
紅葉狩
作者
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観世信光
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場所
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信濃国 戸隠山 (現在の長野県長野市)
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季節
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晩秋 旧暦9月20日頃
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分類
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五番目物 鬼退治物
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登場人物
前シテ
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貴婦人 じつは鬼神の化身
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面:若女など 唐織着流女出立(女性の扮装)
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後シテ
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鬼神
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面:顰または般若 顰出立(鬼神の扮装)
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ツレ
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婦人の侍女(3‐5人) じつは鬼神の化身
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面:小面 唐織着流女出立
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ワキ
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平維茂(たいらのこれもち)
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梨子打長絹大口出立(武家の扮装)
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ワキツレ
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平維茂の家臣(数人)
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素袍上下出立(武士階級の扮装)
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オモアイ
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婦人の下女 じつは鬼神の眷属
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ビナン縫箔着流出立(下女の扮装)
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アドアイ
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八幡神の眷属・武内神
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末社出立(下級の神の扮装)
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概要
平維茂(ワキ)が狩りの途上、晩秋の戸隠山に分け入ってゆくと、紅葉の下で酒宴に興じる婦人(前シテ)と侍女たち(ツレ)の一行に行き逢う。維茂は酒宴を妨げぬよう静かに通り過ぎようとするが、婦人はかえって彼を引き留め、宴に加わるよう勧める。艶めかしい面差しで酒を勧め、甘い言葉を投げかける婦人の姿に、すっかり上機嫌となって眠ってしまった維茂。婦人はその様子を見届けると、姿を消すのだった。
その維茂の夢に現れた武内神(アドアイ)。武内神は、先刻の女は鬼神の化身だと教え、維茂に太刀を授ける。維茂が目を覚ますと、辺りは異様な雰囲気に包まれていた。やがて鬼神(後シテ)が正体を現し、維茂に迫る。しかし維茂は神刀を以てこれに対抗すると、遂に鬼神を討ち取るのだった。
ストーリーと舞台の流れ
1 前シテ・ツレ・オモアイが登場します。
秋の終わり。降りそそぐ時雨が木々の梢を染め上げ、四方の山々を紅に彩りゆく頃。そんな晩秋の風情を眺めようと戸隠の山路を歩む、婦人(前シテ)と侍女たち(ツレ)の一行があった。もとは高貴な身でありながら、今は零落して孤独な日々を送っていた婦人。彼女は移ろいゆく秋の風情にいざなわれ、こうしてやって来たのだった。
山中へと到った一行。彼女たちは梢の下に佇み、酒宴を始めるところである。
2 ワキ・ワキツレが登場します。
そこへやって来た、武者たちの一団。その中心には、いま都にその名を轟かせる武人・平維茂(ワキ)の姿があった。今日は遊興のひととき。秋の彩りの中で狩りを催していた彼は、家臣たち(ワキツレ)を伴い、鹿鳴の跡を尋ねて奥深くへと分け入ってゆく。
3 ワキは前シテ一行の酒宴に気づき、通り過ぎようとします。
山路を進んでいた維茂は、谷蔭に佇む人々の影に気づく。家臣に命じて尋ねに行かせると、その人影こそ、かの婦人たちの一行であった。酒宴に興じていた彼女たちの姿に、維茂は思案する。この近辺を馬で闊歩し、宴に水を差しては無粋というもの。彼は婦人たちを気遣い、馬から下りて沓を脱ぐと、静かに通り過ぎようとする。
4 前シテはワキに言葉をかけ、酒宴へと誘い入れます。
そんな維茂の姿に気づいた婦人。婦人は彼を呼び止め、宴に加わるよう勧める。こうして人里離れた山中で出逢ったのも何かの縁と、維茂の袖にすがって引き留める彼女。さすがに否とは言えぬ維茂は、婦人に誘われるまま、酒宴の席へと迎え入れられるのだった。
5 前シテはワキと酒を酌み交わし、謡い舞います(〔クセ〕)。
古来より伝わる、酒を介した友情の物語。そう語りつつ、色鮮やかな紅葉の中で酌をする婦人の艶めかしさは、この世のものとも思われぬほど。維茂は戸惑う。盃に向かえば心は変わるもの。仏も戒めたほどの飲酒・邪淫の振る舞い、他人に見られては体面も悪い。そう躊躇う維茂に、婦人は甘い言葉を投げかける。「こうして出逢えたのも、前世からの深き縁ゆえ。しかしそんな運命的な私達ですら、将来の契りはあてにならぬもの。今このひとときが、何物にも代えがたいのです…」。
6 前シテは〔中之舞〕を舞い、ワキの様子を窺いつつ姿を消します。(中入)
そうする内、次第に強まりゆく風。雲は流れ、木の葉は辺りに飛び交じる。深夜の冷たい月光の下、婦人は舞を舞いはじめる。
優雅に舞っていた彼女。しかし、眠りへと沈んでゆく維茂の姿を見届けるや、彼女の様子は急変する。身に沁みる風が吹き乱れ、雨までもが降り出す中、彼女は維茂に囁きかける。「決して目を覚ましませんよう。決して…」 その声とともに、彼女は姿を消すのだった。
7 アドアイが登場し、ワキに太刀を授けます。
女たちの策略にはまり、夢の世界へと堕ちていった維茂。その夢に、一人の人影(アドアイ)が現れた。「維茂よ、起きるのだ。あの女たちは、そなたを狙う鬼の化身。この太刀で、あの鬼たちに立ち向かうのだ――」 維茂に太刀を授ける人影。それこそ、維茂の武運を守護すべく八幡神が遣わした、眷属の神・武内神であった。
8 ワキが待ち構えていると後シテが現れ、鬼神の威力を見せます(〔舞働〕)。
目を覚ました維茂。見れば、辺りには稲妻が閃き、地響きの音は四方に轟く。傍らには、夢で見た神託の太刀。維茂はこの太刀を手に、鬼神の出現を待ち構える。
やがて姿を現した鬼神(後シテ)。その形相は、先刻の美貌とは似ても似つかぬ恐ろしいもの。鬼神は光る眼を剥いて立ちはだかると、炎を吐いて火焔を降らし、維茂に迫る。
9 ワキは後シテと争い、ついに討ち果たします。(終)
維茂を喰い殺そうとする鬼神。維茂は八幡神の加護を信じて覚悟を決めると、迫り来る鬼神に立ち向かう。刀を突き刺す維茂と、そんな彼の首を取ろうとする鬼神。そのとき太刀は鈍い光を放ち、怯んだ鬼神には一瞬の隙ができた。巌上へ逃げようとする鬼神を引きずり下ろした維茂は、遂に鬼神を討ち果たすのだった。
(最終更新:2018年10月)