銕仙会

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曲目解説

雨月うげつ

月の光と、時雨の音。西行法師と和歌の神様とが連歌を通じて心を通わせあう、風雅な世界。

作者 金春禅竹か
場所 摂津国(現在の大阪府)  住吉の里
季節 仲秋  十五夜
分類 四番目物  老体の憑霊物
登場人物
前シテ 里の老人 面:朝倉尉など  着流尉出立(老人の扮装)
後シテ 住吉の神職(明神の憑霊) 面:皺尉など  禰宜出立(神職の扮装)
ツレ 面:姥 水衣姥出立(年老いた女性の扮装)
ワキ 西行法師 着流僧出立(僧侶の扮装)
間狂言 末社の神 末社出立(末社の神の扮装)

概要

住吉明神へ参詣に来た西行(ワキ)は、一夜の宿を借りようと近くのあばら屋に立ち寄る。あばら屋の主は風雅な老夫婦で、翁(シテ)は雨の音を聴くために屋根を葺こうとし、姥(ツレ)は月を眺めるために屋根を葺くまいとして、庵は半分だけ屋根の葺かれた状態であった。翁は「賤が軒端を葺きぞわずらう」という歌の下の句を詠み、これに上の句を付けられたら宿を貸そうと言う。西行は「月は漏れ雨はたまれととにかくに」と見事な句を付け、一夜の宿を許される。三人はしんみりとした秋の風情を楽しんでいたが、いつの間にか老夫婦は姿を消してしまう。じつは夫婦は住吉明神の化身であった。夜更け、神職に憑依した明神(後シテ)が西行の前に現れ、和歌の徳を讃えて舞を舞う。

ストーリーと舞台の流れ

0 あばら屋を表す作リ物が舞台中央に据えられます。

1 ワキが登場します。

もの寂しい秋のある日。嵯峨野の奥に侘び住まいをしていた西行法師(ワキ)は、和歌の道を究めるため、歌の神様である住吉明神への参詣を思い立つ。都の西の嵯峨野からさらに西へ、月をたよりに歩を進め、彼は住吉へとやって来た。
夕暮れ時。社殿のそばには、火の光のかすかに漏れる庵があった。西行は、宿を借りようと庵に立ち寄る。

2 作リ物の中からシテ・ツレが姿を現します。

庵には年老いた夫婦が住んでいた。聞けば、毎年秋になると、姥(ツレ)は月の光を眺めるために屋根を葺こうとせず、翁(シテ)は雨の音の風情を楽しむために屋根を葺こうとし、その結果、半分だけ屋根を葺いたままの、あばら屋に住んでいるのであった。月の光か、時雨の音か。翁は、「賤(しず)が軒端(のきば)を葺きぞわずらう…」と独り言を言う。

3 シテの下の句に対しワキは上の句を付け、一夜の宿を許されます。

翁のふとした独り言は、そのまま歌の下の句の形になっていた。「ああ、良い下の句が思いついた…。」翁は、この歌の上の句を付けることができたら、宿を貸してやろうと言う。
もとより和歌の道に生きる西行は、この翁の下の句に、「月は漏れ雨はたまれととにかくに」と上の句を付ける。西行の風雅な付けに感じ入った老人は、月を愛し、雨をさえ厭わないお人ならばと、彼を庵の中に招き入れる。

4 三人は、秋の夜の風情を味わいます(〔雨之段(あめのだん)〕)。

折から聞こえてきた、村雨の音。よく聞くとそれは雨ではなく、松吹く風の音であった。澄みわたる空の月のもとで、雨の音を聞かせようとばかりに松風が吹きつけてくる夜。近くでは海の波の音も聞こえ、夫婦は砧(きぬた)を打って秋の夜の風情に興じる。
雨の降らぬ夜も、時雨の音を聞かせてくれる木の葉。落ち葉の散り重なった庭には月の光が照りそそぐ。積もる木の葉を掻き集めて、雨の風情の名残を楽しもうではないか…。

5 シテ・ツレは正体を仄めかして消え失せます(中入)。

こうしている内に、夜も更けてゆく。翁は西行にも眠るよう勧め、「夢の中で昔に帰ろう」と言うと、姿を消してしまうのであった。

6 間狂言が登場し、立ちシャベリをして退場します。

消え失せた老夫婦に驚く西行の前に、住吉の末社の神(間狂言)が現れ、先刻の老人は住吉明神の化身であると明かし、後刻宮人に憑いて再び現れようという神の言葉を告げる。

7 後シテが登場し、和歌の徳と住吉明神の神徳を讃えます。

夜更け、神職に憑依した住吉明神(後シテ)が、西行の前に現れた。
──そもそも和歌とは陰陽の道を守り、森羅万象を包摂する言葉であるぞ。私は和歌を守護する神として、いま西行ほどの歌の名人に逢えたことを嬉しく思い、神慮を知らしめようと、神官の頭に乗りうつったのだ…。

8 後シテは〔真之序之舞(しんのじょのまい)〕を舞い、神徳を示してこの能が終わります。
※演出により、〔真之序之舞〕が〔立廻リ(たちまわり)〕になることがあります。

明神は舞を舞い、和歌の徳、神の徳を見せる。住吉の岸打つ波、松吹く風、鈴の音に鼓の音が交じり合い、舞いの袖までもが和歌の極意を表している…。
やがて、西行に神託を告げ終えた明神は天界へと昇ってゆき、憑かれていた神職はもとの人間に戻った。これが、西行の前に現れた、和歌の奇跡なのであった。

みどころ

西行(1118~90)は、平安時代末期の歌人で、全国を行脚し、花鳥風月をめで、四季折々の情趣を和歌に詠んだ風雅な遁世者として、日本人に愛されてきました。能では、本作のほかにも〈西行桜〉などに登場するほか、〈江口〉でも物語の上で重要な役割を果たし、いずれも風雅に生きた枯淡の人物として描かれています。
その西行の前に、住吉明神が、これまた風雅で閑寂な暮らしをする老夫婦の姿で現れ、西行と連歌をするというのが、本作の趣向となっています。
連歌というのは、ある人が詠んだ五・七・五の句に、別の人が七・七を続ける(もしくはその逆)ことで一首の歌として完成させるというもので、二人の人が心を合わせて一つの和歌を詠むことにより、一体感を得ることができるという文芸でありました。さらに後には、五七五・七七・五七五・七七…と読み継いでいく長連歌(ちょうれんが)という形式も生まれ、この能の書かれた室町時代には長連歌が大流行していました。多くの人々が輪になり、心を一つにして作り上げるこの文芸に、人々は心酔していたのでした。
本作では、西行と和歌の神様である住吉明神とが連歌をすることで、風雅を解する和歌の達人どうしが心を通わせあい、情趣あふれる世界を作り上げています。
本作の作者である金春禅竹(こんぱるぜんちく)は、和歌を非常に重視していました。能は、舞歌(舞いと謡い)の二つを基本にして作られている演劇ですが、金春禅竹はその中でも特に「歌」を重視し、和歌の世界の美しい表現を美しい旋律に乗せてうたい上げることの美を追究しました。
本作では、秋の興趣を催させる二大要素として、月の光と雨の音とが登場しますが、視覚に訴える月は「舞」、聴覚に訴える雨は「歌」の象徴であって、その中でもシテが雨の音を大切にするのは、作者・禅竹の美学を代弁しているのである、とも言われています。
美しく輝く月と、耳に心地よい響きを奏でる雨の、閑雅な美の世界をお楽しみ下さい。

(文:中野顕正)

近年の上演記録(写真)

(最終更新:2017年5月)

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