銕仙会

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曲目解説

実盛(さねもり)

◆登場人物

前シテ 老人  じつは斎藤実盛の霊
後シテ 斎藤実盛の幽霊
ワキ 遊行上人(ゆぎょうしょうにん)
ワキツレ 随行の僧 【2‐3人】
アイ 土地の男

◆場所

 加賀国 篠原(しのはら)の里  〈現在の石川県加賀市篠原町〉

概要

諸国に念仏の教えを弘めて旅する遊行上人(ワキ)が、加賀国篠原を訪れた折のこと。数日間の説法のさなか、一人の老人(前シテ)が、毎日熱心に聴聞に来ていた。ところが、他の者には彼の姿は見えないというので、ある日、上人は彼に名を尋ねる。なかなか名乗ろうとしない老人。彼は、いにしえ源平合戦で戦死した斎藤実盛の話題を始めると、自分こそその実盛の霊だと明かし、姿を消すのだった。
その夜。上人が彼の菩提を弔っていると、実盛の幽霊(後シテ)が現れた。その身に似合わぬ錦の直垂をまとい、老体ながらも若やいだ様子の実盛。彼は、武名を重んじる心ゆえに髪を黒く染めて出陣したこと、最期の戦に臨んで錦の直垂を下賜されたことを明かし、生前への執心を懺悔する。実盛は、木曽義仲と直接戦うことの出来なかった未練を明かすと、手塚太郎との死闘の末に討ち取られたさまを語り、廻向を願うのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 アイが登場します。

一遍上人の教えを受け継ぎ、人々に念仏を勧めて諸国を旅する、時衆教団の指導者・遊行上人。ここ数日、上人一行は、加賀国 篠原の地へと教えを弘めに訪れていた。ところが上人は、いつも正午の法要が終わると、何やら独り言を呟いている様子。その様子を不審がった一同は、世話役の里の男(アイ)に命じ、今日の法要が終わるのを待って様子を尋ねに行かせることとした。

2 ワキ・ワキツレは、仏の教えを説きます。

やがて、正午の法要が始まった。従僧たち(ワキツレ)を引き連れ、高座に上がった遊行上人(ワキ)。「極楽浄土は、遥か遠くにあると人は言う。しかし、お念仏さえ唱えるならば、今のこの世とて仏国土に異ならぬ。いかなる人をも救おうとの、阿弥陀仏の誓い。それは、仏恩を知る人も知らぬ人も、いずれも洩れぬ救いの網なのだ。そんな人々を救うべく、今日もまた、教えを弘めようではないか…」。

3 前シテが登場します。

そこへ現れた、一人の老人(前シテ)。「ああ、有難いこと。今日もまた、ご法要の場に紫雲が懸かっている。今はちょうどお説法の時刻。立ち坐りも難儀な老いの身、しかも視界は霞んで歩くことすらままならぬ。しかし思えば、もとより極楽はすぐそこにあるのだと聞く。近づくことは叶わずとも、せめてここから拝聴しよう。南無阿弥陀仏…」。

4 ワキは、前シテに名を明かすよう告げます。

今日もやって来たこの老人へ、声をかける上人。「毎日聴聞を怠らぬ、信心深い貴殿の様子。ところが、他の者には貴殿の姿は見えないという。貴殿はいったい何者なのだ」 しかし老人は、その返答をはぐらかす。長い人生の果て、仏の救いにやっと出逢えた私へ、苦しみのこの世での名を思い出せとは、あまりに無慈悲なお言葉よ…。そう言い渋る老人へ、なおも名乗るよう諭す上人。その言葉に、老人は名を明かすべく、人払いを頼む。

5 前シテは、自らの正体を明かして姿を消します。(中入)

「昔、平家の侍・斎藤実盛は、この地で木曽軍と戦い、命を落としました——」 唐突に源平合戦の昔物語を始めた老人。またもや話を逸らされたと上人は苛立つが、老人は意外な言葉を続ける。「その実盛の首は、ちょうどこの御前の池で洗われました。その執心が残ってか、今も幽霊が現れるとやら…」 身の上のように語る老人。彼は、自分こそその実盛の執心だと明かすと、自らの名の露見することを恥じつつ、姿を消すのだった。

