大和国
その山の麓に、
作者 | 世阿弥 |
場所 | 大和国 |
季節 | 仲春 旧暦2月15日、しかも彼岸の中日にあたる日 |
分類 | 五番目物 女菩薩物 |
前シテ | 老尼(阿弥陀仏の化身) | 面:姥 尼出立(尼僧の扮装) |
後シテ | 面:増など 天冠舞衣大口出立(菩薩・天女などの扮装) | |
ツレ | 女(観音菩薩の化身) | 面:小面など 唐織着流女出立(一般的な女性の扮装) |
ワキ | 念仏僧 | 大口僧出立(やや格式張った僧侶の扮装) |
ワキツレ | 念仏僧(2-3人) | 大口僧出立 |
間狂言 | 当麻寺門前の男 | 長裃出立(一般庶民の扮装) |
大和国
その山の麓に、
僧は二人に声をかけ、この寺の由緒を尋ねる。老尼は、僧を曼荼羅制作の旧蹟へと案内する。「この池は、蓮糸を濯いで五色に染め上げた“染殿の井”。この桜はその糸を掛けて乾した木。その功徳によって、この花はひときわ鮮やかに、蓮の色に咲くのですよ…」
清らかな池と、美しい木。それはあたかも、宝池と宝樹に飾り立てられた極楽浄土の姿。空には雲がなびき、木々の花や若葉が照り映える。五色の糸の曼荼羅さながらのこの光景の中で、吹き抜けてゆく風までもが、西方浄土へと人々をいざなっているよう…。
老尼は、曼荼羅の発願者・中将姫の故事を語りはじめる。
――奈良時代。生来信心深かった中将姫は、生身の弥陀に会いたいと願ってこの山の草庵に籠もると、ひたすら修行に明け暮れていた。ある夜、いつものように修行していた姫がふと顔を上げると、そこには一人の老尼の姿。「呼ばれたのでやって来た」と言う尼に、呆然とする姫。「『南無阿弥陀仏』の声以外には一言も発していないのに…」と訝るが、何と、尼は「それこそ我が名よ」と答える。この尼こそ、姫が願ってやまなかった、生身の阿弥陀仏なのであった…。
物語を語り終えた老尼は、この寺で法事を営もうと言う。実はこの二人こそ、いにしえ中将姫に曼荼羅を織り与えた、阿弥陀仏と観音菩薩の化身なのであった。
時しも彼岸の中日。真西に沈みゆく太陽が、当麻の里を紅色に染め上げる。遙かなる西の彼方へと続いてゆく、まっすぐに延びた光の道。その光に照らされて、老尼と女は去ってゆく。天より花降り音楽聞こえ、芳香たちこめる中、二人は二上の峯を登ってゆくと見えたが…、そのまま紫雲に乗り、西の空へと消えてしまうのだった。
そこへ、門前に住む男(間狂言)が通りがかった。男は僧に問われるまま、中将姫の故事を語りはじめる。
――右大臣の娘と生まれた中将姫。しかし幼い時に母と死別し、その後やって来た継母からは執拗ないじめを受ける。
その夜。僧たちが更なる奇瑞を見ようと祈りを捧げていると、辺りに妙なる音楽が聞こえてくる。西の空、二上山の二つの頂の間から、清らかな光がさしてきた…。
やがて、その光に包まれて、今や菩薩となった中将姫(後シテ)が現れた。生前、『称讃浄土経』一千巻の書写を成し遂げ、偽りなき心で仏を念じていた功徳により、極楽の蓮の
『弥陀の光は全宇宙を遍く照らし、仏にすがる者を決して見捨てはしない』。そうは言っても余りに有難い教えゆえ、信じることもまた難しい。「疑うなかれ、信じなさい。ひたすら頼み、ひたすら信じ、一心不乱にすがるのです。心乱すな、乱れてはなりません…」
姫は、手にしていた経典を広げ、高らかに読み上げる。『教えを弘め難い、穢れ多きこの世界。そこに生きる人々を救うべく、私はあえて、こうして教えを説くのです――』。
