東岸居士(とうがんこじ)
◆登場人物
| シテ | 説経者 東岸居士 |
|---|---|
| ワキ | 旅人 |
| アイ | 土地の男 |
◆場所
京都 三条白川 白川橋 〈現在の京都市東山区〉
概要
春、京都を訪れた旅の男(ワキ)は、愉快な謡や舞を見せるという説経者・東岸居士を一目見ようと、三条白川を訪れる。そこへやって来た東岸居士(シテ)。彼は、白川に架かる橋の修繕のため、勧進をしているところであった。
眼前に広がるありのままの世の姿こそ、真実の表れ。歌舞音曲の遊興までもが、仏道を讃える手立てとなるのだ。…居士は、そう明かしつつ舞を舞う。“かりそめの姿である無常の世は、しかし同時に真実の表れでもある”。その道理を謡い舞い、更には鞨鼓を打って遊び戯れる居士。この川辺の松吹く風や岸打つ波こそ、簓や鼓の響き。それこそが、極楽の歌舞の菩薩の奏楽なのだ。居士はそう述べると、“あらゆる存在は等しく真如の表れである”との道理を説き示し、めでたく舞い納めるのだった。
ストーリーと舞台の流れ
1 ワキが登場し、アイと言葉を交わします。
春爛漫の京都。中でも名高い花の名所・清水寺を訪れる、一人の男(ワキ)がいた。東国出身の彼は、このたびの上洛を機に、こうして名所旧跡を訪ねて巡っていたのだった。
門前の者(アイ)に声をかけ、何か面白い見せ物は無いかと尋ねる男。聞けば近頃、橋の勧進をする東岸居士という説経者が、説法を行いつつ愉快に謡い舞うのだという。そう教えられた男は、その東岸居士を一目見ようと、橋勧進の場所へ向かう。
2 シテが登場します。
男が向かったのは、三条白川に架かる白川橋。見ると、橋の傍らでは、東岸居士(シテ)が今日も説法をしていた。髪も剃らず、法衣も身につけぬ、非僧非俗の異形の姿のまま、この橋を修繕すべく勧進をしていた居士。「春の盛り、散りかかる花びらゆえに、常盤の松までもが桜木のよう。吹き抜ける風の音は、さながら物言う花の声よ——」 居士は、めくるめく移りゆく無常の世の日々を思いつつ、人々へ法を説いていた。
3 ワキは、シテと言葉を交わします。
声をかける男。聞けばこの橋は、もとは彼の師・自然居士の主導のもと、人々の喜捨によって架けられた橋であった。居士は言う。「眼前に広がるこの春景色、ありのままの世の姿は、その全てが真実の表れなのです。どこが郷里だ、家だなどと、この世の中に特定の場所はありません。家が無ければ出家する道理も無し。善と悪、智と愚との区別とて、所詮はかりそめのもの。さあ、この勧めを受けて、彼岸へ渡るよすがとなさいませ——」。
4 シテは、舞を舞って戯れます(〔中之舞〕)。
いつものように芸を請われた居士。「『美辞麗句や遊芸歌舞の数々でさえも、仏道を讃えるための力となる』とは古人の言葉。衆人の心に花を咲かせる歌を謡い、耳を傾けて下さる人々を、皆かの岸へ送り届けようではありませんか。思えば、この世は胡蝶の夢。さあ私も、遊び戯れることと致しましょう…」 そう言うと、居士は舞を舞いはじめる。
5 シテは、仏教の道理を謡いつつ舞います(〔クセ〕)。
——末法の世の中で、生まれては苦しみを重ね、死しては闇路に迷い続ける身。そんな輪廻転変の理は、夢か、現実か。現実かと思えば、死後この身は煙となって消えてしまうだけ。しかし夢かと思えば、遺された者たちは現に悲嘆に暮れるのだ。嘆きの胸の火、悲しみの涙とて、地獄の氷や炎を消すことは出来ない。体も、口も、心もが、絶えず罪を造り続けるこの身よ。さあ、そんな罪深き人々を迎え取り、彼岸へ渡そうではないか…。
6 シテは、鞨鼓を打ちつつ舞い戯れます(〔鞨鼓〕)。
「川辺の松に吹く風や、川岸を打つ波の音。それこそは、舞を囃し立てる簓や鼓の響きに異ならない。往来の貴賤男女で賑わう、この白川の橋の上よ…」 おだやかな春の日の光の下。居士は鞨鼓を腰に付け、軽やかに打ち鳴らしつつ舞い遊ぶ。
7 シテは、万法一如の道理を謡って舞い納めます。(終)
さらさらと鳴る細波や、どうどうと打つ波の響き。簓や鼓と聴きまがうこの音色こそ、極楽浄土の歌舞の菩薩の奏楽に他ならない。この橋を渡り、東岸から西岸へ赴こうとする旅人たちよ。さあ、その道理を聴き知るがよい。この世の音と、菩薩たちの管絃とを、どうして区別してよいものか。あらゆる存在は、全てが等しく真実の表れなのだ——。
居士は、そう謡いつつ人々を仏道へと勧め入れ、めでたく舞い納めるのだった。












