銕仙会

銕仙会

曲目解説

雷電らいでん
もとは仲睦まじい師弟であった、法性坊僧正と菅原道真の対決。道真の怨霊が内裏を舞台に暴れまわる、スペクタクルの能。
作者 不詳
場所 前場:比叡山
後場:内裏
季節 秋八月(旧暦)
分類 五番目物 鬼物 太鼓物

 

登場人物
前シテ 菅原道真の霊 面:三日月など 水衣着流怪士出立(男の亡霊の扮装)など
後シテ 道真の怨霊(雷神) 面:顰など 顰出立(鬼神の扮装)
前ワキ 法性坊律師僧正 着流僧出立(一般的な僧侶の扮装)
後ワキ 沙門帽子僧出立(威儀を正した、高位の僧の扮装)
ワキツレ 比叡山の僧 着流僧出立
間狂言 下働きの僧 能力出立(下働きの僧の扮装)
※ただし、小書「替装束」がついた時など、扮装が変わることがあります。

概要

比叡山の法性坊(ワキ)のもとにある夜、菅原道真の霊(シテ)が訪れ、生前師弟であった二人は再会を喜ぶが、道真は雷神となって内裏に祟ること、そのとき参内の勅命があっても従わないで欲しいことを法性坊に告げる。法性坊がそれを断るや、道真は顔色急変して鬼の形相となり、柘榴を噛み砕いて火を吐くと姿を消してしまう。やがて法性坊が内裏に召されて祈祷をしていると、雷神となった道真の怨霊(後シテ)が現れ法性坊と戦うが、最後には法力に屈して去ってゆく。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

昌泰4年(901)、左大臣・藤原時平は、藤原氏の栄華を築き上げるため、政敵であった右大臣・菅原道真を讒言によっておとしいれ、筑紫国 大宰府へと左遷させた。道真は、無実の罪を神仏に訴えた甲斐もなく、延喜3年(903)2月、故郷を思い、我が身の不運を嘆きつつ、遠く大宰府で亡くなったのであった──。
それから数ヶ月の後のこと。比叡山延暦寺では、比叡山の長「天台座主」であった法性坊僧正(ワキ)が比叡山の僧たち(ワキツレ)を引き連れ、天下泰平の祈祷のために連日護摩を焚いていたが、今日がその最終日に当たるので、これから「仁王会」という法会を執り行うところである。
比叡山には月がくまなく照りそそぎ、寺の法灯も明らかに輝く、秋の夜であった。

2 シテが登場し、ワキと対話します。

そこに、一人の男(シテ)が現れ、寺の門を叩く。こんな山奥に人音のするはずがないと訝りつつ門を開けてみると、男はなんと菅原道真であった。不思議に思いつつも、法性坊は道真を迎え入れ、これは夢か幻かと、うちとけて世間話などをするのであった。
「あなたが筑紫で亡くなったという報せを聞いて様々に回向していた思いが届いたのでしょうか」という法性坊に、道真は感謝の意を述べ、生前仏法の師であった法性坊と、弟子であった道真との、師弟の仲の浅からぬことを思って感慨にふけるのであった。
──孤児であった道真を育ててくれた養父・菅原是清の恩。それは、まことの親子のようであった。その後、道真が学問の道に入り、法性坊を頼ってからは、道真の文才を法性坊も喜んでくださり、養父是清にも劣らず可愛がって下さった。その恩は、決して忘れません…。

3 シテは怒りをなし、鬼となって退場します。ついでワキ・ワキツレも退場します。

そのとき、道真はきりだした。「実は私が死んだ後、梵天や帝釈天に同情して頂いたので、雷となって内裏に飛び入り、自分を陥れた公卿たちを蹴殺そうと思う。そのときあなたは宮中に召されるだろうが、絶対に行かないでください」。しかし法性坊は、「一、二度なら断るが、もし召されること三度に及ぶならば、参内しないわけにはいかない」と答える。それを聞くや、道真は顔色急変して鬼のようになった。本尊に供えられていた柘榴をつかみ取って噛み砕き、扉に吐きかけると、柘榴はたちまち炎となって燃え上がる。法性坊は落ち着き払って印を結び、真言を唱えると炎は消えたが、その煙に紛れて道真の姿は消え失せてしまった。

4 間狂言が〔立シャベリ〕をし、退場します。

その後、都では道真の怨霊が猛威を振るい、案の定、法性坊に祈祷の勅命が幾度にもわたって下り、法性坊は参内することになった。法性坊に仕える下働きの僧(間狂言)はその準備を始めるよう、都に触れまわっている。