中将姫によって説かれた、人々を救う浄土の教え。姫は経典を僧に伝授すると、浄土を讃嘆して舞を舞う。
やがて、月は西の山へと沈んでゆき、東からは日輪が、新しい朝の到来を告げる。仏が見せた奇蹟の夢、その夜はほのぼのと明けていったのであった…。
上記「7」の場面では、後シテ・中将姫の登場に際して〔
なお近年では、この「二段返」の演奏にあわせて、揚げ幕を半分ほど巻き上げ、まもなく出現する後シテの姿をかすかに見せる演出(「半幕」)が多く行われています。
本作は、奈良県 当麻寺の本尊「当麻曼荼羅」の成立にまつわる物語、いわゆる「中将姫説話」を舞台化した作品です。
当麻曼荼羅は、浄土経典のひとつ『観無量寿経』に説かれた極楽浄土のすがたや極楽往生のための修行法のあり方を絵画化したもので、中国 唐で作られ、奈良時代に日本へ伝えられたものです。この曼荼羅における『観無量寿経』の世界の描かれ方が、
そうして生まれた曼荼羅完成の物語は、次のような内容となっています。
――奈良時代。右大臣の娘であった中将姫は、浄土を深く信仰するあまり当麻寺に籠もり、『称讃浄土経』を一千巻書写するなど、修行に明け暮れていた。そんなある日、姫の前に一人の老尼が現れ、「浄土の姿を拝みたければ、たくさんの蓮の茎を集めよ」と告げる。尼は、集められた蓮の茎から繊維を繰り出し、糸をつむいでゆく。そうして、新しく掘った井戸で濯ぐと、糸は自ずと五色に染め上がるのだった。
その日の夕方、今度は一人の女が現れ、その糸を請い受けると、それを
機 にかけ、浄土の様子を織り上げてゆく。わずか一晩の間に、光輝くばかりの曼荼羅が完成したのだった。老尼は曼荼羅を姫に与えると、自らの正体を明かし、紫雲に乗って西の空へと消えてゆく。実は老尼は阿弥陀仏、先刻の女は観音菩薩の化身なのであった。その後。仏の道を保ち、清らかな行いを貫いた姫は、念願叶い、極楽往生を遂げたのであった…。
本作では、上記「4」の場面でこの中将姫の故事に触れられ、中将姫が念仏のちからによって救済されるに至る物語が語られます。罪障多き女人の身と生まれながら、清らかな行いを保ち続けて遂に救済を得た中将姫。そんな彼女の高潔な宗教心に貫かれた、法悦の舞台が繰り広げられます。
本作の後場では、シテ・中将姫は生前に書写した『称讃浄土経』のうちの一巻を携えて登場し、上記「8」の場面でそれを高らかに読み上げ、ワキ僧に託します(但し実際に読み上げられるのは『称讃浄土経』ではなく、それと同じ内容の説かれた『阿弥陀経』の文句)。この、中将姫が一千巻書写したとの伝承をもつ『称讃浄土経』の経巻は現実に存在しており、実際には奈良時代の光明皇后四十九日法要の際に大量書写されたもので、それが後代に中将姫自筆という伝承をもつに至ったものと考えられています。これらの経巻は、中世にはきわめて尊重され、そのうち数点は現在に至るまで大切に伝えられています。
本作のワキには、法然上人の曽孫弟子で
その一遍上人による『称讃浄土経』入手の故事を翻案する形で取り入れた本作では、中将姫が手ずから経巻をワキ僧に授けることで、今や菩薩となった中将姫がこの世に生きる人々の救済をワキに託すことが表現され、救済者としての中将姫の気高い姿が印象づけられる演出となっています。
まばゆい光と妙なる音楽に包まれ、清らかな世界へと救済されてゆく…。そんな浄土幻想の世界を描き上げた、世阿弥の大作となっています。
(文:中野顕正)
(最終更新:2017年5月)