銕仙会

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曲目解説

卒都婆小町そとわこまち

かつての面影は消え失せ、げっそりと痩せこけた老残の小野小町。美貌を誇っていた頃の名声と罪は今なお彼女を苦しめる。〈百年〉という人生の全てを背負って生き続けなければならない、一人の人間の盛衰の記憶。

別名

他流では「そとばこまち」と読む
古称《小町》

作者

原作:観阿弥
改作:世阿弥

場所

不詳 (ワキ方の流儀により阿倍野または鳥羽)
本来の設定では高野山付近か

季節

晩秋

分類

四番目物 特殊物
「老女物」の一つ (他に《鸚鵡小町》《姨捨》《檜垣》《関寺小町》)

登場人物

シテ

百歳の小野小町

面:姥など 水衣女出立(賤しい女の扮装)
〔物著〕で水衣を脱ぎ、烏帽子・長絹をつける

ワキ

高野山出身の僧

着流僧出立(一般的な僧侶の扮装)

ワキツレ

同伴の僧

着流僧出立

概要

高野山での修行を終えた二人の僧(ワキ・ワキツレ)が道中を急いでいると、そこに一人の老女(シテ)が現れる。卒都婆(そとば)に腰を掛けて休む彼女を二人は見咎め、立ち去らせようと説教をはじめるが、老女は意外にも弁舌鮮やかに反論し、かえって二人を屈服させてしまう。実はこの老女こそ、かつては美貌と才覚を誇った小野小町のなれの果てであった。小町は華やかな昔に引きかえての今の零落ぶりを語っていたが、にわかに狂乱し、小町に恋慕しながら亡くなった深草少将の執心のほどを語り始める。それは、少将の怨念が小町の体に取り憑いたものであった…。

ストーリーと舞台の流れ

1 ワキ・ワキツレが登場します。

薄もやのかかる、真言密教の霊地・高野山。その山路を下ってゆく、二人の僧(ワキ・ワキツレ)がいた。高野での修行を終えた二人は、自信に満ちた面持ちで、さらなる修行の旅へと赴くところであった。「釈迦は既に亡く、次に仏陀となる弥勒は未だ目覚めぬ、暗黒のこの世の中。その中にあって逢い難き仏法に出会えた今、われらが目指すのは真実の教えのみ。さあ、悟りの道へと急ごうではないか」。

2 シテが登場し、卒都婆に見立てた葛桶(かずらおけ)に腰を掛けます。

そこに現れた、一人の老女(シテ)。汚ならしい衣に身を包んだ彼女は、杖にすがりつつ、とぼとぼと歩を進める。「昔は美貌に満ちていた身。しかし今や、賤しい女にさえ穢らわしく蔑(さげす)まれる始末。世間に恥をさらしながら、命ばかりは長らえる日々…」。
人目を恥じ、夜の道をゆく老女。やがて彼女は、老体に似合わぬ長旅の疲れから、道のほとりの朽ち木に坐り込んでしまう。

3 ワキ・ワキツレはシテと言葉を交わします。

ところが、なんとこの木は卒都婆であった。仏道への情熱に燃える二人はこれを見咎めると、難解な仏教教理を振りかざし、この忌まわしい乞食婆を立ち去らせようとする。ところが意外にも、老女は二人の攻撃を受け流し、そればかりか弁舌鮮やかに反論しはじめる。そうして遂に、老女は二人を論破してしまうのであった。
降参した二人。老女は追い撃ちをかけるように、戯れに歌を詠み聞かせる。『仏の世界ならば問題でしょうが、ここはそのそと、卒都婆に腰をかけても構いますまい――』。

4 シテは自らの正体を明かし、現在の零落ぶりを見せます。

満足げに去ってゆこうとする老女。僧は彼女を呼び止め、名を明かしてくれと言う。
ためらいながらも口をひらく老女。実は彼女こそ、かつては美貌と才覚によって世の男たちを虜にした、小野小町のなれの果てであった。輝くばかりであったかつての面影は既になく、今や朽ち果てた彼女の姿。垢まみれの衣に飯袋をぶらさげ、物乞いをして歩いている。施しを得られぬ時は癇癪を起こし、狂気の姿となるのであった――。

