望月(もちづき)
◆登場人物
シテ | 旅籠・甲屋(かぶとや)の主人 じつは安田友治の旧臣・小沢友房 |
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ツレ | 安田友治の未亡人 |
子方 | 安田友治の遺児・花若丸 |
ワキ | 望月秋長 |
アイ | 望月秋長の下人 |
◆場所
近江国 守山宿 〈現在の滋賀県守山市〉
概要
近江国 守山宿を訪れた、女(ツレ)と少年(子方)。二人は、かつての信濃国の住人・安田友治の奥方と若君であった。しかし友治は同国の望月秋長に討たれ、以来辛苦の旅を続けていた二人。そんな二人の姿に、この宿の旅籠・甲屋の主人(シテ)は驚く。実はこの主人こそ、友治のかつての家臣・小沢友房だったのだ。
そこへ折しも、例の望月秋長(ワキ)が訪れた。これこそ仇討ちの好機と、三人は相談する。盲目の女性芸能者に扮し、秋長に近づく奥方。しかし、彼女の語る曽我兄弟の物語を聞いて感極まった若君は、つい「討とう」と口走ってしまう。騒然とする座の内。結局、友房の機転によってその場は収まり、若君は鞨鼓舞を、友房は獅子舞を披露することとなった。酒宴の芸の面白さに、すっかり夢心地となった秋長。それを見届けた友房と若君は、ついに秋長を討ち果たすのだった。
ストーリーと舞台の流れ
1 シテが登場します。
ここは、近江国 守山宿。京都と鎌倉とをつなぐ街道に面したこの宿場は、貴賤を問わず多くの人々の訪れる、往来盛んな交通の要衝であった。
この宿場町に建つ、旅籠・甲屋(かぶとや)。この旅籠を経営していたのは、一人の男(シテ)であった。ある事情から、故郷の信濃国を離れて当地へやって来た男。彼は、こうして往来の旅人を泊めることで、生計を立てていたのだった。
2 ツレ・子方が登場します。
そこへ現れた、年闌けた女(ツレ)と少年(子方)の二人。二人は、信濃国の在地領主・安田友治の妻子であった。しかし十数年前、友治は同国の望月秋長という者に殺害され、家臣たちは幼い若君を見限って去っていった。以来、敵の目を忍び、放浪の旅に出ていた二人。旅宿の月を見ては故郷の浅間山を懐かしみ、草の枕の夜寒の内に安からぬ身をかこちつつ、二人はこうして、守山宿に辿り着いたのだった。
3 ツレ・子方はシテのもとを訪れ、互いに正体を明かします。
甲屋を訪れた母子。甲屋の主人は、二人を客間へ案内する。
母子の顔を見て驚いた主人。実はこの主人こそ、かつての安田友治の家臣・小沢友房だったのだ。今の二人は疑いもなく、亡き主君の奥方とその若君様。そう確信した彼は、二人の今の零落を悲しみつつ、自らの名を明かす。その言葉に、旧臣との再会を喜ぶ母子。三人は、この不思議の縁を思い、今日の再会に涙するのだった。
4 ワキ・アイが登場します。
そこへやって来た、新たな旅人(ワキ)。この旅人こそ何を隠そう、安田友治を殺害した張本人・望月秋長であった。事件の後、十三年のあいだ京都に拘留されていた秋長。しかし彼はこのたび無罪を勝ち取り、領地を保証する幕府の証文を手に入れた。秋長は喜び勇みつつ、従者(アイ)を連れ、故郷の信濃へ帰るところである。
5 ワキ・アイはシテのもとを訪れ、宿を借ります。
時刻は夕暮れ時。秋長は、今夜はこの宿場に泊まろうと、従者に宿を取らせる。
