銕仙会

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昭君(しょうくん)

◆登場人物

前シテ 王昭君の父・白桃(はくどう)
後シテ 呼韓邪単于(こかんやぜんう)の幽霊
ツレ 王昭君の母・王母(おうぼ)
子方 王昭君の幽霊
ワキ 里人
アイ 土地の男
※王昭君は、ツレがつとめる演出もあります。

◆場所

 唐土 かうほの里 王昭君の実家

概要

古代。強大な北方民族との間に停戦の和議を結んだ中国は、その証として、一人の女性を北の地へ送ることとなった。官女たちの似絵を提出させ、最も容姿の醜い者を選べとの勅命。しかし、絵師へ賄賂を贈らなかった王昭君は、宮廷随一の美貌でありながら醜く描かれてしまい、北へ送られることに。故郷を去る折、形見として実家の庭に柳を植え置いていた昭君。以来、彼女の老父(前シテ)と老母(ツレ)は、柳の木蔭を掃き清めつつ、遠い異国へ赴いた娘を恋い慕い続けていた。
老夫婦は、恋しい人の面影を映すという鏡の徳を思い出し、柳の枝に鏡を懸ける。すると鏡面には、既に亡くなっていた王昭君の霊(子方)と、昭君の夫である北方民族の大将・呼韓邪単于の霊(後シテ)が浮かび上がるのだった。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキが登場します。

唐土 かうほの里。この里に、王昭君という美しい娘がいた。その噂は皇帝の耳にまで届き、宮中に召されて帝の寵愛を受ける。ところが、とある事情から、昭君は北方民族のもとへ嫁がされることに。後に残された昭君の老父母は、悲嘆の日々を送っていた——。
そんなある日。この里の男(ワキ)は、そんな夫婦を慰問すべく、昭君の家を訪れる。

2 前シテ・ツレが登場します。

その頃。昭君の父・白桃(前シテ)は、妻の王母(ツレ)とともに、異国の地へと送られた娘の身を案じていた。宮廷に仕えるあまたの女性の中から選ばれ、遥かの旅路へと赴いた昭君。供をする官人たちは馬上で琵琶を演奏し、道中の徒然を慰めたという。「春の柳のように、鮮やかに照り映えていた昭君の眉墨。しかし春が暮れゆく今、それも色褪せたことだろう…」 乱れる思いのまま、夫婦は、庭の木蔭を掃き清めようと言う。

3 前シテ・ツレは、庭の木蔭を掃き清めます。

苦しい心の内ながら、箒を手にした老夫婦。時刻は夕暮れどき。肌寒い風が吹きすさぶなか、北方へと旅立っていった娘を偲び、二人は木蔭の塵を掃く。「つらい思いが胸中にわだかまり、袖をぬらす涙は払う間もない。しかし思えば、花や紅葉は風に散るも、水には浮かび留まるもの。そのようにこの涙も、今しばし、袂に留めておこう…」 露に宿る月影に、二人は、わが子の姿を幻視するのだった。

4 ワキは前シテと言葉を交わし、前シテは柳の由来を語ります。

夫婦を慰問する里の男。聞けば、この庭の柳は、昭君が北方へと送られるに際して植え置いていった木。その折、昭君はこう言い遺していた。『私が北の地で亡くなったならば、その時、この柳も枯れるでしょう——』。
涙にむせびつつ、柳の由来を語る夫婦。見れば、片方の枝は既に枯れていた。

5 前シテは、昭君が北方へと送られた経緯を語ります(〔クセ〕)。

——強大な北方民族へ、中国は和睦を結ぶ証として、女性を一人送ることに。皇帝は、女官たちの姿を襖に描かせ、容姿の劣る者を選んで送るよう命じた。それを聞いた女官たちは、美しく描いてもらえるよう、皆が絵師に賄賂を贈る。ところが昭君は、類なき美貌と帝の寵愛を頼んでか、ただ悠然と構えていた。結果、醜い姿に描かれてしまった彼女。帝も私情を差し挟むわけにはゆかず、そのまま昭君が選ばれてしまったのだった…。

6 前シテは、柳の枝に鏡を懸け、泣き崩れます。

悲しみに沈んでいた老父。彼は、あることを思い立つ。「昔、仙女と契りを交わした男がいた。仙女が亡くなった後、彼が桃の花を鏡に映したところ、そこには仙女の姿が現れたという。この形見の柳を鏡に映し、昭君の姿を見ようではないか…」 恋しい人の姿が映るという、鏡のちから。老父は、鏡を柳の枝に懸けると、娘を慕う思いの余り、その場で泣き崩れてしまうのだった。

7 アイは、前シテを家の中へ送り届けます。(中入)

すっかり意気消沈してしまった老父。その姿を見かねた里人(アイ)は、彼を介抱し、家の中へと送り届ける。人々は、そんな夫婦の様子に涙するのだった。

8 子方が出現します。

やがて——。鏡の中に、一人の人影が浮かび上がった。それこそ、かの王昭君の幽魂(子方)。既にこの世を去っていた彼女の魂は、柳の木のもとで泣き崩れる両親の姿に心を痛め、こうして故郷へと帰ってきたのだった。鏡の面に姿を顕わした彼女。それは、春の夜の朧月のごとき、淡く儚い姿であった。

9 後シテが出現します。

そこへ浮かび上がった、もう一つの影。それは、異国の地で昭君の夫となった、北方民族の大将・呼韓邪単于の幽霊(後シテ)であった。人の身でありながら、さながら冥途の鬼のごときその風貌。恐ろしがる老母へ、単于は言う。「昭君とともに、私も既に空しくなりました。義父母への対面のため、こうしてやって来たのです——」 鬼の姿となったことに、気付いていない様子の単于。彼は老母に促され、鏡に自らの姿を映す。

10 後シテは鬼形のさまを示し(〔舞働〕)、鏡の徳が讃えられます。(終)

鏡に映った影。それは、天へと逆立った髪を蔓草で束ね、耳には鎖を下げた、冥府の鬼の姿であった。恥じ入る単于。それにひきかえ、彩りを湛えた昭君の眉墨は、鏡にも鮮やかに照り映える。花のごとき風情や、三日月にも似た淡い輪郭。鏡には、そんな二人の姿が克明に顕われた。
真実を映し出す鏡。これこそが、曇りなき人の心に他ならないのである。

(文:中野顕正  最終更新:2025年02月17日)

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