6 アイは、ワキに物語りをします。

そこへやって来た里の男。上人は、実盛の最期の様子などを男に尋ねる。男の語る言葉に耳を傾けていた上人。上人は、先刻のできごとを男に語ると、人々から独り言に見えていた霊との対話について真相を明かすのだった。

7 ワキ・ワキツレが弔っていると、後シテが出現します。

その夜。上人は、池水を照らす月光の下、実盛の霊を弔う別時念仏の法要を開始した。
人々の唱和する、念仏の声。やがてその声に導かれ、実盛の霊(後シテ)が姿を現した。「極楽に生まれ、苦しみの故郷を離れた者の、喜びの心はいかほどか。浄土を思い続ける一瞬一瞬こそが、往生のときに他ならぬ。『南無阿弥陀仏』と唱えたまさにその時、極楽往生は叶うのだ——」。

8 後シテは、ワキと言葉を交わします。

池の水面に現れた、先刻の老人。その姿は、鎧兜を身にまとった、先刻とはうって変わっての勇ましい装いであった。中でも鮮やかに映えるのは、その身に似合わぬ錦の直垂。
「しかし、修羅の苦しみに苛まれ続ける今、そんな豪奢な姿とて、いったい何の役に立とう。浄土の池に咲く蓮の花こそ、我等が願うべき真実の宝なのだ——」。

9 後シテは、懺悔として合戦の記憶を語ろうと告げます。

「あらゆる迷いを振り捨て、執心を残してはならぬ。在りし日の行いを懺悔すること、それは昔を忘れかねて、懐かしんでいるように見えるかもしれない。しかしそれでも、まさに今、この物語を明かす時が来たのだ…」 実盛は、合戦の記憶を語り始める。

10 後シテは、自分の首が木曽義仲のもとへ届けられた折のことを語り始めます。

「篠原合戦の後、木曽殿のもとへ帰った手塚太郎は、不思議な者を討ったと報告した。大将かと見れば従者はなく、下級の侍かと見れば豪奢な錦の直垂を着た、関東訛りの言葉を話すその武者。その者は、いくら名を尋ね責めても、遂に名乗らなかったという。その報告に、木曽殿は、さては実盛よと気づいたのだ——」。

11 後シテは、合戦に際して髪を黒く染めたことを明かします。

——しかし、年齢に似合わず髪が黒いのを不審がった木曽殿は、私をよく知る樋口次郎に尋ねた。その下問に応え、樋口は明かす。じつは実盛は、武名を重んずる心から、年老いては髪を黒く染めて戦いたいと、常々口にしていたのだった。そう明かし、私の首をこの池で洗った樋口。すると墨は流れ落ち、髪はもとの白髪となった。名誉を重んじた私の行いに、見る人々はみな涙を流したのだった…。

12 後シテは、錦の直垂の由来を語ります(〔クセ〕)。

——ところで、錦の直垂を着たことには理由があった。『故郷へは錦を着て帰る』とは古人の言。北国出身のこの身、しかも今度の北陸の合戦は、私の最期の戦となるだろう。どうか老後の思い出に、錦をお許し頂きたい…。戦に旅立つ折、主人の平宗盛公へ、私はそう申し上げたのだ。こうして、赤地の錦の直垂を下賜された私。北国の戦に名を挙げた私は、武士としての名誉を、末代にまで残すことが出来たのだ——。

13 後シテは、自らの最期の様子を再現し、廻向を願いつつ消えてゆきます。(終)

懺悔してなお未だ免れ得ぬ、修羅の妄執。「木曽殿と組もうとした所を、あの手塚めに隔てられた。その時の未練は、今なお消えることがない…。まず挑んできた奴の従者を打ち破り、手塚と戦った私。二刀刺し通されても怯まず組み合っていたが、老いの身の悲しさは、戦疲れのままに組み伏せられ、遂に首を落とされてしまった。そうして、この篠原の土となったのだ——」。
そう明かした実盛。彼は、後世の弔いを願うと、そのまま姿を消すのだった。

(文:中野顕正  最終更新:2023年09月13日)

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