銕仙会

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曲目解説

実盛さねもり
老骨の矜持。朽ち木になおも宿りつづける、武士の魂。
作者 世阿弥
場所 加賀国 篠原(かがのくに しのはら)
季節 仲冬
分類 二番目物 老武者物
「三修羅」の一つ(他に〈頼政〉〈朝長〉)
「三盛物(さんもりもの)」の一つ(他に〈通盛〉〈盛久〉)
登場人物
前シテ 篠原の里の老人 面:朝倉尉など 着流尉出立(老人の扮装)
後シテ 斎藤別当実盛の霊 面:朝倉尉など 修羅物出立(武将の扮装)
ワキ 遊行上人 大口僧出立(格式張った僧侶の扮装)
ワキツレ 従僧(二人) 大口僧出立
間狂言 篠原の里の男 長裃出立(庶民の扮装)

概要

念仏の指導者である遊行上人(ワキ)は、加賀国篠原で数日間の説法をしていたが、上人はいつも説法の前後に独り言をつぶやいており、聴衆の人々は不審に思う。実は毎日、老人がやって来て上人と会話していたのだが、その姿は上人以外には見えないのであった。今日もその老人(シテ)がやって来たので、上人は老人に名を名のるよう言うが、老人はなかなか名乗ろうとしない。実は老人は、かつてこの地の合戦で木曽義仲軍に討たれた平家方の武将・斎藤別当実盛の幽霊であった。夜、上人の前に錦の直垂を身にまとった実盛の幽霊(後シテ)が現れ、髪を黒く染めて出陣したこと、最期の戦に臨んで錦の直垂を平宗盛から賜ったこと、手塚太郎と死闘の末に討ち取られたことなどを語るのであった。

ストーリーと舞台の流れ

0 ワキ・ワキツレが音もなく登場し、最初からその場所にいるていで舞台に座ります。

1 間狂言が登場し、場面設定を説明します(〔狂言口開〕)。

平安末期、日本は源平の動乱のさなかにあった。木曽の山中から兵を挙げた源義仲の軍勢は進撃を重ね、加賀国篠原の地で平家軍を破ると、都へとなだれ込んでいったのだった…。
それから年月は流れ。激動の時代の面影はすでになく、篠原の里は平和を取り戻していた。
ここ数日、念仏の指導者である遊行上人がこの里を訪れ説法をしていたが、上人はいつも正午の説法の前後に独り言をつぶやくので、里の男(間狂言)たちは不審がっていた。男は、今日こそ上人にその理由を尋ねてみようという。

2 ワキ・ワキツレが説法をしていると、シテが現れます。

今日も、遊行上人(ワキ)の説法がはじまった。「極楽浄土は遠く離れた所にあるが、念仏を唱える者は漏らさず救いとって下さるという。思えば、易い道なのだ…。」
その説法の場へ、一人の老人(シテ)が聴聞にやってきた。「ありがたや、今日もお説法の座に紫雲がたなびいておる。鐘の音や念仏の声が聞こえてくる。老いの身ゆえ歩いてゆくのも難儀じゃが、せめてここからでも拝もうの。南無阿弥陀仏…。」

3 ワキはシテに名を名のるよう言いますが、シテは名乗ろうとしません。

老人を見つけた上人は声をかける。「毎日聴聞に来るのは大変殊勝だが、他の者にはそなたの姿が見えぬそうで、私が独り言を言っているように見えて皆不審しておる。名は何と申すか。」 しかし老人は答えない。「名のる程の者ではござらぬ。老いの苦の中、弥陀の本願にやっと出逢えて喜んでいたのに、この迷い多き娑婆の名を言えと仰るとは…。」
それもそうだが懺悔のためにも名乗れと諭す上人に、老人はそれならばと人払いを頼む。

4 シテは自らの正体を明かして消え失せます(中入)。

老人は語り出す。「昔、平家の侍 斎藤別当実盛は、この篠原で木曽義仲の軍に討たれて果てた。ご存じかの…。」 平家の戦物語を始めた老人に、早く名を名乗れと苛立つ上人。しかし老人は、意外な言葉を続ける。「その実盛の首はこの御前にある池で洗われた。その執心が残ってか、今もこの辺には幽霊が出るそうじゃて。かく言うこの老いぼれこそ…」
老人は、自分こそその実盛の幽霊だと明かすと、池のほとりで消え失せてしまった。

5 間狂言がワキに物語りをし、退場します。

そこへ里の男がやって来て、上人に独り言の理由を尋ねる。上人は事の顛末を語り、実盛の最期の様子などを男に尋ねる。上人は、先刻の老人は実盛の霊だったのだと確信する。

6 ワキ・ワキツレが弔っていると、後シテが登場します。

夜。西へと流れゆく月が、池の水面を照らしている。上人たちは実盛の霊を弔うため、別時念仏の法要を始める。やがて、念仏の声にひかれて、実盛の幽霊(後シテ)が姿を現した。「極楽に生まれた者は、永く苦しみの海から離れることができるとか。頼もしい、有り難いことじゃ。」 先刻の姿とは打ってかわって、身にまとうのは錦の直垂、黄金の太刀飾り。しかし宝石とて何になろう、救いの道に至る仏の教えこそが、真実の宝なのだ…。