5 後ワキが登場し、怨霊を待ち受けていると、後シテが登場します。

宮中では、威儀を正した法性坊(後ワキ)が紫宸殿に座し、数珠を押しもみ『法華経普門品』を唱えて祈祷している。
そのとき、今まで黒雲で覆われ真っ暗闇であった内裏がにわかに晴れ渡ったので、法性坊が油断していると、突如ふたたび黒雲が空を覆い、稲妻が四方に閃きわたり、内裏は激しく揺れ動く。
…そのとき、雷神(後シテ)は姿を現した。

6 シテはワキとたたかい、シテが敗れてこの能が終わります。

法性坊は雷神に「昨日まで臣下であった身で内裏を荒らすとは不届きである」と言うが、雷神は「私を陥れた人々に思い知らせてやろう」といって黒雲に乗り、内裏のあちこちに雷を落としてまわる。稲光・稲妻がしきりに閃きわたり、帝の身も危険な状態となった。
しかし不思議なことに、法性坊のいる場所だけは雷神が恐れて近寄らない。紫宸殿・弘徽殿・清涼殿・梨壺・梅壺・昼の間・夜の御殿…と、雷神と法性坊の二人は行き違い廻り合い、激しく戦う。
法性坊が千手陀羅尼を唱えきると、さすがの雷神もこらえられず、「ありがたい仏法の力にあずかったうえ、天満大自在天神という神号を帝から頂いた上は、生前の恨みも死後には晴れて悦びとなった」と言うと、もうこれまでと黒雲に乗り、空高く飛び去って行ったのであった…。

小書解説

・替装束(かえしょうぞく)

この小書がつくと、シテは通常の演出とはことなる扮装になります。すなわち、前シテは中将、童子、慈童などの面をかけ、単狩衣(ひとえかりぎぬ)を着て指貫(さしぬき)をはきます。また黒頭に初冠(ういかんむり)を付けることもあります。黒頭で亡霊としての異様さを表しつつも、全体として平安貴族らしい扮装となり、菅原道真が在りし日の姿でやって来たことを強調する演出です。また後シテは獅子口などの面をかけて赤頭をつけ、袷狩衣(あわせかりぎぬ)を着て打杖(うちづえ)とよばれる短い杖を持ちます。恐ろしい鬼の姿の中にもかつて貴族であった面影が残り、またただの鬼ではなく、威厳ある、スケールの大きな鬼となります。全体として、通常の演出よりも一層この能の内容に即した扮装となる演出です。
また、この小書がつくと演技の面でも変化がおこり、より華やかに、ショー的な色彩がつよくなることがあります。
ただし、近年では小書をつけずともこういった替えの扮装・替えの型で上演する場合があり、舞台をより華やかに、よりショー的にするために様々な創意工夫が加えられているため、この小書の内容も流動的になっています。

みどころ

史実の菅原道真は、承和12年(845)、菅原是清の子として生まれました。菅原氏は代々漢学者を輩出する家柄で、道真も詩文を得意としました。中級貴族である菅原氏の出身でありながら、道真はその才能を発揮して宇多天皇の信任を得、異例の大出世を遂げて遂に右大臣の位にまで達しましたが、それを妬む人々も多く、左大臣・藤原時平の讒言によって遠く九州・大宰府に左遷されてしまうのでした。(一説には、宇多のあとを継いだ醍醐天皇と宇多上皇との確執に巻き込まれたとも言われています。) 道真はそのまま大宰府で亡くなりますが、その後京都では時平や皇太子たちの死、公卿に死者2名を出した内裏清涼殿への落雷、それに疫病などが起こったため、人々はこれを道真の怨霊の所為であるとしておそれたのでした。やがて道真の名誉は回復され、怨霊を鎮めるために京都に北野天満宮が建てられ、後には「天満大自在天神」という神号も贈られたのでした。
以上が歴史上の菅原道真ですが、後世、道真が神として祀られるようになると、さまざまな伝説が加えられていきました。道真はもともと孤児で、それを菅原是清が養父として育てたのだとする伝説(本曲の〔クセ〕にも説かれています)などがその一例で、道真が実は仏菩薩の化身であったのだとする信仰に基づいています。
 
能の成立した室町時代、道真の伝記・伝説はかなり人口に膾炙していたようで、たとえば鬼や荒ぶる神の役に用いられる能面「大飛出(おおとびで)」の口をカッと開いた形相は、本曲の前場にも描かれる、道真の霊が柘榴を噛み砕いて妻戸に吐きかけたときの表情をあらわしていると言われています(『申楽談義』)。道真にまつわる能も複数あり、本曲以外では、飛び梅の伝説をテーマにした「老松」などが有名です。
広く知れ渡ったこの天神さまの伝説をショーとして見せるところに、この能のねらいがあると言えましょう。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2017年5月)

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