銕仙会

銕仙会

曲目解説

三山みつやま
娘盛りを過ぎ、落ち着いた、やや鬱屈した雰囲気を漂わせる桂子と、今を盛りと我が世の春を謳歌する桜子。古代の遺風を伝える大和の地で繰り広げられる、二人の女の恋の妄執。
典拠 『万葉集』13番歌、同3786~3790番歌
作者 不詳
場所 大和国 耳成山のふもと (現在の奈良県橿原市)
季節 晩春 弥生(旧暦3月)
分類 四番目物 執心女物
登場人物
前シテ 耳成の里の女 面:増、深井など 唐織着流女出立(一般的な女性の扮装)
後シテ 桂子の霊 面:十寸髪など 唐織脱下女出立(狂乱する女性の扮装)
ツレ 桜子の霊 面:小面 唐織脱下女出立(狂乱する女性の扮装)
ワキ 良忍上人 大口僧出立(格式張った僧侶の扮装)
ワキツレ 従僧(二人) 大口僧出立あるいは着流僧出立(一般的な僧侶の扮装)(※)
間狂言 所の者 長裃出立(庶民の扮装)
※ワキツレは登場させない演出もあります。

概要

融通念仏の開祖・良忍上人(ワキ)の一行が大和国を訪れ、名所の大和三山を見物しようと耳成山に向かうと、一人の女(シテ)が現れ、「むかし耳成の里に住む桂子と畝傍の里に住む桜子とが香具山の男をめぐって争い、恋に敗れた桂子は池に身を投げた」という故事を語る。その後、女は自分も融通念仏に加わりたいと申し出、名を尋ねられた女は「自分こそ桂子である」と明かすと、耳成池の底へと消えていった。良忍が弔っていると、桜子(ツレ)、次いで桂子(後シテ)の幽霊が現れ、二人は争う。死してなお消えること無き、妄執の連鎖。しかし、やがて弔いによって二人は救われ、消えてゆくのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場し、自己紹介をします。

平安後期。先行きの知れない社会に対する不安が、この日本列島を覆っていた時代。人々は浄土の教えに救いを求め、仏教は広範な人々の支持を集めていた。
その頃活躍していた僧に、良忍(ワキ)がいた。彼は、「一人一切人 一切人一人(一人は皆のために、皆は一人のために、念仏を唱えよう)」のスローガンのもとに“融通念仏(ゆづうねんぶつ)”を創始し、弟子達(ワキツレ)を引き連れ布教の旅に出ていたのだった。

2 ワキは間狂言と言葉を交わし、名所・大和三山について教えられます。

大和国、奈良盆地南部に着いた上人の一行は、土地の男(間狂言)に、この辺りの名所について尋ねる。男は、万葉集の昔からの名所“大和三山”について教える。「北に見えるのが耳成山(みみなしやま)、南にあるのが天香具山(あまのかぐやま)、西にあるのは畝傍山(うねびやま)…」 教えられた一行は、暫くこの名所を見物しようと、耳成山へと向かう。

3 シテがワキに声をかけつつ登場し、二人は言葉を交わします。

「もうし、お坊様…」そこへ、一人の女(シテ)が現れた。「誰に尋ねようと、大和三山の物語を詳しく知る者はおりますまい。それは昔、耳成池に沈んだ人の、妄執の物語…。」
万葉集には、夫である香具山を巡って畝傍山と耳成山とが争ったという。「昔、香具山の麓に住む男が、二つの里の女と交際していた。畝傍の女の名は桜子、耳成の女は桂子。結局、桂子は争いかね、身を投げてしまう。そんな彼女を、どうか弔って下さいませ…。」

4 シテは、桂子・桜子の争いの故事について語ります(〔クリ・サシ・クセ〕)。

※下記「5」を省略し、ここでシテが中入(なかいり)する演出もあります。
――はじめは桂子を愛していた香具山の男も、やがては桜子へなびき、耳成の里へは来なくなった。桂子は恨み、一人寂しい日々を過ごす。所詮、人の心の移ろい易きは世の習い。春は盛りの桜子に、この花も無き桂子が、叶わぬのも仕方の無いこと。長雨に、物思いは募る。ああ、桜子のいる畝傍の里の、何と華やかに栄えていること…! 今は生きている甲斐も無い、と、桂子は水面に身を投げ、池の玉藻と果てたのでした…。

5 シテは名帳に加わりたいと申し出、自らの正体を明かして消え失せます(中入)。

※この場面は省略されることがあります。
三山の故事を語り終えた女は、良忍に対し、自分も融通念仏のグループに加わりたいと申し出る。参加者名簿である名帳(みょうちょう)には名を何と書けば良いかと尋ねる良忍に、女は何と“桂子”と答える。驚く良忍を尻目に、彼女は念仏を授かると、耳成池の底へと消えていったのだった。