5 シテは物の怪に取り憑かれ、狂乱の姿となります。

その時、にわかに声色が変わり、彼女の様子がおかしくなる。「小町のもとへ、ああ、小町のもとへ行きたい…。それはそれは美しい彼女。幾多の男たちから恋文を受けながら、ついに一言も返事をしなかった。その報いが、百歳の今となって身に降りかかるのだ…」。
どうやら、小町の体に物の怪が取り憑いたらしい。「多くの男たちの中でも、とりわけ執念深き深草少将の恨み。…そうだ、今夜もまた、小町のもとへ通おう」。

6 シテは烏帽子・長絹を身につけ、深草少将の百夜通いを再現します。

――小町のもとへ向かう、深草少将。人目を忍び、夜道をゆく。ある時は月夜、またある時は闇夜。雨に打たれ、強風吹きつける日も、少将はひたすら通い続ける。秋は終わり冬が訪れ、日数は積もって、とうとう九十九夜目を迎えたのだった…。
「ところがその夜、にわかに起こった胸の苦しみが少将を襲う。百夜までたった一夜を残し、あえなく息絶えた深草少将。…それこそが、この物の怪の正体なのです」。

7 結末としてこの物語の教訓が明かされ、この能が終わります。

いま明かされる、悲劇の物語。それというのも、小町の驕慢と少将の妄執が生んだ、因果の報いなのであった。この顛末を思うにつけても、これを見る世の人々は、身を慎んで後世を願うべきである――。

みどころ

本作のシテである小野小町は、平安時代前期頃の女流歌人で、六歌仙の一人に数えられる著名な人物です。そうした名高き人であるゆえ、〈小野小町は若き頃は美貌に誇っていたが、年老いて零落してしまった〉とする物語が後代に作られ、語り継がれるようになってゆきました。その代表例が『玉造小町壮衰書』です。この作品は、玉造小町という美貌の女性が年老いて零落してしまった様子を描いた作品ですが、能楽の成立した中世にはこの主人公・玉造小町を小野小町の別名だとする理解がなされ、小町伝説が作られてゆく上で重要な役割を果たしました。本作の上記「2」や「4」の場面にも複数引用され、本作の小町像が描かれる上でもきわめて大きな影響を与えています。

本作では、こうした〈年老いて零落した小町〉のイメージの他に、もうひとつ〈深草少将の百夜通い〉の故事が取り入れられています。これは能《通小町》にも描かれているもので、おおよそ次のような物語となっています。

――小野小町に恋をした深草少将。小町は少将に、「百夜のあいだ毎晩通い続けることが出来たならば、そのときは少将の思いを受け入れよう」と難題を出す。雨の夜も雪の夜も、ひたすら通い続ける少将。ところが、あと一夜という九十九夜目の晩、彼はにわかに苦しみだし、そのまま帰らぬ人となってしまう。少将の執心は小町に憑き祟り、彼女は驕慢の報いを受けることとなったのだった…。

本作では、この二つのイメージを結びつけることで、少将の執心ゆえに死ぬこともできず苦しみ続ける小町の残酷な運命が描き出されています。

本作は、観阿弥の手になる原作をその子の世阿弥が改作したものであることが知られています。世阿弥の芸談集『申楽談儀』によれば、観阿弥原作時には上記「2」の場面が今よりも長大であったといい、また終曲部に玉津島明神(和歌の神)の使いの烏が出現する展開でした。その台本じたいは残っていないため、具体的にどのような内容だったのかを知ることはできませんが、おそらくは小町の祈りに応じて神の使いの烏が出現し、それによって何らかの救済がもたらされる、というハッピーエンド的な内容であったと推測されます。

世阿弥改作においては、そうした明るい結末を削ぎ落とし、少将に責め苛まれる小町の苦しみに焦点を絞ったことで、百年の人生の全てを背負った小町の盛衰のさまを描き出す作品となったといえましょう。

落ちぶれたシテ・小町を前にして往時の彼女の美貌が謡われ、深草少将の執心は他ならぬ彼女自身に取り憑いて思いの丈を述べる…。そんな、百年を生きた小町の人生の皮肉が、この作品では鮮やかに描き出されています。

(文:中野顕正)

(最終更新:2017年7月)

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