7 シテは、自分が髪を黒く染めて最期に臨んだことを物語ります(〔語リ〕)。

──篠原の合戦の後、わしを討ち取った手塚太郎が木曽殿のもとへ帰り、首を見せつつ、「不思議な者を討ちました。大将のような、しかし下級の者のような、錦の直垂を着た関東訛りの者で、名乗れ名乗れと責めても遂に名乗りませんでした」と報告した。木曽殿はこの実盛のことと察したが、年の割に髪が黒いのを不審に思い、わしを見知っておる樋口次郎に見せた。樋口はこの池の水で首を洗うと、黒かった髪は真っ白になってしまったのじゃ。「実盛どのは、老いぼれと嗤われるのを不名誉に思い、白髪を墨で染めて若々しく討ち死にしたいものと、常々申しておりました」と、樋口は木曽殿に語るのじゃった…。

8 シテは、最期に身につけていた錦の直垂の由緒を語ります(〔クセ〕)。

──ところで、わしが錦の直垂を着ておったのはな。最期の戦に旅立つ折、主人の平宗盛様にこう申し上げたのじゃ。「故郷へは錦を着て帰るという諺がございます。北国出身のこの私、このたび北国での合戦で、しかもこれが最期となりましょう。老後の思い出に、錦をお許し下され」と。そうして、錦の直垂を賜ったのじゃ。それでわしは名を北国に挙げ、武士の名誉は末代まで残ることができた。これが、わしの懺悔の物語なのじゃ…。

9 シテは自らが討たれた様子を再現して見せつつ消えてゆき、この能が終わります。

物語りして懺悔すれども、いまだ逃れ得ぬ修羅の妄執。「木曽義仲と組もうとしたところを手塚めに隔てられた、そのときの無念は消えることがない…。あの時、まずかかってきたのは手塚の従者。奴を馬の鞍に押しつけ首?き切ったそのとき、手塚に二刀刺し通され、わしは手塚と組み合いつつ、馬からどっと落ちたのじゃった。老いぼれの悲しさよ、戦に疲れ力も尽きて、そうして遂に首を落とされ、この篠原の土となったのじゃ…」
そう言うと、後世の弔いを頼みつつ、実盛の幽霊は消えていったのだった。

みどころ

本作は、『平家物語』に基づき、平家方の武将であった斎藤別当実盛に焦点を当てて描いています。
平安末期。京都で政権を握る平家に対し、関東では源頼朝が、また木曽の山中からは源義仲(木曽義仲)が、それぞれ兵を挙げ、京都をめざして進撃を重ねていました。平家はこれらを迎え撃とうとしますが、最終的には力及ばず都を追われ、壇ノ浦で果ててゆくのです。
本作の主題となっている「篠原の戦い」は、まだ平氏が京都で政権を保ち続けていた頃、木曽義仲の上洛を阻止すべく平家が迎え撃とうとした戦いです。平家方は平維盛を大将として軍を組織しますが、その中に、実盛も従軍していました。
既に七十歳を過ぎていた実盛は、若い者たちと先陣を争うのも大人げない、また老いぼれた姿を人に嘲笑されるのも口惜しいと、髪や髭を墨で黒く染め、若々しい姿になって出陣したと、『平家物語』には描かれています。
老人とあなどられまいと髪を染め、最期を覚悟して錦の直垂を賜るなど、老武者の矜持(プライド)が、本作の主題となっています。
ところで、「実盛の幽霊が現れて、遊行上人から念仏を授かった」という本作の構想には、実はモデルがありました。
ちょうど世阿弥が活躍していた時期にあたる応永21年(1414)の5月11日、真言宗の高僧であり、室町幕府の政策顧問もつとめていた醍醐寺三宝院(さんぽういん)の僧 満済(まんさい)は、日記に次のように書き留めています。「斎藤別当実盛の幽霊が、加賀国の篠原に出現して遊行上人に出逢い、念仏を授かったという噂だ。去る3月11日のことらしい。(…)これが事実だとすれば、世にもまれなできごとである」。 このように、実盛の幽霊が出たという噂が当時京都で広まっており、世阿弥はその趣向を取り入れて本作を書いたと考えられています。
本作のワキであり、この京都に広まっていた噂でも実盛の幽霊と出逢ったとされる遊行上人(ゆぎょうしょうにん)とは、踊り念仏で有名な一遍上人の後継者のことで、代々「遊行上人」と称され、「他阿弥陀仏(たあみだぶつ:略して他阿)」と名乗っていました。一遍上人やその後継者である遊行上人が登場する能には他に〈遊行柳〉〈誓願寺〉などがあり、また〈当麻〉のワキも(明示はされていないものの)一遍上人・遊行上人的なイメージを濃厚にもつ人物として描かれいています。いずれの能でも格式ある立派な僧として造形され、普通の能のワキと比べて重い扱いになっているといえましょう。
本作では、そのワキに名を名のれと言われても、シテはなかなか名乗ろうとしません。これは実盛が最期に臨んで手塚太郎と戦ったとき、手塚が「名乗れ、名乗れ」と責めかけても遂に名乗らなかったことと対応しています。髪を黒く染め、若々しく戦に臨んだ実盛は、最期までその矜持を貫き通したのでした。その矜持が前シテの言動にもあらわれているのであり、ひとくせもふたくせもある人物として、本作のシテは描かれているのです。

(文:中野顕正)

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(最終更新:2017年5月)

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