錦木 (にしきぎ)
作者 | 世阿弥 |
素材 | 『俊頼髄脳』 |
場所 | 陸奥国・狭布の里 |
季節 | 秋 |
分類 | 四番目物・執心物 |
登場人物
前シテ | 男 | 掛素袍大口出立[かけずおうおおくちいでたち] |
後シテ | 男の霊 | 水衣大口痩男出立[みずころもおおくちやせおとこいでたち] |
前ツレ | 女 | 唐織着流女出立[からおりきながしおんないでたち] |
後ツレ | 女の霊 | 唐織着流女出立[からおりきながしおんないでたち] |
ワキ | 旅の僧 | 着流僧出立[きながしそういでたち] |
ワキツレ | 従僧 | 着流僧出立[きながしそういでたち] |
アイ | 所の男 | 肩衣半袴出立[かたぎぬはんばかまいでたち] |
あらすじ
三年もの間、想いを寄せる女の家の門に錦木を立てつづけた男は、女に応じてもらえないまま、命を落としてしまいます。自分が置いた数々の錦木とともに塚に葬られた男の魂は、叶わぬ恋に執着するあまり、成仏できずにいました。偶然立ち寄った旅の僧が塚の前で仏事を行うと、男女の亡霊が現れ、女のもとを訪れる様子を見せるのでした。
物語の流れ
- 僧が陸奥[みちのく]をめざして修行の旅に出ます。日を重ね夜を重ね、旅を続けて、陸奥国[むつのくに]の狭布[きょう]の里に着きました。
- 細布[ほそぬの]を持った女性と錦木[にしきぎ]を持った男が現れます。思いが成就しなかった恋のつらさを語ります。
- 僧は夫婦と思われる男女を見て、二人が売っている鳥の羽で織った布と、美しく飾られた木について尋ねます。細布も錦木もこの地の名物で、男女の恋愛にまつわる謂れのある品物でした。日が西に傾き、夕方になったからと、二人は帰ろうとします。
- 男は僧に尋ねられ、錦木と細布の謂れについて語ります。三年かけて女の家の門に錦木を立てつづけて思いを伝えたけれど、叶わずに死んだ男の話をし、僧をその男が葬られた錦塚[にしきづか]へと案内します。物寂しい草むらにその塚はありました。秋の肌寒い夕暮れ時、男女はその塚の中へと消えていきました。
- 夜になりましたが、野宿する僧たちは秋風の音で少しも眠ることができません。そこで松の木の下で経を読み、仏事を始めました。
- すると、先ほどの女の霊が現れます。さらに塚の中から弔い[とむらい]を喜ぶ声がし、男の亡霊が姿をみせました。
- 塚の前で野宿していたはずなのに、夢かうつつか、僧の目の前には機織り[はたおり]のある家が見えています。僧に頼まれて、男と女の霊は生前の様子を再現します。女は機[はた]で細布を織り、男は錦木を手に女の門を叩きます。しかし女は返事をしません。機を織る音や秋の虫の声だけが聞こえてきます。
- 三年間通い続けたのに恋が成就せず、死に至った男の心の苦しみが語られます。
- 思い続けた相手についに逢える嬉しさで、男は舞を舞います。
- 男は恋が成就した喜びで、月の光の下で夜通し舞い続けます。そして夜が明け、朝になると、二人の姿は消え、風が吹き抜ける野原にあるのは錦塚だけでした。
ここに注目
錦木とは、一尺(約30センチメートル)くらいの長さで、五色に色どって飾られた木のことです。奥州では、男が思いを寄せる女の家の門にそれを立てかけて思いを伝えます。女が男の思いに応えるときは、それを家の中に取り入れて意志表示をしたそうです。逆に応じる気がない場合は立てかけたままにしておきます。
思いを伝えるために女のもとに通うけれど、女がつれない、というストーリーはさまざまな文学作品に見られるものです。能に出てくる話では、〈通小町〉[かよいこまち]に見られる、深草少将[ふかくさのしょうしょう]の百夜通い[ももよがよい]がよく知られています。〈錦木〉の主人公は三年間女の家に錦木を立てに通ったとあるので、百夜をはるかに超える、約千夜ほど女のところへ通ったことになります。
叶わなかった恋の苦悩を語る場面と、死んで亡霊となってから成就した恋への喜びの舞、両方を堪能してください。
(文 江口文恵)