甲屋を訪れ、宿泊を願い出た従者。しかしその時、彼はうっかり主君の名を明かしてしまった。その言葉に、はっとする友房。友房は、秋長主従の宿泊を許可すると、この旨を奥方や若君へ報告しに行く。
6 シテは、仇敵来訪の旨をツレ・子方に報告します。
奥方や若君との再会を遂げたまさに今日、仇敵までもがやって来ようとは。これこそ僥倖と、友房は二人の部屋を訪れ、秋長来訪の旨を知らせる。血気にはやる若君。しかし友房はそんな彼を諫め、本懐成就のための作戦を語る。最近、この宿場に流行っているのは、盲目の女性が英雄譚を語る“瞽女(ごぜ)”の芸。奥方をその瞽女に変装させ、秋長の酒宴の座敷へ潜入してはどうだろうか——。その提案を受け、奥方と若君は支度を始める。
7 ツレは瞽女に扮し、シテ・子方とともにワキのもとへ向かいます。
瞽女に扮し、若君に手を引かれつつ、秋長の座敷へと向かう奥方。彼女は、盲目芸能者の祖・蝉丸の昔を偲びつつ、今の我等の辛苦を思うのだった。
座敷に至った一同。友房は、この瞽女に物語を語らせようと言う。彼女が語るのは、曽我兄弟の仇討ち物語。それを聞いた秋長の従者は、憚りありとして断ろうとする。しかし秋長は問題ないと告げてこれを許可し、奥方は物語を語り始めた。
8 ツレは、曽我兄弟の物語を語ります(〔クセ〕)。
——昔、一万・箱王という兄弟がいました。二人が五歳・三歳の年、父を親戚に討たれた兄弟。最初は幼かった二人も、年を経るごとに、仇討ちの思いを強くします。ある時、持仏堂に籠もった二人。じっと本尊を見つめていた弟は、兄に言います。この仏こそ、我等が仇の名も同じ。剣を手にし、縄を持って我等を睨みつけている。どうか、この首を打ち落としたいもの…。そう口にした弟を、兄は誡めます。この仏の名は不動、我等の仇の名は工藤。その言葉に恥じ入った弟は、この仏へ、仇討ちの成就を祈るのでした——。
9 子方は「討とう」と言い、シテはこれを取り繕って一時退場します。(中入)
奥方の語る物語を、傍らでじっと聞いていた若君。しかし物語が頂点に達するや、若君は遂に感情を爆発させる。「さあ、討とう…!」 そう叫んだ彼の言葉に、騒然となった座敷の内。友房は、精一杯の言い訳を考える。瞽女の語りが済んだ後は、この若者が鞨鼓を打って舞うのだと取り繕う友房。しかし、若君に芸をさせるとは無礼千万。若君はその意趣返しにと、友房へは獅子舞を所望するよう言い、芸の支度を始めるのだった。
10 子方は〔鞨鼓(かっこ)〕を舞い、次いでシテが再登場して〔獅子〕を舞います。
獅子舞の準備のため、暫し座敷を後にする友房。その間に、若君は鞨鼓を打って軽やかに舞い、芸の限りを尽くしつつ、仇敵・秋長の油断を誘う。
やがて、獅子舞の装束を身にまとって座敷に現れた友房(シテ)。彼は、勇壮な獅子の姿を演じ、大ぶりの舞を舞って見せつつ、秋長のもとへ近づいてゆく。
11 シテ・子方は、ワキを討ち果たします。(終)
そうするうち、酩酊と座興によって心地良くなった秋長は、そのまま眠りに落ちてしまった。友房は、そんな彼の様子を見届けると、装束を脱いで若君とともに走りかかる。二人は、この歳月の艱難辛苦を思いつつ、ついに仇敵を討ち果たすのだった。
その後。若君たちは旧領への帰還を果たし、子孫代々に至るまで、この土地の領主となったのだった。これも全ては、武勇に恥じぬ行いゆえ。このたびこうして成し遂げられた、本懐成就の偉業は、未来永劫、語り継がれてゆくのだった——。