通小町(かよいこまち)
◆登場人物
シテ | 深草少将の亡霊 |
---|---|
ツレ | 女 じつは小野小町の亡霊 |
ワキ | 夏安居の僧 |
◆場所
【1~4】
京都北郊 八瀬(やせ)の里 〈現在の京都市左京区八瀬〉
【5~8】
京都北郊 市原野(いちはらの) 〈現在の京都市左京区静市市原町〉
概要
京都北郊 八瀬の山里で修行する僧(ワキ)のもとを毎日訪れ、木の実を捧げていた一人の女(ツレ)。不思議に思った僧は名を尋ねるが、女は木の実の歌を謡って誤魔化し、正体を明かすことを躊躇う。しかしやがて、女は自らを市原野に住む者の霊だと告げると、回向を頼みつつ姿を消す。実は彼女は、小野小町の亡魂であった。
僧が市原野で弔っていると、小町の霊(ツレ)が現れ、回向に感謝する。そこへ現れた、深草少将の亡霊(シテ)。小町への恋慕の果てに絶命し、今も小町の成仏を妨げていた少将。彼は懺悔として、小町のもとへ百夜通い続けた様子を語り、祝言の盃を目前にした九十九夜目の感慨を思い出す。その時、酒は仏の戒めだと気づいた少将。懺悔の中で持戒の念を起こし、罪障を滅することの叶った彼は、遂には小町と共に成仏してゆくのだった。
ストーリーと舞台の流れ
1 ワキが登場します。
京都の北郊 八瀬の地。この山里で夏の定住修行の日々を過ごす、一人の僧(ワキ)がいた。市街地からは程隔たり、ひっそりと静まり返った、この山あいの地。そんな幽閑の境で修行にいそしむ彼のもとへは、一人の女が毎日歩みを運びつつ、日々の暮らしを支えていた。名を名乗ることもなく、忽然と現れては食料の木の実や燃料の小枝を捧げて去ってゆく女。そんな彼女を不思議に思いつつ、僧は日々の暮らしを送っていた。
2 ツレが登場します。
今日もまたやって来た、例の女(ツレ)。この八瀬から山一つ隔てた市原野の地に住むという彼女は、かの清貧の修行者と仏縁を結ぶべく、こうして足を運んでいたのだった。「宮廷に仕える女性たちには、袖に芳しい薫き物の香。それに引きかえ、同じ“たきもの”とは言いながら、私が手にするのは竈の火を焚く小枝の“焚き物”。世にある上臈の身とは似ても似つかぬ、今のわが身の悲しいこと――」。
3 ツレはワキのもとを訪れ、木の実づくしの謡を謡います。
僧のもとを訪れた女。意を決した僧は、今日こそ彼女の名を尋ねようとする。ところが、彼女は“この身”の名を尋ねるのかと念を押すと、“木(こ)の実”の名を謡に謡って戯れだし、僧の問いかけを躱してしまうのだった。『拾い集めた、木の実の数々。風を受けて転がる落椎は車のすがた、人麿の家を彩っていたのは柿の実。そのほか栗や梅・桃・梨、椎や柑子に至るまで。花橘の香りには、昔のことが偲ばれて…』。
4 ツレは、自らの正体を仄めかして姿を消します。
謡い終えた彼女へ、改めて名を尋ねる僧。重ねての問いかけに、彼女はついに、自らの正体を口にする。「昔の名を明かすのも、恥ずかしいこと。私こそ小野…、いや、おのれの名は申しますまい。どうか、市原野に住むこの私の、後世を弔って下さいませ――」 そう言い遺すと、女は姿を消すのだった。
5 ワキは市原野を訪れ、小町の霊を弔います。
驚く僧。彼は、一つの故事を思い出す。いにしえ市原野を通ったある人の耳に、芒の中から聞こえてきた声。『目が痛い、目が痛い』と訴えかけるその声の主は、小野小町の髑髏であった。風に揺れる芒が髑髏の目の穴を貫き、その苦しみに苛まれていた小町の亡魂。…その昔物語に、僧は気づく。さては先刻の女こそ、小町の幽霊だったのか。彼は小町を弔うべく、市原野へと向かってゆく。
6 ツレが再登場し、続いてシテが登場します。
やがて、経を手向ける僧の前に現れた小町の霊(ツレ)。小町は回向を喜び、戒を受けて救われたいと願う。しかしその時、その願いを妨げる男の声が、背後から聞こえてきた。「戒を授けてはなりません。二人の時ですら悲しみ多きこの冥界に、私ひとりを取り遺そうというのか…」 僧のもとへ駆け寄ろうとする小町の体に縋りつき、彼女を苦患の巷に引き留めようとする男(シテ)。小町がこの仕打ちに涙すれば、男もまた、そんなわが行いの浅ましさを嘆く。彼こそ、小町を慕い続けて絶命した、深草少将の亡霊であった。
7 シテは、小町のもとへ通い続けた様子を再現します(〔立廻リ〕)。
死してなお苦しみ続ける二人。二人は僧に促され、生前の罪業を懺悔しはじめる。
――小町を思慕する少将に示された、“百夜通い続ければ契りを結ぼう”との条件。少将はその言葉に喜ぶが、それはもとより偽りの約束であった。通いはじめた少将へ、重ねて試練を課す小町。人目を憚るようにとの言葉に、少将は車にも乗らず供も連れず、蓑笠姿で夜の道をひた歩む。雪降る夜には袖に積もった雪を払い、雨の夜には漆黒の闇を恐れつつ。たまさかに晴れた夜空の下にも、彼の心の中だけは、涙の雨が降り続けた…。
8 シテは懺悔の中で持戒の心を起こし、ツレとともに成仏してゆきます。(終)
心に去来する様々な思いに苦しみつつも、遂に九十九夜目を迎えた少将。祝言の盃を挙げるのももはや目前。彼は装いを改め、晴れやかな心で向かってゆく。――そう語る彼の心には、今また、“あの日”の思いが蘇ってきた。
そのとき、彼は気づく。祝言とはいえ酒は仏の戒め、懺悔した身には似合わぬ品。少将の心にはじめて萌したその持戒の一念は、彼を数々の罪の呪縛から解き放ってゆく。
――こうして、少将は小町とともに、ついに成仏を遂げたのだった。
舞台写真
・2011年10月14日 定期公演「通小町 雨夜之伝」シテ:観世銕之丞