに、本作の意図があるといえましょう。
本作では、引立大宮(ひきたておおみや)という作リ物が舞台に据えられます。これは、一畳台(いちじょうだい)に四本の柱をさし、その上に屋根をつけたもので、〈鶴亀〉などのように中国皇帝の住まう宮殿として用いられることが多いですが、本作では皇帝となった盧生の宮殿をあらわすとともに、宿屋の寝台としても活用されています。すなわち、序盤で宿屋の寝台として使われていたこの作リ物は、途中から宮殿をあらわすようになり、最後はまた宿屋に戻るというふうに、その役割を変化させてゆくのです。さらに、作リ物だけではなく舞台空間そのものが、現実世界をあらわしたり夢の中の世界をあらわしたりと、本作では自在にその役割を変化させてゆきます。作リ物や舞台空間全体の中に、現実世界と夢の中という二つのイメージが重ね合わされているのです。
本作終曲部で、夢から覚めた盧生は「女御更衣の声と聞きしは松風の音となり、宮殿楼閣はただ邯鄲の仮の宿」と述べて、宮殿と見えたのは宿屋の風景であったと嘆息しており、幻想の光景と現実の光景とが重なり合って夢うつつの状態になった様子が描かれています。簡素な舞台装置しか用いない能の特徴を最大限に生かして、夢と現実世界とが交錯する世界を作り上げたところが、本作の魅力のひとつと言えましょう。

(文:中野顕正)

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今後の上演予定

(最終更新:2017年10月)

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