6 間狂言がワキに物語りをし、退場します。

そこへ、さきほどの土地の男が現れ、尋ねられるままに万葉集の古歌の物語をする。それを聞いた良忍は、男に、先刻の女の語っていた桂子・桜子の物語を語って聞かせる。

7 ワキが弔っていると、ツレが登場します。

さては、彼女は桂子の幽霊だったのか。良忍は、彼女の妄執を晴らすべく、供養を始める。
するとそこへ、若い女(ツレ)が現れた。「耳成から吹く山風に、私の心は乱れるばかり。花に吹きつける嵐を退け、我が狂乱を助けて下さい…!」 女は、桂子との間で男を求め争った、桜子の幽霊であった。

8 後シテが現れ、ツレを苦しめ、打ち据えます(〔カケリ〕)。

「ああ、恨めしい桜子の姿よ。また春の盛りが来たようだ…」そこへ、今度は年増の女(後シテ)が現れた。「月の桂の光をも、満開の花は遮ってしまう。ああ、恨めしい…!」
女は、桂子の幽霊であった。「桜も散ってしまえば青葉となる。桂も桜も、どこに違いがあろうぞ…」彼女は、手にした桂の枝で桜子を打擲し、苦しめる。

9 シテ・ツレの二人は争いを繰り広げますが、やがて争いを止め、この能が終わります。

春は盛り、美貌を誇る桜子。「恨めしい、春が来る度ごとに、花を咲かせる桜子よ。山風、松風、春風も、あの花を散らしてしまえ…!」 二人は争う。苦悶の表情を浮かべる桜子を、桂子はこれでもかと打ち据える。
激しく火花を散らす、二人の妄執。しかし、それも終わりを迎えようとしていた。冴え渡る月光に、迷いの雲も晴れてゆく。やがて朝が来て、彼女たちは消えていったのだった…。

みどころ

本作では、耳成の里の女“桂子”と畝傍の里の女“桜子”の恋の争いが主題となっています。

本作の舞台となっている耳成山(みみなしやま)・畝傍山(うねびやま)・天香具山(あまのかぐやま)の三つは、奈良盆地南部、現在の奈良県橿原市にある山で、「大和三山(やまとさんざん)」と総称されています。この大和三山のある辺りは、8世紀初頭に平城京(現在の奈良県奈良市)に都が遷るまでは政治の中心となっていた一帯であり、『万葉集』などにもこの地域を詠んだ歌が多く見られます。

そして、本作の典拠となっているのも、『万葉集』に載せられている、次のような長歌です。

香具山は 畝傍を愛(を)しと 耳成と 相(あひ)争ひき
神代(かみよ)より かくにあるらし いにしへも 然(しか)にあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき       
(『万葉集』巻一、第13番歌)

この歌は天智天皇によって詠まれた歌で、その大意は「香具山は、畝傍山のことを愛おしく思い(一説に「男らしく立派だと思い」)、耳成山と争ったのである。神代の昔もそのようだったのだ。昔もそうだったので、今でも、妻を求めて男たちは争っているのだそうだ」というものです。
この大和三山の恋愛の物語は、広く人口に膾炙したものであり、本作もそれを前提知識として書かれています。(但し『万葉集』では、香具山と耳成山の二山が、異性である畝傍山をめぐって争ったことになっており、本作とは異なっています。)

本作では、この大和三山の恋愛関係を、それぞれの里に住む人間の恋愛の物語として読み替え、脚色しています。

『万葉集』巻十六には、桜児(さくらこ)という女性が二人の男から求愛されて悩み、自殺してしまったという物語(第3786・3787番歌)や、耳成の里に住む縵児(かづらこ)という女が複数の男から求婚されて思い悩み、耳成池に身を投げたという物語(第3788~3790番歌)が載せられていますが、本作ではこの二つの物語の趣向をも取り入れて、「畝傍山=桜子(桜児)と耳成山=桂子(縵児)の恋の争い」と、「恋に敗れた桂子の入水」という物語が構築されています。

そして、本作に登場する桂子・桜子には、それぞれ植物の桂・桜のイメージも投影されています。青々とした葉をたたえる桂は、年増の女である桂子のイメージ。また、華やかで美しくも散りやすい桜は、若い桜子のイメージ。春の盛りに栄える桜子と、地味なわが身を恨む桂子という対比が、本作を貫いているのであり、それだけに、娘ざかりを過ぎた桂子による後妻打ち(うわなりうち:夫を後妻に奪われた本妻が、後妻に復讐すること)というテーマが、強く印象づけられているのであります。

女の情念を、リアルに、それでいて古典的情緒豊かに描き出した作品となっています。

※なお本作は、観世流では永らく廃曲となっていたものを、昭和60年12月の銕仙会定期公演において、八世観世銕之亟によって復曲されたという経緯があり、銕仙会にとってゆかりの深い演目となっています。

(文:中野顕正)

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(最終更新:2017年5月)

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