銕仙会

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曲目解説

千手(せんじゅ)

◆別名

 千寿(せんじゅ)  ※他流での表記。


◆登場人物

シテ 遊女 千手前(せんじゅのまえ)
ツレ 平重衡(たいらのしげひら)
ワキツレ 源頼朝の家臣 狩野宗茂(かのむねもち)

◆場所

 相模国 鎌倉 狩野宗茂の館  〈現在の神奈川県鎌倉市〉

概要

一ノ谷合戦の後。平重衡(ツレ)は捕虜となり、鎌倉の狩野宗茂(ワキ)の館に拘留されていた。そこへ今日もまた、彼の世話をすべく、遊女・千手前(シテ)が訪れる。重衡の心を慰めるため、源頼朝の計らいによって遣わされてきた彼女。彼女は、「重衡の出家の望みは叶わない」との頼朝の言葉を伝える。今の境遇を嘆く重衡に、千手は懸命に寄り添いつつ、慰めの言葉をかけるのだった。
やがて、宗茂の差配により、重衡の徒然を慰めるための酒宴が始まった。重衡の後生善処を願って朗詠を謡い、舞を舞って彼の心を慰める千手。それは、二人が心通わせる、束の間のひとときであった。しかし夜明けとともに、重衡は都へと召し還されてゆく。こうして、二人は今生の別れを告げるのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

源平合戦のさなか。かつて平家の中枢にいた平重衡は、去る一ノ谷合戦で捕虜となり、鎌倉に拘留されていた。源頼朝は家臣の狩野宗茂に命じて彼を丁重にもてなさせ、さらに彼の世話をさせるべく、千手前という遊女を遣わしていた――。
そんなある日。物寂しい雨の中、宗茂(ワキ)は重衡の心を慰めようと、酒宴の準備を始めるところである。

2 シテが登場します。

そこへ、今日もまたやって来た千手前(シテ)。「栄枯盛衰は世の理。栄華の昔にひきかえ、今は寄る辺なき境遇の、重衡さまの哀れな身の上。しとしとと降る今日の雨は、そんなあの方の涙のすがた。ひっそりとした夕暮れの風情に、心の花もわが袖も、ともに萎れてゆくのですね…」。

3 ツレは愁嘆の言葉を述べます。

一方、館の中では重衡(ツレ)が、雨の風情を眺めつつ、ひとり物思いに沈んでいた。「昔、唐土の蘇武(そぶ)は囚われの身となり、艱難辛苦の日々を過ごしたが、やがては故郷への帰還を果たすことが出来たという。それに引き換えこの私は、今日が最期となるかもしれぬ。ああ、この世とは何と儚いこと…」。

4 シテは、ツレのもとへ通されます。

そこへ届いた、千手来訪の報せ。物思いに沈むあまり、今日は会いたくないと返答する重衡。しかし、今日千手がやって来たのは、頼朝の命によるものであった。重衡を慰めるべく琵琶と琴を持参した彼女を、宗茂は館の内に入れてやる。
通された千手の目に映る、漂うばかりの重衡の風情。それは、遥か東国へ遷されてなお消えることなき、都人の面影なのであった。

5 シテはツレと言葉を交わします。

かねて出家の望みを頼朝に伝えていた重衡。しかし、千手の懇ろな口添えも空しく、返答は非情なものだった。『朝敵たる重衡を、独断で出家させることは出来ない』——その言葉に、重衡は嘆く。「合戦で死に損ない、こうして生き恥を晒すのも前世の報い。それにもまして、大仏を焼き、人命を奪った現世の罪よ…」 身の果てを嘆く重衡と、それを懸命に慰める千手。重衡は今の境遇を悲しみつつ、千手を心の支えとするのだった。

6 酒宴がはじまり、シテは舞を舞い始めます(〔イロエ〕)。

やがて、酒宴の支度を調えた宗茂が、二人の前に酒を運んできた。酌をする千手と、それを受ける重衡。心と心の通いあう、束の間のひととき。
千手の吟じる、朗詠の謡。もはや現世に望みはないと述べる重衡へ、彼の後生善処を願いつつ、千手は謡う。『限りなき罪を犯した者も、弥陀は浄土へ迎え摂(と)る——』。

7 シテは、重衡の半生を思いつつ謡い舞い(〔クセ〕)、さらに〔序之舞〕を舞います。

——平清盛の子と生まれ、深く愛されて育った重衡。しかしその彼も、平家の運命に巻き込まれてゆく。遁れるすべもなく、合戦で生け捕りにされた彼は、死に損ないの身のままこの鎌倉へ。そんな絶望の淵にいた彼へ、昔の人間らしい心を取り戻させたものこそ、千手との出会いであった。彼を慰める千手の姿、それはまるで、四面楚歌のなか項羽に従い続けた虞美人のよう。重衡の心に寄り添い続ける、彼女の舞い姿なのであった…。

8 酒宴が終わり、シテとツレは今生の別れをします。(終)

少し心の晴れた重衡は、琵琶を引き寄せ、演奏し始める。それに和して琴を弾く千手。二人の奏でる音楽の調べも心地よい、春の短か夜。しかし、そんな夜もほのぼのと明けてゆき、束の間のうたた寝も終わりの時刻を迎えてしまう。
勅命により、再び都へ遷されることとなった重衡。去りゆく重衡、見送る千手。それは、見るも哀れの別れであった——。

(文:中野顕正  最終更新:2021年06月15日)

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