六浦(むつら)
◆登場人物
| 前シテ | 女 じつは楓の精 |
|---|---|
| 後シテ | 楓の精 |
| ワキ | 旅の僧 |
| ワキツレ | 同行の僧 【2人】 |
| アイ | 土地の男 |
◆場所
武蔵国 六浦の里 称名寺 〈現在の神奈川県横浜市金沢区〉
※作中では「相模国六浦の里」と述べられますが、実際には六浦は武蔵国に属しています。
概要
旅の僧(ワキ・ワキツレ)が六浦の称名寺を訪れると、秋の山々が美しく色づく中にあって、寺の庭に生える楓だけは未だ青葉を湛えていた。そこへ現れた一人の女(前シテ)。彼女は、いにしえ冷泉為相(れいぜいためすけ)が当地を訪れた折、山々よりも一足早く紅葉していたこの楓に感嘆して歌を詠んだ故事を明かす。以来、“功成り名遂げて身退く”の言葉通り、この楓は色づかない木となったのだった。女は、自分こそその楓の精だと明かすと、姿を消してしまう。
その夜、再び現れた先刻の女(後シテ)。彼女は、草花が織りなす四季折々のすがたを語り、“草木心なし”といえども実は心が宿っているのだと明かす。女は、片田舎に生きる身でありながら為相に見出された身の栄誉を胸に、月光の下、静かに舞を舞うのだった。
ストーリーと舞台の流れ
1 ワキ・ワキツレが登場します。
東海道を旅する、僧の一行(ワキ・ワキツレ)があった。京都を出発した彼らは、まだ見ぬ東国への思いを胸に、逢坂関を越え、琵琶湖を過ぎ、山を分けつつ遥かの旅路をゆく。やがて六浦の港へと到った一行。ここからは、房総半島へと船で渡る算段だ。
折しも秋半ば。山々の紅葉は、今を盛りと照り輝いている。ところが、この里の古刹・称名寺では、本堂の庭に生える楓の木が、未だ青々とした緑を湛えていた。
2 前シテが声を掛けつつ登場し、楓の故事を教えます。
そのとき、一人の女(前シテ)が一行を呼び止めた。聞けばこの楓は、いにしえの歌人・冷泉為相卿にゆかりの木。為相卿が当地を訪れた折、まだ山々も紅葉しない内から、この楓だけは深紅に染まり、みごとな色を湛えていた。その風情に感じ入った為相卿は、一首の歌を詠んだのだった。『どうやって、この木にだけ時雨が注いだのだろう。山々よりも一足早く色づいた、この楓の葉よ——』。
3 前シテは楓の心を語り、自らの正体を明かして姿を消します。(中入)
女の語る昔物語に涙し、楓に歌を手向けて往時を偲ぶ僧。そんな彼へ、女は言う。「その時、この木は考えました。こんな片田舎の古寺で、一番に色づいたこの身の栄誉。この上は、“功成り名遂げて身退く”との言葉に従い、もはや紅葉するのはこれ限り、と…」。
余りに詳しく楓の心を語る女。不審がる僧へ、女は告げる。「実は私こそこの木の精。お坊様の徳を慕い、こうして現れたのです。今宵、お経を手向けて下さるならば、再び姿を見せましょう――」 そう告げると、彼女は秋霧の中、草花の間へと姿を消すのだった。
4 アイが登場し、ワキに物語りをします。
そこへやって来た、この地の男(アイ)。僧は男へ、この楓の故事を訊ねる。男の語る物語に耳を傾ける僧。先刻の女の言葉が真実だと確信した僧は、彼女を弔うべく、今夜は当地に留まることとした。
5 ワキが弔っていると、後シテが出現します。
秋の夜長。この寺の庭には月が影を落とし、まことに趣深い様子である。
やがて、僧の手向ける読経の声に引かれ、先刻の女(後シテ)が姿を現した。言葉を交わす二人。僧は、草木までもが成仏するという『法華経』の教えを説き聞かせ、彼女の心を慰める。そんな僧の言葉を受け、彼女は、自らの心中を語りはじめた――。
6 後シテは、自らの胸中を明かします(〔クセ〕)。
――移りゆく季節の中で、折々の姿を見せる草花。“草木心なし”とはいえ、時宜を得て咲き乱れる草木には、じつは心が宿っているのです。春には梅や、やがて桜。それが散った庭の面には、卯の花が顔を覗かせます。そうして秋も半ばとなれば、天より注ぐ時雨を受けて、木々は色づいてゆくのです。…それにしても、こんな片田舎へとたまさかに訪れただけの為相さまの、かけて下さった言葉の有難いこと。その縁に引かれ、貴方ともこうして言葉を交わす機会を得ました。そんな私を、どうか成仏へと導いて下さいませ——。
7 後シテは舞を舞い(〔序之舞〕)、夜明けとともに消えてゆきます。(終)
次第に深まる夜。彼女は、彩りのない身ながらも、月下に袖を翻して舞い戯れる。
やがて暁どき。鳥が鳴き、夜明けを告げる鐘の音が響く頃。山々の紅葉は、六浦の浦風に誘われつつ散ってゆく。紅色に敷きつめられた庭の面。そんななか、彼女は帰ってゆこうと告げる。次第に揺らぐ彼女の姿。こうして、夜は早くも明けたのだった。












